お寺さんぽ Ver.03

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修験道の開祖 「役小角」 (1)才気煥発・小角くん

2006年06月23日 | 仏像
のんびり気軽にさんぽがてら。
本日は修験道の開祖として有名な「役小角(えんのおづぬ)」です。
小角くんと言えば木像、石像、アフリカ象などなど(※最後はうそ)京都・奈良のあちこちで見かけることができ、その人気の高さが伺えます。
でもね、この人が何者なのか、あんまり知られてないんですよ。
実際はどんな人だったんでしょうね?


通称の役行者(えんのぎょうじゃ)という名の方が有名でしょうか。
この人、飛鳥・奈良時代の実在人物には違いないんですが、なんと生没年からやっていたことまでのほとんどが不確かで、信頼できる資料もさほどありません。
後に書かれた書物にもなると、顎が外れてしまいそうなツッコミ所満載な話となってしまうのです。
あれですよ、聖徳太子とおんなじ。
彼にしたって複数人数の言っていることを理解したなんて有名話も嘘ですから。(※実は実在しなかった?との説もある)


さて、大和の葛城地方にはそこに大きく根を張った一族「賀茂氏」がおりました。賀茂氏は葛木山の神事を司る家柄で、さらに小角の家は予言や神託を預かる役(えだち)を担っていたのです。
呪術師とかの類ですね。シャーマンですよ。
ちなみに、正式な名前は「賀茂役君小角(かものえだちのきみおづぬ)」というそうです。…舌かみそう。

若き頃より、才気煥発な小角は三歳にして字を覚え、五歳頃にはなんと泥をこねて仏像を作っていたそうです。
マニアックなガキんちょですね。将来が心配です。(←と、いうか単なるお人形遊びでは?)
さらに、当時から誰に教わるでもなく梵字を書き、周囲を驚かせていたそうです。

これらが本当かどうかは置いといて、実際に今でも”天才ちびっ子”とか言ってやたら記憶のいい子とかがいるではないですか。彼らと大差ないと思うんですよね。
子供ってーのは結構したたかなもんで、周囲の大人のいい反応をしっかりと見ていて、それを純粋に記憶して、繰り返すんだけなんですよ。
どんな意味合いがあるとかなんとか一切知らぬままに。
…まぁ、小角もそんなもんだったんでしょう。
これをして”特別に優れていた”と考えるのは間違っていると思います。

八歳に成長した小角は奈良に入って儒教などを学びます。おそらく、当時大流行していた仏教についても見聞きする機会があったでしょう。
「一を聞いて十を知る」
なーんて状態だった小角は様々な学問を学び、また自宅では不動明王の真言を唱えるという、多忙な毎日だったそうです。
元々の優れた神道の素地に学問と仏教が加わったんですね。

そんな小角くん、多くの先人たちがそうであったように、頭ではある悩みが沸き起こっていたのでした。
さて、悩みとはいったいなんなんでしょう?
とりあえずはまた次回に。



[住所] 誠心院 京都市中京区新京極通六角下ル中筋町487

   ※写真は「誠心院」の行者さん。

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※天才!と言えばひでるさん的には上杉謙信です。…戦のですけど。
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 タイトルだけ見るとバカバカしく見えますが、実際少々疑わしい点もあるんですよ。 

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