お寺さんぽ Ver.03

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不動明王 第三回・信仰  (仏像・明王)

2007年11月27日 | 仏像
のんびり気軽にさんぽがてら。
本日は明王の代表格、五大明王でも唯一単独でフィーバーしている「不動明王」です。
まとめてしまうと長くなるので、三回に分けてみました。
第三回目、最終回は、信仰的なことをちょっとばかり。

信仰は平安時代末期以降に盛んとなります。
遣唐使で「唐」へ渡っていた空海の守護仏が「大日如来」であり、真済(しんぜい)、文覚(もんがく)などの僧が信仰していたことから、真言密教(東密)に深く浸透。
また、空海の姪の子、「円珍」(※滋賀県大津市・園城寺にある国宝・黄不動の作者)が真言密教とはやや異なる「不動明王」を作成するなど不動信仰で知られ、そのまま弟子へ継承。
他にも、相応(そうおう)が不動明王法を感得したことで、天台山門派にも浸透しました。
山岳信仰と密教が融合した「修験道」でも、最も尊崇されるのが不動明王であるなど、真言密教(東密)、天台密教(台密)、修験道などで深く信仰された結果、多大な影響力を持つこととなったのです。

加持祈祷(かじきとう)では本尊とされ、毘沙門天(多聞天)と共に観音の脇侍として広く伝わっています。
特に関東での信仰は盛んでして、現在も地名として残る、目青・目赤・目白・目黒・目黄などの各不動は江戸を守る意味で江戸時代に造営されたのだとか。
他に日野の高幡不動、成田山・新勝寺の成田不動が有名ですね。
この「なんちゃら不動」ってーのは、だいたい各地で見られると思います。

空海が帰国する際、不動さまに祈ると荒れた海が静まったとか、荒行する文覚上人が不動さまによって二度も命を救われたとか、蒙古襲来の時は不動さまへの外敵退散の祈願によって撃退できた(…よく言われることですが)など、多くのエピソードが残っています。

余談ですが、鎌倉時代以降にこの恐い不動さんを泣かせてみよういう試みがあったそうな。
…ある僧侶が師匠の病の身代わりとなったが、あまりの苦しさに耐えかねて不動明王に祈りました。
すると、その憤怒相からほろほろと落涙し、その病苦の代わりを申し出たのです、という説話。
これが「泣き不動縁起絵巻」となり、文学から絵画まで発展したんだって。


[関連記事] 【明王のいろいろ】
⇒ 五大明王 (お父さんのための仏像講座)
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⇒ 大威徳明王
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⇒  不動明王坐像 (東京・金剛寺)
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