お寺さんぽ Ver.03

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唐招提寺 (奈良)

2007年11月18日 | お寺
のんびり気軽にさんぽがてら。
本日は奈良の律宗総本山「唐招提寺(とうしょうだいじ)」です。

…ひでるさん確かに行ったはずなんですが、ここいまいち記憶なかったんですね。
なんでかなー、と思ったら「国宝金堂・修復中」の写真が残っていました。
↓それ。



ある意味ではもの凄く貴重なショットなんですが、仏像目的なひでるさんにとってはがっかり。
今はもう終わったのかな。
(↑うそ、終わっていません。2009年まで解体修理中。奈良時代の建築で国宝)

ちなみに、頂いたパンフレットもまぁ地味でつまらんもんで(笑)
細かい文字がずらりと並ぶ様は、喧嘩売ってるとしか思えません。
……あ、ケチつけてるんじゃないですよ。
ちょっと真面目すぎでないですかー、という問題提起です。やだなぁ。
ひでるさんは「唐招提寺」大好きですから。
うふふ…・。

むかーし、むかし。
奈良が都だった千二百年前、この付近は中心街だったようなのです。
そんなメインストリートに位置していた、デカイ態度だったお寺なんですね。

天平宝字三年(759:てんぴょうほうじ、と読みます。れっきとした日本の年号)
日本に現存する最古の歌集「万葉集」が「大伴家持(おおともの・やかもち)」によって編集された頃。
こちらは四十代「天武天皇」の皇子旧邸に創建されるのでした。

『 唐の国から来朝した「鑑真(がんじん)」和上の招提 』

招提ってのは寺院のこと。
上の文面解釈としてはそのまんまでいいんでしょうが、もう少し崩した意味で「御仏のもとに修行する人たちの場」ということで「唐招提寺」って名前がついたそうです。
別に「建初律寺」とも言いますが、これは国内最初の律宗を学ぶお寺、というそのまんまであるようです。
略した「招提寺」という言い方もあるようですね。
ちなみに、当然ながらこちらは律宗の総本山です。
実は総本山シリーズだったんですよ(←そんなんない)

…と、まぁ、そんな訳で、かの有名な「鑑真」和上によって作られたのがこの「唐招提寺」です。
もともと「鑑真」さんは四十五代「聖武天皇」の招きで日本へ来た方なので、手厚い天皇家のバックアップがあったんですね。
奈良に到着された「鑑真」さんは忙しく活動し、来日十年後には死去。
(※鑑真さんについてはまた別途)
金堂をはじめ、主要な伽藍が整備されたのはその後であるようでした。
一時期は西山に四十八院を構えるなど、えらく豪華絢爛なお寺であったようです。
海東無双の大伽藍
絶塵(ぜつじん)の名刹
とか称されていたそうですから、評判もそれはもの凄かったようなのです。
しかし、やっぱり平安時代以降、武士が台頭する時代となると衰退。
鎌倉時代の「覚盛(かくじょう)」上人によって復興されるなどがあって、今日に至るようです。

なんと国宝十七件。
重文になると二百件をも有する、天平文化そのものという「唐招提寺」
修復中の「金堂」はそのものが国宝ですが、本尊「盧遮那仏」や薬師、千手、梵天、帝釈天、四天王などが諸像が並ぶ仏像天国な世界。
また、その後方に位置する「講堂」は、「平城宮」を改造したもの。
こちらにも本尊「弥勒如来」や持国、増長などが安置されています。

仏像好きも大満足なこちら。
とりあえず修復が終わった頃に再度訪ねたいですねー。


[住所] 唐招提寺 奈良市五条町1346

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