お寺さんぽ Ver.03

現在は更新をお休みしています。

縁起達磨 (縁起物・仏像)

2011年07月31日 | 仏像
のんびり気軽にさんぽがてら。
本日はこないだ行った「少林山達磨寺」が発祥地という「縁起達磨」についてです。

誰もが一度は目にしたことがあるだろう、達磨さまの置きもの。
実在の人物がモデルだってーのは、皆さん知ってますよね。
意外と知られてないかな、どうかな。


中国禅宗の開祖。
もともとはインドの王族です。
後に出家して洛陽に入り、そちらにて禅の思想を広めたのでした。
伝えられるアレコレ伝説はぶっちゃけ怪しいようですが、仏教を信仰する梁・武帝との問答、「嵩山少林寺(すうざん・しょうりんじ)」では壁に向かって九年もの間座禅したとか…ともかく凄い方なのです。

禅宗が日本に伝わったのは室町時代の頃。
「達磨大師」を重要視することから、掛け軸・お札には達磨さまが描かれているのです。
やっぱりイメージ的に座禅らしく、先の「少林山達磨寺」にて「一了居士(いちりょう・こじ)」の彫った「達磨大師」も座禅のポーズでした。

天明二年(1782)
江戸時代中期頃に「天明の大飢饉」が発生しました。
「達磨寺」では”一筆だるま”という、お正月に配布する一筆書きの「達磨大師」のお札があったんですが、九代「東嶽和尚」はその図を手本に立体化。
木型に和紙を張ったそれを救済のため祭で販売したところ、これまたえらく評判が良かったのでした。
作るうち次第に繭の形に似てきて、「繭型だるま」となって農家・商家に広まり…それがだんだん丸くなっていき、現在の形になったのでした。
「達磨大師」の七転八起な不屈の精神も受けたみたい。


※「少林山達磨寺」で買った達磨です。
 大きさ分かるよう、コーヒー缶を置いてみました。

考えてみると。
コトの発端は「一了さん」の夢(※少林山達磨寺の記事参照)なんですが…
私の姿を彫りなさい
そう告げたらしい「達磨大師」さまさまですねー。


[関連記事] 【名僧・怪僧・奇僧…僧特集】
⇒ 僧侶と官位・階級 (ひでる仏教講座)
⇒ イケてる仏師「運慶」(※金沢文庫で48年ぶり真作)
⇒ 密教と言えばこの人「弘法大師」 () 
⇒ 修験道の開祖 「役小角」 () 
⇒ 盲目の名僧 「鑑真和上」 (
⇒ 踊り念仏「空也上人」(京都・六波羅蜜寺)
⇒ ゲゲゲの「小野篁」 (前編 ・ 後編
⇒ 中世の名僧 「夢窓国師」 (前編 ・ 後編



 ★宜しければ応援クリックお願いします。  ⇒ 【人気blogランキング】


エコソーラーシリーズ 縁起もの ダルマ 学業成就
クリエーター情報なし
タカラトミー

※こんなんもあるんですね。
 ミュージアムには入っていくんでしょうか。

少林山達磨寺 (群馬県高崎市)

2011年07月24日 | お寺
のんびり気軽にさんぽがてら。
本日はダルマの発祥地として有名な、「少林山達磨寺(しょうりんざん・だるまじ)」です。

縁起モノとして今でもよく使われる、「縁起達磨」発祥のお寺です。
当然のように、お寺でも「縁起達磨」は購入でき、大きいものから小さいものまで様々ありました。
とりあえず、机における程度のものを買ってきましたよー。
なかなかいい風情です。
なんらか願いが叶った際に目を入れるようにしましょうかね。


※絵馬も達磨でした。なかなか可愛いですね。


さて、そんな訳で「達磨寺」です。
HPを見たところ細かく歴史が残っておりましたが、ごく簡単に。
三百年ほど前、とあったので、だいたい江戸時代頃でしょう。

昔、碓氷川のほとりに観音堂がありました。
「行基菩薩(ぎょうき・ぼさつ)」作の、十一面観音だそうです。
延宝年(1673~80)に大きな洪水があり、碓氷川も氾濫したんですが…その後、川の中に何やら光る物を見つけたのでした。
不審に思って引き上げたところ、それは古木だったのです。
なんで光ってたんでしょうね!?

ともかく、それがたいそう良い香りだということで、霊木としてお堂に安置しておいたのです。
古木は香木だったんですよ。

それから時は過ぎて、延宝八年(1680)のこと。
「達磨大師(だるま・たいし)」から夢でお告げを受けた、と「一了居士(いちりょう・こじ)」という行者が訪ねてきました。
お告げの内容から、おそらくは安置した霊木だろう~ということで、彼はそちらに「達磨大師」の像を彫ったのでした。

”ひと彫りするごとに拝礼を三度する”という、一刀三礼(いっとうさんれい)なんて彫り方をしたようです。
それだけ気持ちがこもるということなんですが…時間かかりそうねー。
聞いたところ、「一了さん」はさほど若くないようなので心配。

まぁ、ひでるさんの心配をよそに、無事座禅している「達磨大師」像を完成させ、ここにお祀りしたのでした。
それがなかなか素晴らしい出来栄えだったらしく、
「ウチのお堂にすげぇ達磨大師像があってさぁー」
みたいに村人が言いふらしたことから(たぶん)、たちまち周辺の噂となり、”達磨大師出現の霊地”となっていったのでした。
山号が「少林山」となったのもその頃。

その話題はやがて藩主「酒井忠拳(さかい・ただたか)」の耳に入り、彼はここにお寺を建てることとしたのです。
「水戸光圀(みと・みつくに)」に進言し、僧「天湫(てんしゅう)」が「達磨寺」を開創するのでした。

その観音堂は、創建当時のまま現在も残る最古の建物。
さらに境内には達磨堂という、”ダルマ・ミュージアム”というべき施設もありました。
色々な達磨、そのグッズが集合しているという、注目のスポットです
日本地図と共に全国の達磨が並べられており、その変化を見比べたりもできます。
そう大きな施設でないのは良し悪しかなー。


※達磨堂 だいたいこんな感じのサイズ

年末年始には、階段にずらーっと参拝客が並び、そりゃー大変な賑わいになるんだとか。
入場制限されるんですよ、と運転手さんが教えてくれました。


[住所]
 少林山達磨寺 群馬県高崎市鼻高町296

[関連記事] 【街の人気者、その他ネタ】
⇒ 一度は行きたい・奇祭「かなまら祭」 (川崎市・金山神社)
⇒ サトちゃん菩薩立像 (全国・薬局店頭)
⇒ 重文 ピョンちゃん天立像 (全国・薬局店頭)
⇒ 重文 ケロちゃん観世音菩薩坐像 (全国・薬局店頭)
⇒ 国宝 オノデン坊や権現立像 (東京秋葉原)
⇒ 戦女神 アテナ (ギリシャ神話)前編 後編
⇒ ハヌマーン (ラーマーヤナ)
⇒ ガネーシャ (ヒンドゥー教)
⇒ 手水のつかいかた (上野・清水堂)
⇒ 全自動・御手洗所 (東京・大円寺)
⇒ 無料・公衆電話 (天龍寺)
⇒ お寺と亀 (川崎大師・平間寺)
⇒ 水琴窟 (京都・妙心寺退蔵院、正法寺)
⇒ 曼荼羅ってなんだろう



 ★宜しければ応援クリックお願いします。  ⇒ 【人気blogランキング】


ぐれダルマ [ 貯金箱 オブジェ ]
クリエーター情報なし
DETAIL

※こんなんを見つけました。
 ミュージアムには入れるかなぁ。


「高崎城」と「群馬県立歴史博物館」 (群馬県高崎市)

2011年07月17日 | 歴史
のんびり気軽にさんぽがてら。
本日は「高崎城」と「群馬県立歴史博物館」です。

高崎市に行った一番のメインは、「白衣大観音」を見るためでした。
ただ、お城の名前もあったため、どうせならそっちも見たいよねーということで行ってきたのです。

「群馬県立歴史博物館」は美術館などもある、”群馬の森”の施設。
高崎駅からは、バスでだいたい二十分くらいという距離でした。
駅近くに城があるのだし、どうせなら付近に作ればいいと思うんですが…そちら県立で、お城の管理とかは市なのかな。
そういった系統の、ややこしい問題があるのだ、とかタクシーの方が言っておりました。
そんなんかー。
実際、高崎市の本庁舎は高崎城の本丸あたりに位置しているそうです。
どかーんとデカイ、そりゃー立派な建物(地上二十一階なのだとか)で、見た目にも大変感じ悪いですよ。


※群馬県立歴史博物館 …お洒落な建物です

話逸れましたが、「群馬県立歴史博物館」
原始から近代までの歴史展示物があり、入ってすぐは「昭和のくらしコーナー」という、昭和な家庭風景から学校までが再現されています。
狩猟風景ジオラマから埴輪群などがあった後は、注目の中世です。
上野国であった頃の武士団についても資料が色々とあるんですが…「新田義貞」も「長野業正」の支配は刹那的で、争奪戦の中心地みたいな感じだったためか、コレというポイントは弱め。
博物館内の「ミュージアム・ショップ」も残念ながら戦国っぽさありませんでした。
結構期待していたんですけどねー。
ただ、企画展示は「親鸞と妙心寺」ということで、仏像など見れて良かったですが。

ちなみに”群馬の森”は芝生の広がるイイ感じな広場が多く、休日ともあって家族連れでいっぱいでしたよ。


※昭和のくらしコーナー …テレビがいいよね。

続いて駅から歩いて五分くらいの「高崎城」
いきなりなんですが、ぶっちゃけ…コレを目指して訪れるタイプな施設ではありません。

もともと高崎城は、慶長三年(1598)に徳川四天王の一人「井伊直政」によって着手されています。
(※直政が入ったのは、箕輪城です)
交通の要所として重視したんですね。
結局直政は関ヶ原の功によって近江(滋賀)に入ったため、実際に整備・完成をさせたのは三代ほど続いた安藤氏だった様子。
最終的に名は農家に払い下げられ、納屋として利用されていたところ、文化財の指定を受けて復元されたみたい。

現在残っているのは、土塁と水堀、乾櫓に東門がある程度。
櫓に上がることもできず、ざらりと外観を眺めるくらい。
何かのついでに立ち寄るのがイイでしょう。
(※ちなみに、高崎観音は反対側ですが)


※高崎城 …こう見るとかっちょえーですが。

過去には豪族・和田氏が居城とした「和田城」が付近にあったようで、こちらの通称もそのまま「和田城」
それを高崎とした切っ掛けも直政にあるみたい。
箕輪から和田へと移る際、下野から招いていた「白庵和尚」に地名を改めることについて相談したところ、”成功高大”の意味から「高崎」としたのだとか。
ほほー。
調べてみなきゃ分からないものですね。



[住所]
 高崎城 群馬県高崎市高松町
 群馬県立歴史博物館 群馬県高崎市綿貫町992-1

[関連記事] 【歴史・その他】
⇒ 「両・分・朱」の貨幣制度
⇒ 「軍師」について
⇒ 海賊大将・藤原純友「承平・天慶の乱」[   
⇒ 晴明神社 (京都) 
⇒ 行こう!八王子城址 [ 前編 中編 後編 ]
⇒ 宇都宮城 (栃木) 
⇒ 土浦城址 (茨城) 
⇒ 七尾城址 (石川) 
⇒ 武田神社・石水寺要害山・積翠寺 (山梨) 
⇒ 滋賀県 「姉川古戦場」 (史跡探訪シリーズ)
⇒ 箱根石仏群・記念館 (箱根)
⇒ 行こう!「関ヶ原ウォーランド」 (岐阜)
⇒ 三河武士のやかた 家康館 (愛知県・岡崎公園)
⇒ 源氏夢回廊 (滋賀・石山寺)
⇒ 石橋山古戦場・与一塚 (神奈川)
⇒ 河村城址 (神奈川)
⇒ 戦国武将・動物愛称いろいろ(調査中)
⇒ お寺バンザイ! (たまに行くならこんな寺・京都編)
⇒ お寺バンザイ! (たまに行くならこんな寺・京都外地域編)



 ★宜しければ応援クリックお願いします。  ⇒ 【人気blogランキング】




超オススメ”天下の霊場”洞窟観音 (群馬県高崎市)

2011年07月10日 | 仏像
のんびり気軽にさんぽがてら。
本日は群馬県高崎市のオススメスポット「洞窟観音」です。

高崎市と言えば、やはりすらりと背の高い「白衣大観音」でしょう。
良かったです。
やっぱり大きいってのはいいもんですね。
ただ、実はそちらよりひでるさんに刺さったのは、その前に行った「洞窟観音」でした。


①洞窟内です。入ってすぐはこうした感じ。


正式には「洞窟観音・山徳記念館」ですかね。
「白衣大観音」まで向かう途中、同じ観音山にあるこちらの施設。

ことの起こりは昭和二年のこと。
呉服店の豪商「山田徳蔵」さんは信仰心深く、ある日観音霊場の建設を思い立ちました。
これが三十歳くらいというのだから、凄いですね。
それから私財と情熱を傾け、八十歳で亡くなるまで工事をすすめていたようです。


②洞窟内です。進むとこうした感じになってます。


一人の情熱が作りだした そこは心の深淵。

そんな言葉がパンフレットにありました。
かっちょえーですね。
豪商とか工事という言葉で惑わされますが、当時はまだ土木機械などない時代。
そんな訳で、ツルハシ・スコップを駆使するという、かなり地道で大変な作業だったようです。


③奥へ進むとこうした感じのところもありました。雰囲気たっぷりです。

洞窟内は所々に照明があり、ローソクなどを片手に進むタイプではありません。
あたり見渡せる程度で、基本的には薄暗い感じ。
その中に彫刻された観音像が安置されています。

洞窟内には百体ほどの石仏がおられるんだとか。
一体づつおられるコーナー(全部で三十六体)ほか、最奥の「観音滝」などジオラマっぽく岩の中に安置されているパターンもあり。
ぞくぞくっとするほど、神秘的な雰囲気がありました。

凄いです。

ちょっぴり怖いくらい。
中はヒンヤリと涼しく、特に夏などはいいでしょう。


④石仏群です。かっちょえーですよー。

日本庭園「徳明園」や風俗・風刺原画の「山徳記念館」も付近にあります。
高崎駅からはそこそこあるので、やはりバスかタクシーがオススメ。


[住所]
洞窟観音 群馬県高崎市石原町2857

[関連記事] 【石仏っていいよねー】
⇒ 仏像の種類 (お父さんのための仏像講座) [前編] [後編]
⇒ 石仏っていいね (石仏・入門編)
⇒ 石仏の種類について (石仏・基本編)
⇒ 長安寺・五百羅漢像 (石仏・応用編1)
⇒ 箱根石仏群① (石仏・応用編2)
⇒ 箱根石仏群② (石仏・応用編3)
⇒ 徳明地蔵尊 (石仏・応用編4)
⇒ 箱根石仏群・記念館 (箱根)
⇒ 阿弥陀如来 (真正極楽寺)
⇒ 五智如来石像 (葛飾区・真勝院)
⇒ 地蔵菩薩・半跏坐像 清涼寺(京都)
⇒ 地蔵菩薩半跏像 (京都・石像寺)
⇒ 双体道祖神 (京都:道祖神社)
⇒ 岩面大佛 (岩手・達谷窟毘沙門堂)
⇒ オススメ!地下遍照金剛殿 (東京都世田谷区・玉川大師)



 ★宜しければ応援クリックお願いします。  ⇒ 【人気blogランキング】



東京地下迷宮の謎 (実録コミック)
秋庭 俊
イースト・プレス

※地下っていいですよね。
 タモリ倶楽部とかでもたまに紹介されてますが、プチ”あなたの知らない世界”みたいな。



広島城 (広島)

2011年07月03日 | 歴史
のんびり気軽にさんぽがてら。
本日は広島県の広島城です。

広島と言えば、やっぱり地元の英雄「毛利元就」でしょう。
ただ、実際に行った感覚では、武田一色だった山梨県と違って毛利・毛利はしておらず、なんとなくがっかり。
あれだけの戦国大名、もう少しそれ押しでもいいのではないかなー、ってのは単に歴史好きな意見ですかね。

そんなこんなで、市内で行き易い「広島城」
こちらを築城したのが、「毛利元就」の孫、「関ヶ原合戦」では西軍の総大将となった「毛利輝元(もうり・てるもと)」でした。
毛利氏の居城と言えば、「吉田郡山城(よしだこおりやまじょう:安芸高田市)」のイメージが強いんですが、”山”の漢字が示すそちらは山間部にあり、いわゆる戦闘城でした。
旅行中、できればそっちにも行きたかったんですが…遠いとのことだったので、諦めました。
歴史ファンの方は、きっちり時間を割り振ったほうがいいかも。
なお、天文十年(1541)では、囲んだ尼子氏の大軍を撃退してたりします。
ただし、豊臣政権下で大坂城などを見学した輝元は、時代の流れを痛感。
政治・経済に適した、新しい城づくりを決意したのです。
これが天正十七年(1589)のこと。


※木の感じがステキです。

祖父元就も注目していたという、瀬戸内海に面した太田川河口の三角州に築城を開始。
元就の四男「穂井田元清(ほいだ・もときよ)」、元就の子という「二宮就辰(にのみや・なりとき)」らが普請奉行として進められ、ある程度完成した二年後に輝元が入城したようです。
なお、当時「五箇(ごか)」「五ヶ村」などと呼ばれていたこの地を「広島」としたのは、この際であったとも言われています。
諸説あるようで、パンフレットによると…
①地形を示した「広い島」という意味。
②毛利氏の祖先「大江広元」、案内役「福島元長」から命名された。
③もともと現地の人が呼んでいた地名。
…など諸説あり、はっきりとしていないのです。

慶長五年(1600)は「関ヶ原合戦」がありました。
前述したそのまま、西軍の総大将となった輝元は改易され、安芸・備後両国四十九万石は「豊臣秀吉」の子飼い「福島正則(ふくしま・まさのり)」に与えられました。
築城を引き継ぎ、外堀・外郭などを進めて広島城を完成させたのは、この正則です。
また、検地を実施したほか、身分制度の確立、街道の整備を進めて城下町を発展させていたんですが…城の普請に関して咎められた彼は、改易されてしまったのでした。


※左から、「石田三成・花押ハンドタオル」、「関ヶ原合戦トランプ」、「もとにゃり絵はがき」

こうして広島城へ入ったのが秀吉股肱の臣「浅野長政」の次男「浅野長晟(あさの・ながあきら)」です。
それから二百五十年ほど、浅野氏がこちらを治めることとなるのです。

廃藩置県以後には陸軍の施設が設けられました。
次第に広島城の建造物はなくなっていきましたが、史跡として評価を受け、天守閣は国宝に指定されています。
しかし、明治七年の出火で本丸、三の丸が焼失し、さらに原爆によって建造物は全て壊滅してしまったのでした。
内部は歴史博物館となっている現在の広島城は、昭和三十三年(1958)の再建なのです。



※もとにゃり…実に良い雰囲気です。


前述したように付近は毛利・毛利しておらず、城内グッズもそんな感じ。
ぶっちゃけ、あまり関係ない武将のがずらりと並んでいました。
そんな中光っていたのが、「もとにゃり絵はがき」
猫キャラをかぶせるのは彦根城からセオリーですが、”三本の矢”と重ねたこちらは震える手、ぽかんとした三匹の猫が良く、可愛らしいものでした。
もっといろいろグッズ化してほしいですね。



[関連記事] 【歴史・その他】
⇒ 「両・分・朱」の貨幣制度
⇒ 「軍師」について
⇒ 海賊大将・藤原純友「承平・天慶の乱」[   
⇒ 晴明神社 (京都) 
⇒ 行こう!八王子城址 [ 前編 中編 後編 ]
⇒ 宇都宮城 (栃木) 
⇒ 土浦城址 (茨城) 
⇒ 七尾城址 (石川) 
⇒ 武田神社・石水寺要害山・積翠寺 (山梨) 
⇒ 滋賀県 「姉川古戦場」 (史跡探訪シリーズ)
⇒ 箱根石仏群・記念館 (箱根)
⇒ 行こう!「関ヶ原ウォーランド」 (岐阜)
⇒ 三河武士のやかた 家康館 (愛知県・岡崎公園)
⇒ 源氏夢回廊 (滋賀・石山寺)
⇒ 石橋山古戦場・与一塚 (神奈川)
⇒ 河村城址 (神奈川)
⇒ 戦国武将・動物愛称いろいろ(調査中)
⇒ お寺バンザイ! (たまに行くならこんな寺・京都編)
⇒ お寺バンザイ! (たまに行くならこんな寺・京都外地域編)



 ★宜しければ応援クリックお願いします。  ⇒ 【人気blogランキング】


戦国武将携帯ゲームポーチ 「毛利元就」
クリエーター情報なし
しのびや.com

※元就ということで。
 今ではゲームポーチにもなっちゃってます。