お寺さんぽ Ver.03

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三国同盟と義元さま 「海道一の弓取り・今川義元」6

2006年10月07日 | 歴史
のんびり気軽にさんぽがてら。
本日はたった一戦で後世の評価がひっくり返ってしまった気の毒さんの代表格。
駿遠三の太守、海道一の弓取りこと「今川義元」です。

ああっ、義元さま…。
これまでの内容で「怪しげな、公家かぶれの変なおっちゃん」というイメージが多少でもなくなったでしょうか?どうかな?
織田勢を追い払うと、今川家は駿・遠・三を統治する大勢力となっていました。
当時の日本国内全勢力をざーっと見ると、家柄・実力・地理など、最も天下に近かったのは間違いないところでしょう。
えっとね、↓こんな感じ。


 ☆ おまけコラム 「天下人の条件 ひでる案」 ☆

★家柄: 「豊臣秀吉」を見る限り、なくても大丈夫。
     ただ、あった方が遥かに有利でしょう。「源頼朝」、「足利尊氏」とか。
★実力: 政治でも外交でも戦争でも人望でも、なにかしら必要。こりゃー必須ですよ。
     あるいは、親父さんがものスゴければ、後を継ぐちゃっかり戦法もあります。
★地理: 「蒲生氏郷」が嘆いたように、なんのかんの言っても京都に近くなければいけないのです。
     東北・九州ではほぼ不可能。また、雪で閉ざされてしまう北陸地域なども行動が制限されるので無理。


さて、ここからが本編。
今川義元は軍師「雪斎」の進言に従って領内の検地を実施し、商人を優遇する政策をとって国を富ませることに成功しています。
「検地」というのは、田畑の面積と収穫量の調査をすることによって、領国の正確な石高を把握することが目的でした。
…そうねぇ。
戦国シミュレーションゲームで、国データが見えない状態だとどんな状態かわからないでしょ?
税収入とか米の取れ高とか。
それを数値化するようなもんですよ。たぶん。
また、隠し田畑などを発見できるメリットもあったようです。

今川義元の領国はどちらも温暖な気候と海産物に恵まれ、国力としては相当なものがあっと思われます。
後に「武田晴信」が同盟を破ってまで進出してきますが、それなりの魅力があったのでしょう。

天文二十三年(1554) 三国同盟
さて、今川義元の正妻は「武田信虎」の娘「定恵院(じょうけいいん)」でしたが、この人が亡くなってしまうんですね。
そこで、同盟関係を維持するため、「武田晴信」は嫡男「武田義信」の妻に今川義元の娘をもらうのです。
これが二年前の天文二十一年(1552)のこと。

さらに、それぞれの利害と思惑が合致することを計算した軍師「雪斎」は、甲斐「武田晴信」そして相模「北条氏康」の元へ赴き、それぞれ互いに婚姻を取り交わして、甲相駿・三国同盟の終結に見事成功するのです。
↓こんな感じ。

甲斐: 武田信虎 … 晴信(信玄)         … 義信 ← 義元の娘
            … 定恵院(じょうけいいん)
               ↓
駿河: 今川氏親 … 義元              … 氏真 ← 氏康の娘 蔵春院
            … 瑞渓院(ずいけいいん)
               ↓
相模: 北条氏綱 … 氏康              … 氏政 ← 晴信の娘 黄梅院(おうばいいん)


この甲相駿三家はそれぞれ微妙に関係をもっていましたが、事あるたびに対立していました。
しかし、「雪斎」が判断したとおり、当時はそれぞれの目標が別にあったのです。

■駿河
「今川義元」は三河を併呑し、京への上洛を夢見ていました。
西へ侵攻したいので、次の目標は尾張・織田家です。おそらく、次に美濃、そして近江と侵攻していきたかった筈です。
■甲斐
「武田晴信」は信濃へ進出し、信州の緒将と共に越後の龍、軍神「上杉謙信」と対立していました。
信濃を完全に手中に収めて国力増強を狙っていたのですが、謙信がたびたび邪魔をしてきたのです。
■相模
「北条氏康」は川越夜戦で関東管領上杉家を駆逐し、武蔵国の支配を強固なものとしたかったのです。
また、度々出兵してくる越後の龍、軍神「上杉謙信」も厄介な存在でした。ちなみに、目標は関八州制覇だったでしょう。

こうして三国同盟締結には説得などで大いに尽力した軍師「雪斎」ですが、その疲れがあったのかもしれません。

弘治元年(1555) 五十九歳で「太原崇孚雪斎(たいげんすうふ・せっさい)」は死去してしまうのでした。
教育係から続いた二十五年ほどの関係はこうして終わってしまうのです。

⇒つづく。 次回は「天下統一と義元さま」

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※これはちょっと違う三国同盟ですね。
 多少信用としては微妙ですが、あの戦国当時に有力三家の同盟関係は他国からすれば大変な脅威だったでしょう。
 これに上杉が加わった四家は結んだり争ったりと時代を彩るのでした。


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