お寺さんぽ Ver.03

現在は更新をお休みしています。

経久さま、孫を諫めて未来を憂う 「尼子経久」5

2008年06月29日 | 歴史
のんびり気軽にさんぽがてら。
本日は、世間一般にあまり広くは知られておりませんが、「下剋上」という冠が相応しい人物「尼子経久(あまご・つねひさ)」さまについてお送りいたします。
わずか一代にて、中国地方最大の守護大名・大内氏と肩を並べるまで勢力を伸ばした尼子氏。
その当主経久は謀略を得意とした反面、人間としても大変に魅力ある方だったのでした。


天文六年(1537)
家督は経久から孫・「尼子晴久(詮久:※写真のひとね)」へと引き継がれました。
なお、経久はこの可愛い孫が二十歳になるまで、しっかり後見していたと伝えられております。

その甲斐あってか、祖父・父同様に才を発揮した晴久はさらに版図を拡大。
ついに、大内氏へ鞍替えしていた安芸の有力国人「毛利元就」にターゲットを絞るのでした。

天文九年(1540) [安芸郡山城合戦]
総大将に経久の弟「尼子久幸」を指名して、出陣した尼子勢。
三万という大軍を擁する尼子勢に対し、籠城した元就以下の毛利勢はわずか三千程度の軍勢でした。

しかし、甲立城の「宍戸元源(ししど・もとよし)」が決死の抵抗。
さらに、伏兵によって別動隊の「尼子誠久」ら軍勢を逆に撃退するなど、「陶晴賢」率いる大内氏の援軍が到着するまでを必死にもちこたえたのでした。
さっすが元就ですねー。

こうして、逆に敵中で孤立することとなった尼子勢は不利なままの決戦を挑むこととなり、総大将久幸が戦死するという大敗北を喫してしまうのです。

経久がこの敗戦を見届けたか、どうか。
一説によると、毛利氏討伐の軍を整える晴久に対して、”思い直すよう諫めていた”と伝えられています

…あるいは合戦前より、何かしら思うところがあったのかもしれません。

天文十年(1541)に病を得た経久は、そのまま病没。
この時代にしてはなかなかの長生きで、享年八十四。

前にも書いたように、人がよく、出雲国では大変な人気者であった経久。
その人あたりのよさがためか、配下の国人衆から一族に至るまで完全掌握とまではいかず、また組織的なこともせず(できず?)、支配についてはかなりの自由にさせたままだったという、古い守護大名を倣った領国経営をおこなっていたようでした。
度々周辺国へ攻め込んでいるのも、対外遠征によって国人衆をまとめようと努力していたのだ、と想像されています。

いわゆる戦国大名とは違って支配力は強くなく、もっぱら時代の傑物であった「尼子経久」その人の魅力によって、束ねられていたのです。
これは、甲斐「武田晴信」、越後「上杉謙信」らと同様な感覚だった言えるでしょう。

中国山地から産出される鉄・銀、さらには美保関港からの税金、海外との交易などで莫大な軍事力を支えていた尼子氏。
最盛期には備中・備前・美作まで支配は膨らみ、中国地方十一カ国を数えたと言います。
(※孫・晴久の代が最高潮。経久での勢力図は、出雲・隠岐・石見東部・伯耆東部等)
しかし、完全支配とはできなかった脆弱さは、永禄三年(1560)孫「晴久」の急死後、若くして継いだ「義久」の際にて滅亡する大きな要因となってしまうのでした…。

【 戦国メーター★尼子経久 】
 家柄: ■■■■□ もともとは室町幕府の要職、四職の名門家です。
 実力: ■■■■■ 浪人から再起したこともあり、並大抵の方ではないでしょう。
 地理: ■■■■□ 実際に上洛もしてました。



[関連記事] 【織田政権セット】
⇒ 人間五十年…の幸若舞「敦盛」
⇒ 滋賀県 「姉川古戦場」 (史跡探訪シリーズ)
⇒ 信長の正妻「濃姫」(京都・総見院)
⇒ 魔王の弟 「織田信行」 [    
⇒ 有能な秘書官・森蘭丸 [父と蘭丸 兄と蘭丸 主君と蘭丸
⇒ 米のような必需人「丹羽長秀」 前編 後編
⇒ 天才軍師「竹中半兵衛重治」 (1)(2)(3)(4)(5)(6)
⇒ 海賊大名 「九鬼嘉隆」 [   
⇒ 文武二道・会津に適う人物 「蒲生氏郷」 [      
⇒ 信長に背いた男 「荒木村重」 [  
⇒ 坂本城址 (滋賀)
⇒ 迷う明智光秀「おみくじを引く人間心理」
⇒ 明智光秀の誤算「歴史を動かした手紙」
⇒ 謀反の理由は?「本能寺跡地」


 ★宜しければ応援クリックお願いします。  ⇒ 【人気blogランキング】


美術刀剣-模造刀 「毛利元就」拵え

岐阜県関市

このアイテムの詳細を見る

※こんなのがありました。
 しかし、さすがに元就さまですねー。
 できれば経久との直接対決が見たいところでした。


経久さま、智勇兼備の息子を失う 「尼子経久」4

2008年06月26日 | 歴史
のんびり気軽にさんぽがてら。
本日は、世間一般にあまり広くは知られておりませんが、「下剋上」という冠が相応しい人物「尼子経久(あまご・つねひさ)」さまについてお送りいたします。
わずか一代にて、中国地方最大の守護大名・大内氏と肩を並べるまで勢力を伸ばした尼子氏。
その当主経久は謀略を得意とした反面、人間としても大変に魅力ある方だったようなのです。


要害「月山富田城」を奪取し、出雲国を平定した経久さま。
近隣国へ侵攻し、より飛躍するところでしたが…晩年期に差し掛かっていた彼には、予想外の事態が次々と起こってしまうのです。

最大の事柄にして最も衝撃的だったこと。
自分に劣らず、智勇兼備の名将であった嫡男「尼子政久(あまご・まさひさ)」を先に失ってしまったことでしょう。

こちらの嫡男・政久は軍略だけでなく、母(※「吉川基経」の娘で、ゆはり教養があったという)の影響か横笛ほか文才においても優れ、教養豊かな武将に育っておりました。
なにしろ、「後土御門上皇」の御所へ出た際には必ず管弦の相手をしていた、というのだから、文化人としても相当な人物だったようなのです。

永正十五年(1518)
尼子氏の勢力拡大を恐れ、突如半旗を翻した出雲・阿用城の「桜井宗的(さくらい・そうてき)」
すぐさま経久は政久を総大将とした軍勢を派遣し、城を包囲しますが、これがなかなかの堅城であったため、大軍をもってしても容易には落とせませんでした。
城を囲んだまま数日。
夜ごと政久は得意だった横笛を吹いていたそうですが、その音に向けて城中より放たれた矢は政久に命中
それがため、若くして没してしまうのでした。
享年二十四。

なお、後に弔い合戦として自ら出陣した経久は阿用城に総攻撃を仕掛け、城中残らず皆殺しにしております。

大永三年(1523)
安芸へ侵攻した経久は大内方の鏡山城を奪取。
毛利、平賀、野間など有力な国人衆を傘下とし、勢力を安芸国に伸ばしつつありました。
その安芸は吉田郡山城の毛利氏にて、「毛利興元(※元就の兄です)」が急死、続いてその子「幸松丸」も若くして病死すると、家督相続の争いが勃発するのです。

ここで経久の右腕とも言われる重臣「亀井秀綱」は「幸松丸」の後見役で発言力の強かった「毛利元就」ではなく、その弟「相合元綱(あいおう・もとつな)」を推すのでした。
結局、争いに勝利した元就はこれを切っ掛けとして大内氏へ鞍替えしてしまうのです。

大永元年(1521)
西は大内氏領国の石見へ侵攻。
この頃の大内氏は九州へ転戦しており、ちゃっかりその留守を狙ったのです。
ここで大内氏の安濃ほか石見東部の三郡を支配下としております。
続いて大永四年(1524)には経久自身が総大将となり、内乱が続いていた伯耆国へ侵攻。
伯耆守護「山名澄之」ほか南條氏ら伯耆の国人衆は城を追われてしまうのでした。
経久は新たな守護として「山名豊隆」を擁立するとともに、ちゃっかり孫「詮久」を守護代に据えるなどの画策をしております。

ちなみにこの際、
前代未聞の事なり
と伝わっているほどに尼子軍は乱暴狼藉の限りをつくしたとされ、多くの人が死んだようなのです。

天文元年(1532)
塩冶氏の家督を継いでいた、要害山城の三男「塩冶興久(えんや・おきひさ)」
武勇に優れた興久は所領問題を切っ掛けとして、なんと実父に対して反乱を起こしているのです。
これはほどなく鎮圧され、首謀者である興久は自刃。
なんと、三名いた息子のうちの二名を、わずか十四年にて失うこととなってしまうのでした。

⇒つづく。
 次回は「経久さま、孫を諫めて未来を憂う」(5/5)


[関連記事] 【中期・合戦祭り】
⇒ 史上最悪の市街戦「応仁の乱」[     
⇒ 日本三大奇襲戦の一つ「河越城夜戦」 [  ]
⇒ 日本三大奇襲戦の一つ「厳島の戦い」 [  ]
⇒ 姫若子、ついに初陣! 「長浜合戦」 [   ]
⇒ 炸裂!島津得意の釣り野伏! 「耳川合戦」 [  ]
⇒ 激突・関白軍勢対九州の覇者 「戸次川合戦」 [   ]
⇒ 徳川勢は本当に活躍した?「姉川合戦」[      探訪
⇒ はねる謙信逃げる信長 「手取川合戦」[    
⇒ 戦国メロドラマ劇場「岩村城攻防戦」[    
⇒ 戦国最強軍団の落日「長篠合戦」[    



 ★宜しければ応援クリックお願いします。  ⇒ 【人気blogランキング】


百人一首 横笛

田村将軍堂

このアイテムの詳細を見る

※「横笛」で検索したら出てきたので、こちらをば。
 一緒にやる人のレベルを間違うと、大変なこととなる「百人一首」なのです。あう!


「死神」批判に抗議、法相を擁護「弟は死神ではない」 (産経新聞ほか)

2008年06月22日 | ネタ
こんばんわ。
えー、あんまりいないかもしれませんが、「尼子経久」を楽しみにされている方、すみません。
(…多少はいるよね、ね?)

本日は、どうしても見逃せない記事がありましたので、一刀両断にしてみました。
ちなみに、今回はなかなか刺激的な内容になっているので、色々大人でない方はここでご遠慮下さい

死刑の理由 (新潮文庫)
井上 薫
新潮社

このアイテムの詳細を見る


 ・
 ・
 ・
宜しいですか?
さてはて、世の中の闇を一刀両断するこのブログ(大嘘)
本日は『 「死に神」批判に猛抗議、法相を擁護「弟は死に神ではない」 (産経新聞ほか) 』です。

とりあえず、まずは↓コチラをご覧くださいませ。


■「死に神」批判に猛抗議=鳩山法相
 [時事通信社] 2008年6月20日
 
 鳩山邦夫法相は20日午前の閣議後の記者会見で、就任以来13人の死刑を執行した法相を「死に神」と表現した朝日新聞の記事を取り上げ、
彼ら(死刑囚)は死に神に連れて行かれたのか。違うだろう。執行された方に対する侮辱で、軽率な記事に抗議したい
 と憤りをあらわにした。
 鳩山法相は「斎戒沐浴(もくよく)して(死刑囚に関する)記録を読む心境は穏やかではないが、社会正義実現のためにやらざるを得ないという思いでやってきた」と述べ、死刑執行は法相としての責務と強調した。 
---------------------------------- 。。。



■「弟は死に神ではない」 民主・鳩山氏、法相を擁護
 [産経新聞] 2008年6月21日

 民主党の鳩山由紀夫幹事長は21日、兵庫県加古川市で講演し、13人の死刑執行を命じた弟の鳩山邦夫法相を朝日新聞が「死に神」と表現したことに関し、
「弟は死に神ではない。わたしは『死に神の兄』といわれたくはない」
 と擁護した。
 同時に「法律上の責務に基づいて行動しているだけだ。死刑を執行したいと考えているわけではないと思う」と強調。
 東京・秋葉原の無差別殺傷事件に触れ「死刑制度をなくせば(同様の)事件が増える可能性があるのではないか」と述べ、死刑制度の存続が望ましいとの考えを示した。 
---------------------------------- 。。。



これでも朝日新聞を読みますか?
山際 澄夫
ワック

このアイテムの詳細を見る



ちなみに、朝日新聞「素粒子」では、「永世死刑執行人 鳩山法相」とか、「2カ月間隔でゴーサイン出して新記録達成。またの名、死に神」などと書いていたようです。
…これ、新聞に記載された文字ですか?
いかに過激な内容がウリのコラムとは言え、こりゃー怒って当然。
明らかに不適当ですし、言われているとおり”執行された方に対する侮辱”ですね。

また、「鳩山由紀夫」さんが言っているとおり、法相は仕事をしているだけのことです。
そんなんなら、裁判で死刑が確定しているのを放置し続けるのが、よほど問題でしょう。

さて、過去に書いたような気もしますが、ひでるさんは”死刑反対派”が大嫌いです。
罪を犯した者は、やはり相応の罰を受けるべき。
極端かもしれませんが、”たとえ一人でも殺めたなら、自らの命をもって償うべき”だと考えています。
誰が見ても、明らかに止むに止まれぬ事情あった、どうにも仕方なかった、と言う場合のみ例外としたらどうでしょうか?

だいたい、罪を犯した者の更生に時間と金をかけるくらいなら、突如身近な人を失うこととなってしまった遺族にこそ使うべきだと思いますが…。
このひでるさんの考えはおかしいですか??

ちなみに、某M氏にもようやく刑が執行されたようです。
軽く二十年です
こちらも、ここまで長い時間をかける必要があったんでしょうか。
精神鑑定とか、責任能力どうの~というのも大嫌いです。
精神的に疲労していたら、許されるの?
そんなんないでしょ。



 ★宜しければ応援クリックお願いします。  ⇒ 【人気blogランキング】


死刑囚042 (4) (ヤングジャンプ・コミックス)
小手川 ゆあ
集英社

このアイテムの詳細を見る



経久さま、喜んで松をプレゼントする 「尼子経久」3

2008年06月19日 | 歴史
のんびり気軽にさんぽがてら。
本日は、世間一般にあまり広くは知られておりませんが、「下剋上」という冠が相応しい人物「尼子経久(あまご・つねひさ)」さまについてお送りいたします。
わずか一代にて、中国地方最大の守護大名・大内氏と肩を並べるまで勢力を伸ばした尼子氏。
その当主経久は謀略を得意とした反面、人間としても大変に魅力ある方だったようなのです。


標高百八十メートルという、難攻不落な山城「月山富田城」を奇策によって易々と奪い返した経久。
そちらで遺憾なく発揮されたように、智略・謀略に優れた方でありました。

有力国人の一家・三沢氏に対し、これまた面白い手段をとっております。
深く信頼を置く家臣にわざと悪事を働かせ、三沢氏の元へ逃亡させます。
数年ほど働かせ、信頼を得た頃合に…
「尼子には恨みを抱いているので、ぜひ先導を承って仕返しをしたい」
とかなんとか、申し出させるのです。
願いを受けた三沢氏が精鋭を連れて向かうと、彼から密かに情報を得ていた経久は四方に伏兵を潜ませて待ち構えており、不意な襲撃によって散々に打ち破った…というのでした。
ちょっと出来すぎな気もしますが。
これが真実か否かはさておき、華々しい武者ぶりの直接対決より、謀をめぐらせて敵を効果的に討ち果たす、謀将だったのでした。
…なぜか中国地方には、安芸「毛利元就」、備中「宇喜多直家」など、この手に優れたタイプが多いですねー。

長亨二年(1488)
富田城を本拠とした経久は三沢氏、三刀屋氏、赤穴氏ら出雲の有力国人を次々に屈伏させております。
その頃には、完全に出雲(島根県)を平定。

永正五年(1508)
「足利義材(あしかが・よしき※1)」を奉じる、周防の守護大名「大内義興」らの軍勢に交じって上洛。
ここで「足利義澄」らの勢力と戦って、戦果を上げております。
(※1:後の十代将軍「足利義稙」です)

しかし、中央の政争に関わることを嫌ったか、利が少ないことを悟ったか、父を見習ったか、すぐさま帰国して因幡、但馬、伯耆、安芸、石見…など有力な領主が不在であった近隣諸国へ侵攻し、勢力の拡大につとめるのでした。

また、この頃になると「京極政経」より出雲守護を継いだ「京極吉童丸」を傀儡とし、事実上の実権を掌握するのです。
…以上、そうした事柄だけを見ていると、経久には非常に恐ろしいようなイメージをもつと思います。
しかし、この経久は流浪時代の苦労からか、人当たりよく、特に物を与えることで有名だったのです。

訪ねた人が刀を褒めれば刀を与え、馬を褒めれば馬を与え…と、なににつけてもそんな感じで、気前が良い経久。

出入りの者がふと庭の松の木を褒めたところ、喜んだ経久は根ごと松を掘り出し、そのままではあまりに大きかったため、わざわざ細かく割って薪の状態にして与えたというエピソードが残っているほどなのです。

お笑いのコントみたいな方だったんですね。
こうした行動に常々恐縮し、家臣らは容易に持ち物などを褒めなくなった、とまで言われます。

真心をもって人々に接する経久は、そうした家臣・国人領主は無論のこと、下々領民らまで慕う者は多く、出雲国内では絶大な人気だったのでした。
なお、天文頃での人物の逸話を紹介している「塵塚物語(ちりづか・ものがたり)」では経久のことを、「天性無欲正直の人」と評しております。

どうですか、ちょっと意外な感じでしょう?
どこかの本に「毛利元就」について、”普段は真っ当・正直な人がふと嘘をつくから騙される”と書かれておりましたが、おそらくはこの経久も普段は人懐っこい、素直な方だったのかもしれません。

⇒つづく。
 次回は「経久さま、智勇兼備の息子を失う」(4/5)

[関連記事] 【戦国武将大会】
⇒ 将軍 足利義輝 (京都・等持院)
⇒ 追放された巨星の父 「武田信虎」 [  ]
⇒ 強すぎる大将「武田勝頼」 [   
⇒ 海道一の弓取り・今川義元 [       
⇒ 蹴鞠の達人「今川氏真」 [   
⇒ 奥州の覇者…その礎「伊達輝宗」 <前編> <後編>
⇒ 地黄八幡の名将 「北条綱成」 <前編> <後編>
⇒ 隠れた名将「北条氏照」 [  
⇒ 北条家の忠実なる影 「風魔小太郎」
⇒ 伊賀流忍術の雄 「百地丹波」
⇒ 毛利元就を欺いた大将「大友宗麟」 [     
⇒ 智勇兼備の勇将 雷神「立花道雪」 [前編 中編 後編 ]
⇒ 越前の英雄「朝倉宗滴」 [     
⇒ 固辞する嫡男「毛利隆元」 [  ]
⇒ 船上の二人[長尾政景・宇佐美定満](戦国サスペンス劇場) [  ]
⇒ 山内上杉氏の防波堤 「長野業正・業盛」 <前編> <後編>
⇒ 最強軍団を撃退した北信の雄 「村上義清」 <前編> <中編> <後編>



 ★宜しければ応援クリックお願いします。  ⇒ 【人気blogランキング】


戦国妖星伝―謀将・猛将・怪将の戦国史 (別冊歴史読本 (41))

新人物往来社

このアイテムの詳細を見る

※そんなこんなで、見事経久さまもランクインしております。
 皆さま、「嘘」はここぞ、という時にだけつくものですよ(笑)

ダガーナイフ ドラクエの“アイテム”にも (秋葉原通り魔事件・産経新聞)

2008年06月15日 | ネタ
どうも、こんばんわ。
こないだの事件について、ひとつだけどうにも引っ掛かったことがありましたので、ちょっとだけ。

さてはて、世の中の闇を一刀両断するこのブログ(大嘘)
本日は『 凶器のダガーナイフ ドラクエの“アイテム”にも (秋葉原通り魔事件・産経新聞) 』です。

とりあえず、まずは↓コチラをご覧くださいませ。

殺人者はそこにいる―逃げ切れない狂気、非情の13事件 (新潮文庫)

新潮社

このアイテムの詳細を見る



■【秋葉原通り魔事件】凶器のダガーナイフ 高い殺傷力
 [産経新聞] 2008年6月9日

東京・秋葉原の無差別殺傷事件で凶器に使われた「ダガーナイフ」。
両刃で殺傷能力が高いが、ほかのナイフと同様「販売規制はないに等しい」(刃物販売業者)。

ナイフなどの販売業者によると、正当な理由なくダガーナイフなどの刃物を携帯することは銃刀法で禁じられているが、購入に関する取り決めは、業者の自主判断に委ねられている。

 平成10年、栃木県で中学教諭が生徒にバタフライナイフで刺殺された事件を受け自主規制の動きが強まったが、刃物店の同業組合に加入しないマニア向け護身具ショップには適用されない。
 ダガーナイフは、有名なゲームソフト「ドラゴンクエスト」などにも“アイテム”として登場、ゲーム好きの面を見せる加藤智大容疑者(25)をひきつけた可能性もある
---------------------------------- 。。。


えー、このブログによく来られる方は、ひでるさんが何を訴えたいのかおおよその想像がつくと思います。
そう、
”ダガーナイフは、有名なゲームソフト「ドラゴンクエスト」などにも“アイテム”として登場”
こちらですね。

ちなみに、サイトMSNでの見出しは、「【秋葉原通り魔事件】凶器のダガーナイフ ドラクエの“アイテム”にも」でした。
本当のタイトルは、上に書かれているように「凶器のダガーナイフ 高い殺傷力」なのですが…。

ダガーという武器は、ドラクエでは登場…したっけか?、程度のもの。
おまけに、各アイテムは名前だけの存在で、ビジュアルには出てこない世界なのです。
(…あ、だから逆に興味持ったという理論にもなり得るのか。まぁ、これはいいや)
しかも、逮捕された犯人からは、ネットでの書き込みについて顕著だったようですが、あまりゲームというキーワードは出てきません。

なんだかね、見出しにインパクトをつけるため、わざわざ無理やりとっつけられたような印象があるのですよ。
何度か似たようなこと書いてますが、いちいち結び付けてたらひでるさんの趣味は全て犯罪絡みになっちゃいます。

また、派遣社員であったということから、”社会の問題”という結び付けが嫌いです。
なにが問題かって、明らかに本人と親の育て方だと思うのだけれど…違います?
不自由なまま頑張っている方々だって多くいるというのに、五体満足な若い身で何を言っているのか。


マスコミはなぜ「マスゴミ」と呼ばれるのかー権力に縛られたメディアのシステムを俯瞰する
日隅 一雄
現代人文社

このアイテムの詳細を見る



さらに…

■殺人予告で大学生書類送検へ=「アキバの件で勇気わいた」-閲覧女性が連絡・大阪
 [時事通信社] 2008年6月13日

 インターネットの掲示板に「無差別殺人をおこします」などと書き込みをしたとして、大阪府警南署は13日、軽犯罪法違反(業務妨害)の疑いで、大阪市福島区に住む大阪学院大4年の男子学生(21)を近く書類送検する方針を固めた。
 男子学生は「家も学校も面白くなく、ムシャクシャしてやった」と話しているという。
 「秋葉(秋葉原)の件でこんな僕も勇気がわきました」との内容もあり、大阪市を会場とする主要8カ国(G8)財務相会合を控えた府警は、延べ数十人の警察官を動員し、警戒に当たった。 
---------------------------------- 。。。


こんな記事が目につくようになってしまいました。
なんでそう言った解釈をするかなぁ…。
先の事件を切っ掛けに、「サイトでのダガーナイフ取り扱い全面禁止」、「秋葉原の歩行者天国、当面休止」など、毎度の如く各方面に多くの影響が出ています。
願わくは、こうした模倣犯も最小限に収まり、普通の流れに戻りますように。



 ★宜しければ応援クリックお願いします。  ⇒ 【人気blogランキング】



そして殺人者は野に放たれる (新潮文庫)
日垣 隆
新潮社

このアイテムの詳細を見る



経久さま、職を失って追放される 「尼子経久」2

2008年06月12日 | 歴史
のんびり気軽にさんぽがてら。
本日は、世間一般にあまり広くは知られておりませんが、「下剋上」という冠が相応しい人物「尼子経久(あまご・つねひさ)」さまについてお送りいたします。
わずか一代にて、中国地方最大の守護大名・大内氏と肩を並べるまで勢力を伸ばした尼子氏。
その当主経久は謀略を得意とした反面、人間としても大変に魅力ある方だったようなのです。


応仁の乱の際、出雲国で活躍し、勢力を拡大させた「尼子清定(あまご・きよさだ)」
その支配をより発展させていくのが今回の主人公、「尼子経久」なのです。
経久は父・清定の嫡男で、初代の高久から数えて四代目に当たります。(※前回系図参照)
その幼名は「又四郎」
文明十年(1478)頃に家督を継いでいたらしい経久は。父の後を受けて出雲守護代にも任命されました。
切れ者であった父の遺産を引き継ぎ、順調に行くと思われた経久ですが…。

文明十四年(1482)
この頃より、経久は本来幕府へ収めるべき公用銭や所領を横領するようになっておりました。
(※国人衆を懐柔するため免除していたという過去背景があるのです。徴収を再開したことに反発したのですよ)
衰退を続ける中央権力に見切りをつけ、実力・実益を重視した、経久の新しくも柔軟な発想が伺えます。

しかし、この行動は旧権威を重視する守護「京極政経」ほか国人領主らの怒りを買うこととなり、幕命を得た政経によって、三沢氏ほか出雲の国人らが一致団結。
なんと、守護代の座を罷免すると共に、経久を富田城から追放してしまうのでした
これが文明十六年(1484)のこと。
この際に、新たな守護代としては「塩治掃部介」が出雲国へ赴任しております。

びっくり、後を継いで早々に守護代から浪人の身まで一気に落ちてしまった経久。
これはまだ二十七歳頃のこと。
人間五十年という時代でしたから、まさに働き盛りな年齢でした。

結局、二年もの間そうした暮らしが続くのですが、ここで大人しく黙っているような経久ではありません。
流罪だった身から後に幕府をひらく「源頼朝」の例が有名ですが、やっぱり単に放逐するというのは危険なことですね。
いくら残酷と言われようとも、きっちり始末をつけた方が良かったのかもしれません。

さて、放逐・潜伏したその間に、経久は山中氏ほか旧臣を少しづつ集めると共に、特技を持つ国人衆「鉢屋衆賀麻党(はちやしゅう・がまとう)」など新たな味方をも増やし、密かに勢力を拡大させていくのです。

こちらの「鉢屋衆賀麻党」とは、毎年の正月に月山富田城内にて祝いの舞を行う芸人集団で、有事には兵として参加するという、一種の技術者、忍者的と言えるかもしれない、国人なのでした。

政治・軍事は無論のこと、文学・画技、さらには二年という浪人生活にて、民にも通じるようになった経久。
一説によると、この賀麻党にも元守護代であったにもかかわらず平身低頭し、熱意こもった説得にによって、協力をとりつけたようです。
そして、この賀麻党の参加によって、彼の脳裏に描かれていた秘策は現実のものとなるのです。

文明十八年(1486)
毎年の元旦、富田城では早朝から芸人などを城内へ招き、どんちゃん騒ぎするのが習わしでした。
(※千秋万歳を舞い、鳥追いなどを行う)
経久はその芸人集団である「賀麻党」らを巧妙に武装させ、城内へ潜入させることに成功。
さらには、自らも家来らと共に城中へ潜入し、頃合を見て一斉蜂起したのです!
各所に火を放つと共に要所へ乱入。
すかさず芸人として潜んでいた賀麻党も一斉に周囲へ襲いかかり、守護代「塩治家掃部介」ほか四百から七百という数を討ち取るのでした。
こうした奇想展開な策によって、見事経久は城主へと返り咲いたのです。

⇒つづく。
 次回は「経久さま、喜んで松をプレゼントする」(3/5)


[関連記事] 【目指せ下克上! 戦国梟雄の皆様】
⇒ 北条早雲 <前編> <後編>
⇒ 松永久秀 (1) (2) (3) (4)
⇒ 美濃の蝮 「斎藤道三」 (1) (2) (3) (4)
⇒ 権謀術数の策士「宇喜多直家」 (1) (2) (3) (4) (5) (6)
⇒ 意外と知らない軍神の父 「長尾為景」 [  ]
⇒ 梟雄?名将?不確かな東北出世頭 「津軽為信」 [ ]


 ★宜しければ応援クリックお願いします。  ⇒ 【人気blogランキング】


出雲の阿国 上 改版 中公文庫 あ 32-8
有吉 佐和子
中央公論新社

このアイテムの詳細を見る

※出雲国なら、この方のが有名ですかね?

経久さま、切れ者揃いなその家系 「尼子経久」1

2008年06月08日 | 歴史
のんびり気軽にさんぽがてら。
本日は、世間一般にあまり広くは知られておりませんが、「下剋上」という冠が相応しい人物「尼子経久(あまご・つねひさ)」さまについてお送りいたします。
わずか一代にて、中国地方最大の守護大名・大内氏と肩を並べるまで勢力を伸ばした尼子氏。
その当主経久は謀略を得意とした反面、人間としても大変に魅力ある方だったようなのです。


宇多源氏の庶流、鎌倉時代では源氏方として活躍した佐々木氏が祖先という尼子氏。
室町時代では、「足利尊氏」に従って活躍した「佐々木道誉(ささき・どうよ)」の一族なのでした。
尊氏からの信頼は高く、佐々木氏は後に幕府で四職(※ほか赤松・一色・山名)のうちの一家となるのです。
なお、京の東側は京極高辻に居住したところから、「京極」を名乗るようになったのです。

さて、「京極高秀」の次男「尼子高久(※経久にとっては祖父)」の代より、姓を「京極」から「尼子」に改めました。
これは、室町時代の初期頃に近江国犬上郡甲良荘の尼子郷に高久が居住したことに由来しているそうです。
なお、「尼子」の姓は尊氏より与えられた、という説もありました。
こうして尼子姓となった高久の嫡男「尼子持久」の代に、主家である京極氏から出雲守護代に任ぜられ、出雲国に下ったことから出雲・尼子氏が始まりまるのでした。
(※なお当然ですが、京極氏が出雲守護です)

出雲国へ入った持久はさっそく足固めを開始し、京極氏が掌握できなかった三沢氏、神西氏、牛尾氏、三刀屋氏などの国人領主を配下としております。
(※ちなみに、歴史上に尼子氏の名が出るのは永享十一年(1439)からで、それ以前の詳細については不明らしい)

その子「尼子清定(あまご・きよさだ)」も守護代に任ぜられ、引き続き京極氏の出雲支配を助けております。
勃発した「応仁の乱」では、京へ出陣した守護「京極持清」の留守となった出雲をよく守ったのです。
京でも敵対していた隣国、石見・伯耆より「松田備前守」ら山名勢の侵入を不利な状況ながらも撃退。
逆襲に転じた清定は、松田氏の所領を得ることに成功しております。
さらに、国内では三沢氏ら連合軍が起こした国一揆に対し、京極氏の権威を背景にこれを打ち破るなど、勢力維持に努めるのでした。
こうした功により、より多くの領土を得ることとなった尼子氏。
守護代「尼子清定」に従って共に戦った国人衆ですが、守護京極氏の命令には従わないなど、名目だけの権威でなく、”本当に実力のある者が台頭する”という、下剋上の世となっていくのでした。
ここで、特別おまけ「尼子家系図」をご覧ください。


■尼子家系図 (※↓:子、-:兄弟、数値は家督相続者)

 佐々木定綱
     ↓
    <略>
     ↓
 佐々木道誉(高氏)
     ↓
 佐々木(京極)高秀(※道誉の三男)
        ↓
      京極高詮-1尼子高久(※以下より尼子氏)
                ↓
   詮久(出羽守)-2持久(出雲守護代)
      ↓         ↓
   近江尼子氏    3清定
                ↓
           4経久()---久幸(下野守)
             ↓
    政久----国久(新宮党)--興久(塩冶氏)
     ↓          ↓
  5晴久(詮久)      誠久-豊久-敬久  
     ↓          ↓    
6義久-倫久-秀久  氏久(養子?)-吉久-季久-常久-勝久-通久


⇒つづく。
 次回は「経久さま、職を失って追放される」(2/5)

[関連記事] 【室町時代セット】
⇒ 室町時代(歴史さんぽ)
⇒ 続・室町時代 中央政治編
⇒ 続・室町時代 地方政治編
⇒ 関東公方と関東管領 (歴史さんぽ)
⇒ 南北朝時代の若き英雄 「北畠顕家」(    
⇒ 父の背中を追う英雄 「楠木正行」(前編 中編 後編
⇒ 史上最悪の市街戦「応仁の乱」[     



 ★宜しければ応援クリックお願いします。  ⇒ 【人気blogランキング】


尼子経久―毛利が挑んだ中国の雄 (PHP文庫)
中村 整史朗
PHP研究所

このアイテムの詳細を見る

※もちろん、小説もある「経久さま」です。

せんとくん対抗「まんとくん」 地元は歓迎ムード (産経新聞)

2008年06月05日 | ネタ
こんばんわー。
以前ブログで「こわいよ、せんとくん」というような話題を取り上げましたので、続くこちらの記事も取り上げさせて頂きました。

さてはて、世の中の闇を一刀両断するこのブログ(大嘘)
本日は『 せんとくん対抗「まんとくん」 地元は歓迎ムード (産経新聞) 』です。

ソフトステージ ~菌劇場~ もやしもん P・クリソゲヌム

メガハウス

このアイテムの詳細を見る



”キモチ悪い”などと、市民に大変不評であった、平城遷都1300年祭キャラの「せんとくん」
(※以前記事・および「せんとくん」画像:「気持ち悪い」奈良の新マスコット「排斥」署名も (産経新聞)
ネットでは立ち絵以外のポーズ・イラストがいくつか出ておりましたが、コレが本当に気色悪いのです。

別にキャラは可愛ければ良いというものでもないですが、さすがにあれはどうかと。
ひでるさん、子供のころであれば、確実に泣くと思います(笑)
とかなんとかしているうち、対抗すべき新キャラが誕生したようなのです。
とりあえず、↓記事をどうぞ。


■せんとくんに対抗、今度は民間キャラ「まんとくん」 奈良のマスコット騒動
 [産経新聞] 2008年6月2日

奈良県で平成22年に開かれる「平城遷都1300年祭」のマスコットとして、市民団体が公募していた“民間キャラクター”に2日、ずんどうのシカがマントを羽織った「まんとくん」が選ばれた。
一部に不評だった主催協会の公式キャラ「せんとくん」に対抗し、デザイナーなどでつくる「クリエイターズ会議・大和」が619点の応募から独自に選んだ。

 まんとくんがかぶるのは平城宮の朱雀(すざく)門をデザインした帽子。マントには四季折々の模様があしらわれる予定だ。名前には、「万人の知恵」「万葉人」などの意味が込められているという。
 同会議は「商店街のシャッターに描いてもらうなどして遷都祭を盛り上げたい」とする一方、「関係者だけで決めた公式キャラと違い、みんなの気持ちがこもっている」と胸を張っている。

 応募を30点に絞り込み、ホームページと街頭で人気投票。埼玉県のデザイナーの作品が、5万3000票のうち5000票余りを集めトップとなった。
---------------------------------- 。。。


■せんとくん対抗「まんとくん」 地元は「使いやすい」「応援したい」歓迎ムード
 [産経新聞] 2008年6月4日(※抜粋)
 
 平城遷都1300年祭のキャラクター「せんとくん」に対抗して、地元デザイナー団体「クリエイターズ会議・大和」が2日、独自キャラクターの「まんとくん」を発表した。同祭の事業協会も認める正統派の“ゆるキャラ”ぶりに、せんとくんに反発してきた地元の商店街や寺院団体は「使いやすい」「応援したい」とコメント。おおむね歓迎ムードに包まれた。

 県庁で会見した同団体の田中功事務局長は、まんとくんの愛称に関連して「『せん』(千)より『まん』(万)の方が多い」と話し、せんとくんへの対抗意識を強くにじませた。
 また、作者のクロガネジンザさんは「着ぐるみ同士で、せんとくん兄貴とのツーショットが早く見てみたい」とのコメントを寄せた。

 一方、奈良市中心部の8商店街でつくる「市中心市街地活性化研究会」の松森重博理事長によると、「市民の手で選ばれた独自キャラを、早速シャッターに描きたいという店舗も出てきている」。
 さらに「両方を並列して使うこともできる。話題性もあるので、活性化イベントや各店舗で商品開発などが進むのでは」と相乗効果に期待する。
 JR奈良駅前の三条通ショッングモールの新堂順規理事長は「せんとくんは店頭に掲示すれば子供も逃げ出すようなデザインだったが、まんとくんは愛されるデザイン。せんとくんも排除はしないが、両キャラクターは今後、真価が問われるはず」と指摘した。
また、地元寺院の親(しん)睦(ぼく)団体「南都二六会」の橋本純信・十輪院住職は「まんとくんのデザインには違和感を感じる部分がない。公募と投票で選ばれたことも評価できる。応援していきたい」と歓迎の意向を表明した。

 新キャラクター「まんとくん」について、市民の間でも「せんとくんよりもキャラクター全体がシカっぽく、奈良がイメージできて非常にいいと思う」など、おおむね評価する声が目立った。
 一方で、容姿やネーミングを疑問視する声も。
 奈良市若葉台のフリーター、照屋翼さん(22)は「せんとくんの方がキャラクターとして面白いし、まんとくんはインパクトが薄い。『遷都祭』とどう関係あるかも今ひとつ分からない」と話した。
---------------------------------- 。。。



こちらが噂の「まんとくん」です。 画像:クリエイターズ会議・大和より

うん、可愛いですね。
とりあえず、いかにも”地方イベント用マスコット”という具合に落ち着いたと思います。
上記事にて書かれているように、確かに単独でのインパクトは薄いですが、せっかくこうして全国区になったのだから、それを逆手に取ってコンビで売り出すのが最も効果的でしょう。
善VS悪、みたいな感じで(どっちが善でどっちが悪かはあえて書きませんが。わはは)

「まんとくん」という名前も色々な意味で良いですね。
ぜひ、商店街に飾られ、また商品化された暁には、奈良を訪れたいと思います。
ぬいぐるみとか欲しいなぁ。

チーズスイートホーム 等身大ぬいぐるみ「猫、等身大になる。」眠り

タカラトミー

このアイテムの詳細を見る


ところで、「せんとくん」の批判は何もキャラクターだけでなく、誕生の経緯にまで至っているようでした。
もしもお時間あるなら、ぜひこちらの↓記事もどうぞ。


■「500万円は妥当」批判殺到マスコットの作者、冷静に回答
 [産経新聞] 2008年3月7日(※抜粋)

2010年に奈良県で開催される「平城遷都1300年祭」のマスコットキャラクターのデザインに批判が殺到している問題で、マスコットを制作した東京芸術大学の籔内佐斗司教授がメールで寄せられた批判意見に回答、自身のホームページにその内容を掲載している。
 籔内教授が回答したのは20件以上におよぶ意見について。「気持ち悪い」といった批判については「第一印象に好き嫌いが出るのはやむをえないことと思いますが、なんとかご理解頂けるよう、努力していくつもりです」などと応じた。また「シカの角が生えた童子」のデザインに決めた理由にも触れられ、感情的な意見に対しては冷静に事態を見守るよう呼びかける内容となっている。

 デザイン料、著作権料の500万円という金額については「著作権収益の全額譲渡も含んだ金額ですので、新規のロゴマークやキャラクターのデザイン料としては妥当な金額」との認識を示した。
 寄せられたメールのなかには、コンペにあたって籔内教授を指名した広告代理店や、選考に関わった事業協会に対して向けられるべき苦情も多く、籔内教授が苦言を呈する一幕も。
 同マスコットは、奈良県などでつくる事業協会が2月12日に発表、愛称の募集を開始した。
 ネット上でその存在が知れ渡るやいなや「気持ち悪い」「仏に対する侮辱」「子供が泣き出す」などの批判が噴出。
 また、デザインを一般公募しなかったこと、選考に市民が関われなかったことにも疑問の声が挙がっている。
---------------------------------- 。。。


とりあえず問題点をまとめると…
い) キャラクターについて、事業協会が勝手に決めてしまった。
ろ) 残念ながら、なぜか市民から不評が出るようなキャラが決定された。
は) 愛称は公募としたものの、元がそんなんでは批判止まらず、手遅れだった。
に) ついでに、デザイン料、著作権料として500万円も払っていることが発覚した。

スマイルスライム ぬいぐるみ S スライム ブルー

スクウェア・エニックス

このアイテムの詳細を見る


ちなみに、「せんとくん」という愛称の公募に寄せられたのは1万4539件。
一方、「まんとくん」のキャラ公募は600件以上。
その投票では、5万3000票以上だったそうです。 
(※街頭では4553票(商店街等で1,600票以上、近鉄奈良駅前の投票では2,800票ほか)、webでは49,003票)

そうそう、ちなみに採用賞金は、基本賞金5万円+賞金カンパ全額6万4950円なのだとか。
これら数字が、今回騒動のいろいろなものを語っているような気がしました。

ちなみに、デザインされた籔内さんのHPには彫刻家らしく「せんとくん」の立体モデルが!
これがまた写真の具合も手伝って、やたらめったら怖かったです
まぁ、確かにインパクト面では「せんとくん」かなぁ…。




 ★宜しければ応援クリックお願いします。  ⇒ 【人気blogランキング】

ゆるキャラの本 (扶桑社サブカルPB)
みうら じゅん
扶桑社

このアイテムの詳細を見る


ゆるキャラ大図鑑
みうら じゅん
扶桑社

このアイテムの詳細を見る


普賢菩薩 (仏像・菩薩)

2008年06月01日 | 仏像
のんびり気軽にさんぽがてら。
本日は、一般の方にはおそらくマイナー系仏像であろうと思う、「普賢菩薩(ふげん・ぼさつ)」についてです。

どうですか、あまり聞かないお名前ではないですか?
しかし、実は記憶なくともけっこうあちこちで見かけていると思うんですね。

なぜかって、この方は「釈迦如来」のお隣にいることが多い(※脇侍なの)のでした。
仏像辞典みたいな類のものでは、必ず最初に登場してくる超メジャーな仏像とグループを組んでいるのですから、そりゃー出番としては多い訳なのですよ。

…ただ、もう一方に控えている相棒が「文殊菩薩」であったのが、彼の不幸の始まり。
三人寄れば文殊の知恵
という言葉でもおなじみな「文殊菩薩」は、そちらの使い勝手の良さも手伝って”よく分かんないけどなんかお利口さんな神様らしい”、”詳しく知らないけど、できればあやかりたい”、ということで、現代でも多くの人々に親しまれているのでした。
ほら、「辰巳琢郎」さんみたいなもんですよ。

そんなこんなで、超メジャー級なリーダーと賢い人気者である相棒がため、たとえ三人並んでいるところを見られたとしても…

「ああ、これがお釈迦様なんだ」
「文殊ってのはこんなんなのかー」

…と、他の二人が必要以上に目立ってしまうため、どうしても忘れ去られてしまう地味で気の毒な存在だったのです。
コント赤信号ですね(笑)


さて、そんな「普賢菩薩」なんですが、実際にはスゴい方。
梵名「サマンタバドラ」の訳が「普賢」となります。

このうち、「サマンタ」というのはどっかの魔女の奥様ではなく、「普く(あまね・く)」という意味。
…これだとやや分かりづらいですね。
広く、みたいなことです。(←実は念のため辞書をひいたひでるさん)

「バトラ」とは「うみねこのなく頃に」の主人公でも当然なく、「賢い」を意味しております。

要するに、一切の処、あらゆる時に現れ、方便を持って人々を救う神様
賢者みたいな働きをするという観音さまなのでした。

「華厳経(けごんきょう)」の「普賢行願品(ふげんぎょうがんぼん)」では、
0) 礼敬諸仏(らいきょうしょぶつ) …諸仏を敬うこと。 
1) 称讃如来(しょうさんにょらい) …如来の功徳をほめたたえること。
2) 広修供養(こうしゅうくよう) …広く供養を行うこと。
3) 懺悔業障(ざんげごっしょう) …悟りを得るため悪い行為を悔いること。
4) 随喜功徳(ずいきくどく) …よい果報を得られるような善行をし、喜ぶこと。
5) 請転法輪(しょうてんぼうりん) …仏の教法を説き・請うこと。
6) 請仏住世(しょうぶつじゅうせ) …仏が世に住まうのを請うこと。
7) 常随仏学(じょうずいぶつがく) …常に仏に従って学ぶこと。
8) 恒順衆生(ごうじゅんしゅじょう) …常に衆生に従うこと。
9) 普皆廻向(ふかいえこう)  …善行の結果を自己や他者のために向けること。

…だいたいそんな感じである、十の広大な誓願(十大願)を発せられており、さらに”全てが尽きてもこの願は尽きない”という大きな誓いを立てております。
まぁ、なんだかよく分からん(笑)けど、すごそうでしょ?

盛んに制作されたのは平安時代の後期。
「法華経(ほけきょう)」の「提婆達多品(だいばだったぼん)」にて、八歳の竜女の成仏を記しており、そこでは女人往生が説かれております。
そんな訳で、その頃に広く伝わっていた浄土思想とともに極楽往生を願う女性たちの信仰を大いに集めたのだとか
他にも色々ありましたが、これ以上書くのめんどくさいのでこのへんに。


さて、見分け方ですが、「文殊菩薩」とともに”大乗仏教の菩薩の上首”という「普賢菩薩」さま。
「釈迦如来」が三尊形式をとっている「釈迦三尊像」の場合は、右脇侍(正面に見た場合は左にいるのね)です。
この際は、持物・印相とも一定しておらず、立像・坐像などさまざま。
もし、白象に騎乗していたらそっちです。

単独象も一定していないことがほとんどで、比較的多いのは合掌印(※平安時代に盛んであった法華教の影響なのだとか)で結跏趺坐が多いです。
最大の特徴は、やっぱり白象に騎乗している方がそうなのですね。
またがっておらず、たいてい蓮華に座ってます。

もしも、三頭、四頭という複数の白象が背にする蓮華座に座っていたなら、それは「普賢延命菩薩」です。
二臂のほか二十臂なんて像もあり、きわめて複雑。
奈良・法隆寺には、平安時代の「普賢延命菩薩像」が残ってます。こちらは重文。

さらに、一緒に五名ほどいたならば、平安時代にフィーバーしたという「普賢五尊像」です。
(※優塡王[うでんおう]、最勝老人[さいしょうろうじん]、仏陀波利三蔵[ぶっだはりさんぞう]、善財童子[ぜんざいどうじ]の四名と普賢さま)
最も古いとされているのが、高知・竹林寺に。ほか、岩手・中尊寺にもあります。

さらに・さらに、一緒に女天っぽい十名がいるならば、眷属とされている十羅刹女(じゅうらせつにょ)を率いる、「普賢十羅刹女」になります。
(※尼藍婆[にらんば]、毘藍婆[びらんば]、曲歯[こくし]、華歯[けし]、黒歯[こくし]、多髪[たはつ]、無厭足[むえんそく]、持瓔珞[じようらく]、皇諦[こうたい]、奪一切衆生精気[だついっさいしゅじょうしょうけ])
これはたぶん仏画だけかな。奈良国立博物館などで見られます。

最後に有難い真言をば。
「おん、ばざらゆせい、そわか」
こちらを唱えれば災いを避け、福徳を得て、寿命を延ばすことができるのだとか…。



[関連記事] 【観音・菩薩・天部などいろいろ】
⇒ 仏像の種類 (お父さんのための仏像講座) [前編] [後編]
⇒ 国宝・弥勒菩薩半跏思惟像 (京都・広隆寺)
⇒ 弥勒菩薩 (仏像・菩薩)
⇒ 勢至菩薩 (仏像・菩薩)
⇒ 般若菩薩 (仏像・菩薩)
⇒ 千体観音堂(京都・三十三間堂)
⇒ 十一面観世音菩薩 (仏像・菩薩)
⇒ 千手観音菩薩 (仏像・菩薩)
⇒ 重文 木像聖観世音菩薩立像 (秦野・宝蓮寺)
⇒ 楊貴妃観音 (京都・泉涌寺)
⇒ 如意輪観音
⇒ 馬頭観音
⇒ 不空絹索観音
⇒ 執金剛神・仁王像
⇒ 日光菩薩・月光菩薩
⇒ 二十五菩薩
⇒ 地蔵菩薩・半跏坐像 地蔵菩薩半跏像
⇒ 毘沙門天 (仏像・天部) 前編 後編
⇒ 兜跋毘沙門天
⇒ 大黒天 (仏像・天部) 仏像編 信仰編
⇒ 荼吉尼天
⇒ 摩利支天
⇒ 韋駄天
⇒ 阿修羅 (八部衆)
⇒ 大天狗像
⇒ 千二百羅漢像 びんずるさま


 ★宜しければ応援クリックお願いします。  ⇒ 【人気blogランキング】


※今回のネタ集めです。

大映テレビ ドラマシリーズ 少女に何が起ったか

エイベックス・トラックス

このアイテムの詳細を見る


伊東四朗一座 ~旗揚げ解散公演~ 喜劇 熱海迷宮事件

アミューズソフトエンタテインメント

このアイテムの詳細を見る


奥さまは魔女 2nd Season DVD-BOX

ソニー・ピクチャーズエンタテインメント

このアイテムの詳細を見る


うみねこのなく頃に Episode1 真相解明読本
ブレインナビ
双葉社

このアイテムの詳細を見る