お寺さんぽ Ver.03

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将軍 足利義輝 (京都・等持院)

2006年02月13日 | 歴史
のんびり気軽にさんぽがてら。
本日は以前も紹介しました等持院、そこに木像でおわしました足利義輝将軍です。

暴れん坊将軍、実写版。
あ、正確には実写でなくて実在版ですね。
いいですか、サンバの人ではないですよー(笑)

という訳で足利義輝。
室町幕府はその性質上地盤が脆く、安定していたのは3代義満の頃くらいで
後は小競り合いやら合戦やら、落ち着くことなくガタガタしていました。
実際に「戦国時代」という明確な線引きはありませんが、ちょうどその
真っ只中に将軍となったのがこの義輝さまです。

なにせ乱れた世の中ですから、13代将軍になった時もわずか11歳。
ドロドロとした政治的な力で父義晴より将軍職を譲り受けました。
彼の後押しをしたのは中央の実力者細川晴元。
要するに傀儡としたかったんですね。
政争は酷く醜く、その細川晴元・三好長慶・六角義賢らが奪い合いをし、
最終的に幕府の実権を握ったのは晴元の元家臣であった三好長慶でした。

実権はないものの、成長した義輝は復権を目指して精力的に活動します。
(抗争の調停とか、有力大名との会見とか…)
特に三好長慶の病死後はますます動きを活発化させ、彼の後釜を狙っていた
松永久秀(ちなみにこの人は長慶の元家臣)にとっては実に厄介な存在と
なっていました。

久秀は義輝の従兄弟足利義栄を立て、ついに二条御所を襲います。
享年29歳。

あー、長かった。
書きたかったのは↑そんな流れでなく、彼の最期。

かの剣豪、塚原卜伝から免許皆伝を受けた腕前でまたの名を剣豪将軍。
二条御所襲撃の際、彼は刀を畳へ何本も刺し、迫る敵兵を次から次へと
斬っていったそうです。
ほら、時代劇と違って連続で人は斬れないので、とにかく無数の刀が必要
だったんですね。
斬っては次の刀、斬っては次の刀…。
でも衆寡敵せず、討死してしまいました。
歴代将軍の中でも凄まじい死に様だったそうです。



[住所] 等持院 京都市北区等持院北町等持院


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2 コメント

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うーん、すごい (京都検定ブログ人)
2006-02-13 15:34:21
 こんにちは、室町時代は確かに小さなごたごたが多かった時代ですね。しかし、この将軍最後は、めっちゃ凄惨ですね。ではー
皮肉なもので (ひでる)
2006-02-14 22:46:47
のほほんとした将軍が多い中で、珍しく気概ある、しっかりした方だったようですねー。
逆にそれが命取りになってしまうんですが…。

「京都検定」ブログ楽しみにしてます。

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