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のんびり気軽にさんぽがてら。
本日は…現代ではあまり名前が出なくて地味めですが、当時の人々は誰しもが「彼はスゴい方だ!」とその才覚を認めていた、歴史に隠れた英気「蒲生氏郷(がもう・うじさと)」をお送りします。
(※写真が「蒲生氏郷」くんです。意外に穏やかな顔ですよね)
十二歳の凛々しい若武者氏郷くんは人生の転機を迎えようとしていたのでした。
永禄十二年(1568)
尾張を統一し、桶狭間で「今川義元」の大軍を破った新進気鋭の「織田信長」
信長は続いて美濃・斎藤氏をも下し、急速に領土を拡大していました。
一方、細川・三好らと共に中央で威勢をふるっていた六角氏。
しかし、この頃には若い当主で活気づく北近江・小谷城「浅井長政」の伸長により、押され気味だったのです。
この浅井氏を支援していたのが、父の代から同盟関係にある越前・朝倉氏。
さらには、美貌の妹「お市の方」を送って婚姻関係を結んでいた尾張・織田氏でした。
また、その頃中央では将軍「足利義輝」を殺害した三好・松永一派が将軍「足利義栄」を擁立し、政権をとっていました。
邪魔な存在だった義輝の弟「足利義昭」は捕らえられ、投獄されていたのです。
しかし、「細川藤孝」らの機転で密かに牢より脱出すると、
「兄を殺した逆賊を討つ!」
…と宣言し、密かに返り咲く機会を伺っていたのです。
そんな「足利義昭」は越前にて浪人「明智光秀」の斡旋を受け、流浪の将軍は「織田信長」と運命の出会いを果たします。
中央への進出を狙っていた信長はこれを逃さず、すぐさま上洛の軍を起こすのでした。
こうして、上洛する織田軍に抗したのが、先に登場した三好一派と六角氏だったのです。
動員した大軍を率いて上洛を目指す織田勢。
比較的気候や物資に恵まれ、また目まぐるしく権力者が替わることが当然だった中央の兵は弱く・脆く、六角氏の居城「観音寺城」を始め、緒城は織田勢によってことごとく陥落するのでした。
役者が違う、というやつですかね。
さて、「蒲生賢秀」の守備する「日野城」も織田勢に囲まれ、よく防戦するも不利な状況は覆らずに陥落。
賢秀は当時十三歳となっていた「鶴千代(つるちよ:氏郷の幼名)」を人質に差し出し、やむなく降伏するのでした。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/hiyo_oro.gif)
⇒ つづく
次回は「この子の行く末は百万の将たるべし!」
[関連記事] 【織田政権セット】
⇒ 人間五十年…の幸若舞「敦盛」
⇒ 信長の正妻「濃姫」(京都・総見院)
⇒ 米のような必需人「丹羽長秀」 前編 後編
⇒ 竹中半兵衛重治 (1)(2)(3)(4)(5)(6)
⇒ 迷う明智光秀「おみくじを引く人間心理」
⇒ 明智光秀の誤算「歴史を動かした手紙」
⇒ 謀反の理由は?「本能寺跡地」
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※うわ、コレちょっと本気で欲しいと思ってます。
本日は…現代ではあまり名前が出なくて地味めですが、当時の人々は誰しもが「彼はスゴい方だ!」とその才覚を認めていた、歴史に隠れた英気「蒲生氏郷(がもう・うじさと)」をお送りします。
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十二歳の凛々しい若武者氏郷くんは人生の転機を迎えようとしていたのでした。
永禄十二年(1568)
尾張を統一し、桶狭間で「今川義元」の大軍を破った新進気鋭の「織田信長」
信長は続いて美濃・斎藤氏をも下し、急速に領土を拡大していました。
一方、細川・三好らと共に中央で威勢をふるっていた六角氏。
しかし、この頃には若い当主で活気づく北近江・小谷城「浅井長政」の伸長により、押され気味だったのです。
この浅井氏を支援していたのが、父の代から同盟関係にある越前・朝倉氏。
さらには、美貌の妹「お市の方」を送って婚姻関係を結んでいた尾張・織田氏でした。
また、その頃中央では将軍「足利義輝」を殺害した三好・松永一派が将軍「足利義栄」を擁立し、政権をとっていました。
邪魔な存在だった義輝の弟「足利義昭」は捕らえられ、投獄されていたのです。
しかし、「細川藤孝」らの機転で密かに牢より脱出すると、
「兄を殺した逆賊を討つ!」
…と宣言し、密かに返り咲く機会を伺っていたのです。
そんな「足利義昭」は越前にて浪人「明智光秀」の斡旋を受け、流浪の将軍は「織田信長」と運命の出会いを果たします。
中央への進出を狙っていた信長はこれを逃さず、すぐさま上洛の軍を起こすのでした。
こうして、上洛する織田軍に抗したのが、先に登場した三好一派と六角氏だったのです。
動員した大軍を率いて上洛を目指す織田勢。
比較的気候や物資に恵まれ、また目まぐるしく権力者が替わることが当然だった中央の兵は弱く・脆く、六角氏の居城「観音寺城」を始め、緒城は織田勢によってことごとく陥落するのでした。
役者が違う、というやつですかね。
さて、「蒲生賢秀」の守備する「日野城」も織田勢に囲まれ、よく防戦するも不利な状況は覆らずに陥落。
賢秀は当時十三歳となっていた「鶴千代(つるちよ:氏郷の幼名)」を人質に差し出し、やむなく降伏するのでした。
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⇒ つづく
次回は「この子の行く末は百万の将たるべし!」
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