お寺さんぽ Ver.03

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名門・今川家の義元さま 「海道一の弓取り・今川義元」1

2006年10月02日 | 歴史
のんびり気軽にさんぽがてら。
本日はたった一戦で後世の評価がひっくり返ってしまった気の毒さんの代表格。
駿遠三の太守、海道一の弓取りこと「今川義元」です。

ああっ、義元さま…。
この人はお伽話「金太郎」でいうところの「熊」でして、信長がこんだけ凄ェという、ダシにされてしまっている方なんですね。
あちこちの歴史家の方々には、いや実際は大したものだった、と再評価されている義元さまですが、一般的にはまだ公家の格好した「おじゃる」口調のお馬鹿さん(そこまで酷くないか?)というイメージだと思われますので、ここで援護射撃をしたいと思いました。

ひでるさんは好きですよ、「義元さまwith今川家」
…まぁ、んなら仕えたいか、と問われれば答えに詰まるんですが(笑)
うふふ…。


今川家は清和源氏・八幡太郎義家を祖とする、ものスゴイ名門な家柄です。
室町幕府を開いた足利氏の一門、吉良氏の庶流で、”愛知県西尾市今川町”を本拠としたことから、今川氏を名乗るようになりました。

御所が絶えなば吉良が継ぎ、吉良が絶えなば今川が継ぐ

…と、言われていたほどなのです。
いいですか、今川家は単なる守護大名家風情とは段違いに格が違うのですよ。
しかし、四代・範政から範忠、六代・義忠から氏親など、あちこちで相続問題が頻発し、無益な内乱を続けてしまいます。

こんな今川家をまとめて中興したのが、関東の切れ者「北条早雲」の助けを借りて家督を継いだ「今川氏親(いまがわ・うじちか)」なのです。
駿河、遠江から三河にまで勢力拡大をした氏親の死後、その嫡男「今川氏輝」が相続。
氏輝は隣国相模の「北条氏綱」と連携し、甲斐「武田信虎」らと戦っていました。

この兄「氏輝」がおりましたから、五男であった「今川義元」はお寺へ預けられることとなり、「梅岳承芳(ばいがくしゅうほう)」との名乗りで京都にて僧の道を地道に歩んでいました。
建仁寺や妙心寺で修行をしていたようなんですね。

なお、この際につけられていた彼の教育係が有名な「雪斎」さまなのです。
この「太原崇孚雪斎(たいげんすうふ・せっさい)」はもともと今川一族出身の方で、義元が還俗してからはほぼ軍師的な存在になっていくのでした。
…ほら、あれよ。
伊達政宗の教育係は有名な「虎哉宗乙(こさいそういつ)」でしたが、彼がずっと隣に控えていたようなものなんですね。

⇒つづく。 次回は「花倉の乱と義元さま」

[関連記事]
⇒ 武家の名門「清和源氏」とは?
⇒ 北条早雲 <前編> <後編>
⇒ 追放された巨星の父 「武田信虎」 [  ]
⇒ 奥州の覇者…その礎「伊達輝宗」 <前編> <後編>

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