お寺さんぽ Ver.03

現在は更新をお休みしています。

川越大師 喜多院 (埼玉県川越市)

2011年01月30日 | お寺
のんびり気軽にさんぽがてら。
本日は、埼玉県は川越市、川越大師として有名な「喜多院(きたいん)」です。

人がいっぱいでしたよ。
さっすがに人気施設でしたねー。
特に「五百羅漢」はぼーっと眺めるだけでも楽しいと思います。
ほかにも、この周辺には古い街並みや川越城址、お子様向けの菓子屋横丁など、ぶらり観光には楽しいところでした。



時代は天長七年(830)、平安時代。
淳和天皇の勅命により、「慈覚大師」こと「円仁(えんにん)」によって創建されました。
なお、お手の起源にはもう1つ。
伝説では、仙波(せんば)あたりの海水を「仙芳仙人(せんぽう・せんにん)」という方が法力によって取り除き、仏像を安置したのだとか。
なんでわざわざ海水取り除いちゃったのか知りませんが、そんなんもあるみたい。
ともかく「円仁」はここに本尊「阿弥陀如来」ほか「不動明王」、「毘沙門天」などをを祀り、「無量寿寺」を建立したのでした。

その後、元久二年(1205)は鎌倉時代のこと。
こちらが兵火によって焼失してしまうと、永仁四年(1296)に「伏見天皇」の勅命によって「尊海」僧正が再興。
この際に「慈恵大師」を祀り、五十石を持つ関東・天台衆の中心とされました。
さらに正安三年(1301)では、「後伏見天皇」が東国五百八十もの寺を支配下とする本山に指定したのです。
現在の山号である「星野山」は、その数代後の「後奈良天皇」が与えています。
(※後伏見:九十三代~後奈良:百五代)
長く天皇家と繋がっていたんですね。

なお、戦国時代にも兵火によって焼失しております。
天文六年(1537)で「上杉朝定」・「北条氏綱」の争いは、川越城奪取の時みたい。
(※ちなみに「川越城夜戦」は天文十四年(1545年)のこと)

慶長四年(1599)には「徳川家康」の側近として有名な「天海」が住職となり、寺号を「喜多院」としています。
この結びつきによって川越藩主となった「酒井忠利」に再興を命じ、寺領は五百石に増加。
さらに「徳川家綱」の時代には二百石を追加されるなどその庇護を受け、大寺院となったのでした



お寺も凄いですが、「喜多院」でのメインはやっぱり「五百羅漢」
”日本三大羅漢”だそうです。
他には鎌倉「建長寺」、大分「耶馬渓羅漢寺」、栃木「徳蔵寺」…ってあれ?
そっちは”日本三大羅漢寺”なのかな。
まぁいいか。



川越北田島の志誠(しじょう)の発願によって、約五十年ほどで作られたようです。
(※天明二年(1782)から文政八年(1825)の間)
これが表情豊かで、見て回るだけでも面白いので必見。
石仏なので写真も撮り放題ですし。
中央には「釈迦如来」、「文殊菩薩」、「普賢菩薩」もおり、なかなか豪華。
全部で五百三十八体あるそうでした。

なお、深夜に羅漢像の頭をなでると、一つだけ必ず温かいものがあるそうです。
それは…亡くなった親の顔に似ている…というような言い伝えが残っていました。
ちとおっかないですね。



お寺には他に「春日局化粧の間」などの重要文化財も多く、「慈眼堂」や最古(寛永十五年)の建造物「山門」など、広い境内で色々と楽しめると思います。


[住所]
 川越大師「喜多院」 埼玉県川越市小仙波町1-20-1


[関連記事]
⇒ お寺バンザイ! (たまに行くならこんな寺・京都編)
⇒ お寺バンザイ! (たまに行くならこんな寺・京都外地域編)
⇒ 日本三大奇襲戦の一つ「河越城夜戦」 [  ]
⇒ カフェソフト (川越・菓子屋横丁そば「ちもと」) 


 ★宜しければ応援クリックお願いします。  ⇒ 【人気blogランキング】



小江戸川越見て歩き (見て歩きシリーズNEW8)
クリエーター情報なし
幹書房

※歴史的施設も多く、なかなか面白い土地です。
 都内からも近いのでふらりと遊びに行くにも最適。

不思議な美味さ「アイスコルネット」 (広島・宮島)

2011年01月23日 | ネタ
のんびり気軽にさんぽがてら。
本日はひでる食べ歩きシリーズ、広島県は宮島にありました「コルネット」です。

ついに行ってきました、日本三景のラスト「宮島」
良かったですよー。
人工物な建物と自然が合わさって絵ハガキのようでした。
三景のうちベストではないかなぁ。

さて、本日はその「厳島神社」ではなく…毎度の如くでソフトクリームです。
不思議な美味さの「アイスコルネット」を食べてきました。



静岡が本店で、車両による移動販売がメインというこちら。
東京、大阪など数店舗あるうち、ちょうど広島は宮島にも店舗があったので、そちらへ行ってきました。
TVでも有名だそうなんですが…ぶっちゃけ、これが初見。
やや地元名物っぽくはないですが、まぁいいでしょう。
広島なら、”もみじまんじゅうソフト”とかあれば、もっとも適当だったんですけどね。
ソレどんなんだか想像もつきませんが。

味には色々と種類がありました。
基本はバニラで、ブレンドしているみたい。
そのうち、スタンダードな「バニラコルネット」が人気ナンバーワンということで、やはりそちらにしてみました。
寒いなか、きっちり食べてきましたよ(笑)



ソフトクリーム部分はそのまま。
クドくない甘さで、大人にもちょうど良いくらい。
揚げパン部分は普通に持てる程度の熱さで、ふっくらモチモチ。
それぞれ単体で食べてもぜんぜん良いと思いますが、これらが組み合わさることで適度な冷たさと甘さが揚げパンに加わっていました。
なるほど、これは美味い。
トロトロ溶けるのには注意。
あまり時間かけず、さっと食べるのがいいでしょうね。

【おすすめ★メーター】 『 アイスコルネット 』
■■■■■ 5Point …これは美味い。あったかつめたいのが心地よいです。

いかがでしょう?
揚げパンの油っぽい部分と、適度な甘さのアイスが丁度良いですね。

 コルネット みせん店 広島県廿日市宮島町593
 TEL:0829-40-2370
※詳しくはHPにてどうぞ。


[関連記事] 【ひでるグルメレポート特集】
⇒ そうめん 仁和寺(京都)
⇒ ひやしあめ (神護寺・売店)
⇒ 続・ひやしあめ (柴又・題経寺周辺)
⇒ 八つ橋ソフト(京都・おたべ)
⇒ ゆばソフトクリーム (日光)
⇒ ずんだ抹茶ソフトクリーム (仙台・松島)
⇒ 紫いもソフトクリーム (神奈川・鎌倉)
⇒ 浅草もんじゃまん (東京・浅草寺)
⇒ ほうじ茶そふとくりーむ (滋賀・石山寺)
⇒ 八丁味噌ソフトクリーム (愛知・名古屋城)
⇒ 和のしずく ~抹茶あん~(ロッテ)
⇒ しそソフトクリーム (京都大原・三千院付近) 
⇒ 京野菜ソフトクリーム (京都・嵐山付近) 
⇒ お米から生まれた清涼飲料「ビアンラルク」 (岩手県遠野市) 
⇒ 金箔ソフト (石川県・今井金箔) 
⇒ とちおとめイチゴソフト (栃木・鬼怒川温泉) 
⇒ 北條五代祭り弁当 (小田原・東華軒) 
⇒ ディッピンドッツ・アイスクリーム (東京ジョイポリス) 
⇒ 激辛!わさびソフトクリーム (伊豆・修禅寺付近) 
⇒ 権現力ソフトクリーム (高尾山・薬王院) 
⇒ 冷たい抹茶 (京都・高台寺付近) 
⇒ カフェソフト (川越・菓子屋横丁そば「ちもと」) 
⇒ 缶コーヒーとなった十名の武将 (ジョージア・戦国武将シリーズ) 
⇒ 武田信玄ゆかりの味噌鍋うどん (キンレイ・冷凍食品) 
⇒ 上杉謙信 越後産味噌を使った寄せ鍋うどん (キンレイ・冷凍食品)
⇒ コンビニ限定 戦国騎馬武将 (サントリー・コーヒーボス)
⇒ レモン牛乳 (栃木・宇都宮)
⇒ 信玄アイス (山梨・甲斐善光寺)
⇒ 巨峰のソフトクリーム (山梨・恵林寺)



 ★宜しければ応援クリックお願いします。  ⇒ 【人気blogランキング】


みんな大好き!揚げパンは人気者―オーブンがいらないパン作り40品
栗原 みな子
文化出版局

※給食世代は、”揚げパン”と聞くだけでわくわくしませんか?
 やったらうまく感じるんですよねー。

壮絶・龍造寺四天王 (沖田畷合戦6)

2011年01月16日 | 歴史
のんびり気軽にさんぽがてら。
本日は九州の覇者決定戦というべき合戦の一つ、「沖田畷合戦(おきたなわて・かっせん)」の決着・その後についてです。

天正十二年(1584) 三月
天下人への道を進んでいた「織田信長」の死から二年後。
九州では、九州戦国史のクライマックスというべき、島津・龍造寺という両雄の激突・覇権争いが行われていました。
沖田畷にて、守備陣形で待ち構える「島津家久」
兵力に勝る「龍造寺隆信(りゅうぞうじ・たかのぶ)」は序盤から力押しに押していましたが、家久の仕掛けた島津得意の”釣り野伏”の術中にはまってしまったのです。
左右累壁からの攻撃によって先鋒隊が崩されると、縦に細長く伸びていた全軍に影響。
湿地帯で思ったような動きが取れない龍造寺勢は、まるで将棋倒しのように全軍が崩されてしまうのでした。


総崩れとなった龍造寺勢。
囲まれた主だった将、龍造寺四天王の「成松信勝」、「百武賢兼」、「江里口信常」、「円城寺信胤」らも、ことごとく討死。
うち、「百武賢兼」は隆信を逃がすべく急襲の島津勢に向かい、主従四十名がことごとく討死。
「円城寺信胤」は隆信と同じ出で立ちで影武者を務めていましたが、味方が劣勢となる中で
我こそは龍造寺山城守隆信である!
そう名乗って突撃し、討死。
信胤と共に戦奉行を務め、本陣を守って奮戦していた「成松信勝」も名乗りを上げて敵中へと突撃し、主君の跡を追っています。

また、「江里口信常」は隆信の討死後に家久の陣中へと肉薄したものの、ぎりぎりで発見され、その家来に斬られています。
この際、敵将ながら剛直さに感動した家久は、「無双の剛の者、助けよ、助けよ」と皆を制止したものの間に合わず、
子があれば養子に申し受けたい
そう言ったそうです。

肥満のため、合戦では駕籠に乗っていたという総大将「龍造寺隆信」
本陣・背後にての斬り合いを、当初は味方の喧嘩だと勘違いしたそうです。
そう、彼が気付いた頃には、すっかり敵勢に囲まれていたのでした。
それほどの油断があったのですね。
駕籠は六名の配下に担ぎ手をさせて指揮を取っていましたが、最終的には彼らにも見捨てられ、島津方の「川上左京」に討ち取られるのでした。
享年五十六。

こうして、龍造寺勢は当主を失い、また総勢で二千という戦死者を出す大敗となったのでした

右翼にて軍を支えていた重臣「鍋島直茂」
こちらも、中央部隊の壊滅によって総崩れになっています。
なお、龍造寺四天王にも数えられる「木下昌直」は総崩れとなった後に殿軍を務め、直茂の戦線離脱を見届けた上で敵中へと斬り込み、ここで壮絶な討死をしています。
隆信の子「龍造寺政家」が病弱で戦国武将としての才もなく、国政は直茂が代行していくこととなるのでした。




[関連記事] 【中期・合戦祭り】
⇒ 史上最悪の市街戦「応仁の乱」[     
⇒ 日本三大奇襲戦の一つ「河越城夜戦」 [  ]
⇒ 日本三大奇襲戦の一つ「厳島の戦い」 [  ]
⇒ 地獄絵図の鳥取城「鳥取城合戦」 [     
⇒ 姫若子、ついに初陣! 「長浜合戦」 [   ]
⇒ 伊東侵攻・義弘、不利な戦況に挑む「木崎原合戦」[  
⇒ 炸裂!島津得意の釣り野伏! 「耳川合戦」 [  ]
⇒ 激突・関白軍勢対九州の覇者 「戸次川合戦」 [   ]
⇒ 徳川勢は本当に活躍した?「姉川合戦」[      探訪
⇒ はねる謙信逃げる信長 「手取川合戦」[    
⇒ 戦国メロドラマ劇場「岩村城攻防戦」[    
⇒ 戦国最強軍団の落日「長篠合戦」[    


 ★宜しければ応援クリックお願いします。  ⇒ 【人気blogランキング】


戦国時代人物事典
クリエーター情報なし
学習研究社

※こちらを書店で探しています。
 やっぱりどんなんか見てから買いたいですもんね。

炸裂・島津得意の”釣り野伏” (沖田畷合戦5)

2011年01月09日 | 歴史
のんびり気軽にさんぽがてら。
本日は九州の覇者決定戦というべき合戦の一つ、「沖田畷合戦(おきたなわて・かっせん)」についてです。

天正十二年(1584) 三月
天下人への道を進んでいた「織田信長」の死から二年後。
九州では、九州戦国史のクライマックスというべき、島津・龍造寺という両雄の激突・覇権争いが行われていました。
肥前島原「有馬晴信(ありま・はるのぶ)」ほか離反する島原半島の諸豪族を押さえるべく、六万とも五万ともいう大軍をもって進軍する「龍造寺隆信(りゅうぞうじ・たかのぶ)」
これに対し、当主「島津義久」に命じられた弟「島津家久」は、わずか三千程度の軍勢で出陣。
龍造寺氏の大軍を打ち破るべく、低湿地の”沖田畷”を決戦場と定めるのでした。


「有馬晴信」の籠もる森岳城に迫る龍造寺勢。
後方には警戒部隊を置き、さらに進軍しています。
この時、「龍造寺隆信」は突如陣変えを行い、”自らの本隊を中央に据えた”と伝わっています。
圧倒的な兵力を有する龍造寺勢は、序盤から力押しに押していました。
対峙した島津・有馬勢でしたが、これに大した抵抗もせず、いかにも崩れたように撤退。
そう、これこそが家久の仕掛けた島津得意の”釣り野伏”だったのです。

計略であると知らない龍造寺勢は、ここぞとばかりに追撃を開始。
先鋒部隊が沖田畷に設けられていた大木戸の付近まで達した頃には、ちょうど軍勢が縦に細長く伸びていたのです。
全体ではともかく、こうなると局地での兵力差は大したものでありません。
ちょうど、桶狭間にて信長が「今川義元」の大軍を破ったのと同じような状態になっていたでしょう。

うっかり誘い出された龍造寺勢。
その側面に、家久の采配によって累壁の左右から鉄砲隊、弓矢隊が攻撃。
細道を進んできて無防備だった龍造寺勢は次々に討ち取られ、また後続部隊も沼地がために思ったように動けず、同様に鉄砲らの餌食となっていくのです。
なお、なかなか軍が進まないことにイラ立った隆信は、
無二無三にかかれ!
そう命令したことで、より軍勢は混乱したといいます。

この機会に、島津勢は反撃を開始。
先陣が突き崩されると、その影響は後続にも伝わり、まるで将棋倒しのように全軍が崩れていきました。
続いて森岳城から出陣した晴信ほか有馬勢も攻勢に加わって、龍造寺勢の左翼を押し返します。
また、眉山方面でも山裾を迂回した島津勢によって、右翼が敗走させられています。

こうして、龍造寺勢は総崩れとなってしまうのでした。

⇒ つづく。
 ※次回は「壮絶・龍造寺四天王」(6/6)



[関連記事] 【中期・合戦祭り】
⇒ 史上最悪の市街戦「応仁の乱」[     
⇒ 日本三大奇襲戦の一つ「河越城夜戦」 [  ]
⇒ 日本三大奇襲戦の一つ「厳島の戦い」 [  ]
⇒ 地獄絵図の鳥取城「鳥取城合戦」 [     
⇒ 姫若子、ついに初陣! 「長浜合戦」 [   ]
⇒ 伊東侵攻・義弘、不利な戦況に挑む「木崎原合戦」[  
⇒ 炸裂!島津得意の釣り野伏! 「耳川合戦」 [  ]
⇒ 激突・関白軍勢対九州の覇者 「戸次川合戦」 [   ]
⇒ 徳川勢は本当に活躍した?「姉川合戦」[      探訪
⇒ はねる謙信逃げる信長 「手取川合戦」[    
⇒ 戦国メロドラマ劇場「岩村城攻防戦」[    
⇒ 戦国最強軍団の落日「長篠合戦」[    


 ★宜しければ応援クリックお願いします。  ⇒ 【人気blogランキング】


ZIPPO 戦国武将 島津義弘
クリエーター情報なし
ZIPPO(ジッポー)

※特に使わないですが…。
 これは格好良いですねー。

ガネーシャ (仏像・ヒンドゥー教)

2011年01月01日 | 仏像
のんびり気軽にさんぽがてら。
週一回更新となり、どうにか首の皮一枚という感じですが、そんな書き出しもいちおう五年目となりました。
ちらほら来て頂ける皆さま、本当にありがとうございます
現在は「沖田畷合戦」の真っ最中なんですが、やはり年明けということでそれに相応しい(かもしれない)ネタをお届けいたします。

去年は、ちょうど見つけていた「戦国武将バスボール」でした。
今回はモノ(写真参照)もあったので…
どうか景気が良くなりますように!
…そんな願いを込めて、神様としてみました。

そうした訳で、今年一回目はヒンドゥー教の人気者、「ガネーシャ」について書いていきます。
ただ、持ってる資料限定的で、さして詳しい訳でもないので、だいたいの触り程度で。


どうですかー、↓この独特なフォルム。



像の頭に太鼓腹。
牙のうち、片方が折れているのが特徴です。
もしヒーローモノに登場したなら、間違いなく敵役になってしまうだろうこの方。
本来はヒンドゥー教(昔は「婆羅門教」)の「シヴァ」神の息子さん。
「ガネシャ」、「誐那鉢底(がなはてい)」とも呼ばれるほか、本来は別の神(夜叉?)であった「毘那夜伽(びなやきゃ)」と同一視されているみたい。
そっち調べたけど、よく分かんなかったですが。
長い信仰の中で色々と尾ヒレがつき、名前とか伝承とかが様々になってしまった~というのが真相のようです。

ヒンドゥー教三神のうち破壊を司る「シヴァ」、女神「パールヴァティー」の子供。
このうち「パールヴァティー」さんは「ウマー(烏摩)」という別名があり…そうです、「降三世明王」が踏みつけてるお二人なんですね。
その誕生話についてもいくつか説があるようですが…一般的と言われるものをひとつ。

旦那「シヴァ」の留守中に子供が欲しいと思った、妻「パールヴァティー」
自らの垢を集めて人形をつくり、そちらから子「ガネーシャ」が誕生しました。
彼を自分の部屋の見張り番として立たせていたところ、「シヴァ」が帰宅。

見張り番「ガネーシャ」は自らの役目を全うすべく、見知らぬ「シヴァ」を追い返そうとしました。
一方の「シヴァ」も、妻の部屋の前で仁王立ちしている、見知らぬ「ガネーシャ」に驚き…なんと、その首をすっぱーんとはねてしまったのです。
ひでえ。
さすがは破壊神。
勝手に子供を創っちゃったのもどうかと思いますが、ともかく子供の無残な姿を嘆き悲しんだ「パールヴァティー」がため、はねた頭を探して世界を飛びまわった「シヴァ」
しかし結局見つからず、最初に出会った像の頭を代わりとしたのでした。
そんな、適当な…。
もう、神様ってハチャメチャですね(笑)


※大きさはこれくらい。

「シヴァ」神の軍勢を統べる将神「ガネーシャ」
悲惨な誕生秘話を持っていた彼ですが、愛嬌ある外観と、知恵と文学、富と繁栄…など現実的なご利益から、庶民の間で大いに信仰を集めたのでした。
特に商売繁盛の神様として祀られております。

これが仏教にも取り入られ、「歓喜天」あるいは「聖天」として、最強クラスのパワーもつ存在になってます。
そのため、各地にある「聖天堂」はほぼ非公開・秘仏。
住職さんですら、お姿を見たことないということもあるようです。



[関連記事]
⇒ 仏像の種類 (お父さんのための仏像講座) [前編] [後編]
⇒ 木彫の技法について (お父さんのための仏像講座)
⇒ 五大明王 (お父さんのための仏像講座)
⇒  お寺で動物ウォッチング「鳥獣座について」(お父さんのための仏像講座)
⇒ 不動明王 (由来 容貌 信仰
⇒ 不動明王坐像 (東京・金剛寺)
⇒ 降三世明王
⇒ 大威徳明王
⇒ 金剛夜叉明王
⇒ 軍荼利明王
⇒ 太元帥明王 (前編 後編
⇒ 孔雀明王
⇒ 愛染明王
⇒ 烏枢沙摩明王
⇒ 四天王編 (お父さんのための仏像講座)
⇒ 一度は行きたい・奇祭「かなまら祭」 (川崎市・金山神社)
⇒ サトちゃん菩薩立像 (全国・薬局店頭)
⇒ 重文 ピョンちゃん天立像 (全国・薬局店頭)
⇒ 重文 ケロちゃん観世音菩薩坐像 (全国・薬局店頭)
⇒ 国宝 オノデン坊や権現立像 (東京秋葉原)
⇒ 戦女神 アテナ (ギリシャ神話)前編 後編
⇒ ハヌマーン (ラーマーヤナ)
⇒ 手水のつかいかた (上野・清水堂)
⇒ 全自動・御手洗所 (東京・大円寺)
⇒ 無料・公衆電話 (天龍寺)
⇒ お寺と亀 (川崎大師・平間寺)
⇒ 水琴窟 (京都・妙心寺退蔵院、正法寺)
⇒ 曼荼羅ってなんだろう


 ★宜しければ応援クリックお願いします。  ⇒ 【人気blogランキング】


アジアン雑貨 タイ仏像 ガネーシャ像 G-36
クリエーター情報なし
アジア雑貨 ビンゴ

※人気者なので、当然ながらアイテムも多くありました。
 たとえばこんな感じ。