お寺さんぽ Ver.03

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激突厳島! 「厳島の戦い」 <後編>

2006年07月21日 | 歴史
のんびり気軽にさんぽがてら。
本日は日本三大奇襲戦の一つ、「厳島合戦」について。

歴史に残る中国の覇者、智謀の将「毛利元就」
当主、大内義隆を葬り、広大な大内領を握った「陶晴賢」
勢力としてはその足元にも及ばない元就でしたが、傘下に付くことなく公然と反陶軍の旗色を鮮明にしておりました。
圧倒的不利な状況下、必勝の策を練った元就は「厳島」を戦場として選んだのです。


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※いい人そうな元就さまですよね。実際も…↓つづきは下で。


厳島の「宮尾城」を目指して進む陶軍の船団は約五百艘。
兵数としては二万ともいわれる大軍でした。それに引き換え、元就が動員できた兵力は約五千程度だったそうです。

僅かでも助力が欲しい毛利家では、海上での戦によく慣れた瀬戸内海に勢力を持つ「村上武吉」以下の村上水軍ほか、伊予の水軍にも援軍を求めていました。
実は、この村上武吉のもとには毛利だけでなく、陶方よりの使者もきていたそうです。
(※彼はこの界隈での有名人。祖先は清和源氏とも言われる名門)

宮尾城への攻撃が始まり、迫る作戦時刻のぎりぎりになった頃、毛利家の集結する側に村上水軍が現れ、士気は大いに上がったそうです。
一日だけお味方いただきたい
そう平身低頭して助力を請う毛利に対し、陶からの使者は高慢不遜であったようです。
最終的には有利・不利よりも人を重視したんですね。

兵を率いた元就は暴風雨のなか、厳島の包ヶ浦に上陸しました。
すると、乗ってきた船を全て引き返させているのです。自ら退路を断ったんですね。
それと同時に、三男「小早川隆景」ら率いる水軍勢は堂々と陶軍の中に援軍と偽って潜り込むことに成功しました。
…これには、油断している陶軍の様子が見て取れます。

勝利を目前にした陶軍と、乾坤一擲の作戦で思うように事を運んだ毛利軍。
どちらが勝つか、この時点で勝負は決まっていたのでしょう。

突如、背後の山から起こった鬨の声に仰天した陶軍。同時に、城内から、さらには陣中から兵が襲いかかり、陶軍はたちまち大混乱となりました

大軍であったがゆえに陶軍は身動きがとれず、態勢を立て直すこともできずどこからかの攻撃で次々に撃ち取られていきました。
また、逃げようにも船のことごとくは毛利方によってあらかじめ沈められていたため、それもできずに討取られた将兵の屍が砂浜を埋め尽くすという有り様でした。

この乱戦の中、あきらめた陶晴賢は自害。
「何を惜しみ何をか恨む元よりも この有様の定まれる身に」
享年三十五。

一部抵抗した将兵も結局は力尽きて玉砕し、合戦は毛利の大勝で終了しました。
この勝利によってその旧領を併合した毛利元就は一躍大大名の仲間入りを果たすこととなるのです。



※いい人そうな毛利元就について。
 あのね、どっかの本にあった話。
 権謀術数に長けた元就は、実際(普段)は物凄くイイ人だったのではないか?
 ほら、イソップ童話の「オオカミ少年」みたいに、常日頃からウソついてる人ってのは信頼されないではないですか。
 それと同じで、いかにも何か企んでいそうな人の言う話なんて信用されません。
 ”いかにもウソつかなそうな人”が決定的な場面でポロっとウソつくからこそ効果的なんですよ。
 だから謀略戦に長けていたとされる元就はさぞいい人だったのではないか、という話でした。でした。

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