お寺さんぽ Ver.03

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奥州の覇者…その礎「伊達輝宗」  <後編>

2006年05月07日 | 歴史
のんびり気軽にさんぽがてら。
本日は独眼竜として有名な「伊達政宗」、その父輝宗さまについて。
大河ドラマだと北大路欣也ですよ。
このキャスト似合っているかな、どうかな?


さて、後編です。
若いうちから人生の明暗を味わいつつ成長した政宗は立派な青年となっていました。
すると、輝宗は周囲の諌止も聞かず当主の座をあっさり政宗に譲ると、自身はとっとと隠居してしまいました。当然、多少のにらみはきかせていたようですが、全権を政宗に託してしまうのです。

天正十二年(1584)
政宗は十九歳で家督を相続。 伊達家十七代当主となりました。
ちなみに父輝宗はこの時四十歳。人間五十年…っていう時代ですが、やや早い隠居です。
(おまけ:毛利元就は色々な事情もありますが、死ぬ七十五歳まで当主のままでした。大変ですね。うふふ…)

さて、当主となった政宗は各地に転戦し、「撫で斬り」とまで称された勢いにて領土を拡大します。器量は自分以上、と見立てた輝宗のそれは的中しました。
そんな政宗の威に服する大名も多く、降伏してきた大名の中に二本松城主の「畠山義継」がおりました。

天正十三年(1585)なのでわずか一年後のこと。
降伏してきた義継に突きつけられた処置はかなり苛烈なもので、政宗を恨んでいたと言われています。
義継は間に立ってくれた輝宗へお礼を述べるため、彼を訪問します。
もともとそのつもりだったのか、否か。
一瞬の隙をついた義継は不意に輝宗に刀を突き立て、人質として確保。自領へと逃走しました。

「伊達輝宗」拉致!

鷹狩りに出ていた政宗はその報に接し、現場に駆けつけます。ですが、どうにもできません。
国境付近まで対峙しながら追尾する政宗以下伊達勢はそのぎりぎりで攻撃を開始。父輝宗もろとも、その場で討ち取ってしまうのでした。

江戸時代の儒教思想(※幕府により封建支配のための思想として採用されていた)に合わない、ということで書物によっては「政宗は現場に間に合わず」というものもあるようです。
しかし、おそらく…政宗はいたのではないでしょうか。
ここで父親を人質に取られる訳にはいきません。輝宗もこのまま他国へ連れ去られることを潔しとはしなかったでしょう。
政宗は自ら苦渋の選択をしたのです。

いつ、いかなる時でも自分を評価し、愛してくれた実の父を攻撃しなければならない彼の心情はまたこれも察して余りあります。
伊達家のこの事件はなんというか…悲劇ですよね。
輝宗はその後より飛躍する息子を見れぬまま、この世を去りました。
享年四十一歳。

ひでるさんはこの伊達家とまるで縁もゆかりもない(あったら怖いですが)ですし、その現場にいた訳でもありませんが、この話聞くと我が事のように泣けてきます。なんだか年とって涙もろくなったのか、最近はなんらかの単語だけでも泣けるようになりました。
…ちょっと頭おかしいですね。徳光和夫と呼んで下さい。


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 こっちほしかったんですがねぇ…総集編持っていると、さすがに買う気にはなりません。

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