お寺さんぽ Ver.03

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平安時代の天才「弘法大師・空海」  <中編>

2006年05月10日 | 仏像
のんびり気軽にさんぽがてら。
本日も平安時代の天才、「弘法大師」こと「空海」さまについてです。

前回のあらすじー。
金持ちで天才な空海くんは親の財力を背景に大学入りしますが、「こんなのくだんねぇ」と反発した反抗期な空海くんは山岳修行の末仏教に傾倒していくのでした。
うん、だいたいこんな感じ。

延暦二十三年(804)空海くんは遣唐使の留学僧としてついに唐へと渡ります。
その留学期間はなんと二十年の予定でした。
メチャ長いです。
当時二十歳過ぎくらいの年齢ですから、おそらく帰ってきたら誰が誰やらわかんなくなるくらいの期間だと思います。…というか、寿命的にもぎりぎりなのではないでしょうか?浦島太郎みたいになっちゃいますよ。

また、なぜこの時空海くんが留学僧に選ばれたのか?
この時の空海は単なる僧の一人に過ぎず、候補となった理由は諸説あり、はっきりしていないそうです。
…親は地方豪族だって言うし…金?  (←ひでるさん説)
あるいは生意気で目立ってただけだったりして…。

さて、唐へと渡った船四隻のうち、二隻は途中で遭難。たどりついたのは半分だけでした。
空海の乗り込んだ一番船は航路が逸れたりとトラブルはあったものの、見事たどり着いています。
さすが偉人。運もいいですよ。

入唐した空海は寺院あちこちに師事し、密教を徹底的に学びます。ここで胎蔵界・金剛界・伝法阿闍梨位(でんぽうあじゃりい)の灌頂(かんじょう)を受けました。
なんだかややこしいですね。…要は「色んなことで正当な後継者として認められた」という雰囲気ですよ。
また、その際に「遍照金剛(へんじょうこんごう)」の名も与えられます。これならなんとなく聞き覚えありますよね?
この「遍照金剛」とは、「この世の一切をあまねく照らす最上の者」という意味だそうです。
さすが天才、国境なんてモノともしません!

大同元年(806)空海くんは数多くの経論、曼荼羅、密教法具などを持って無事帰国。
……あれ?
えっと、あの~、まだ二年しか経ってないんですが、十分の一でもう帰国ですかい?!
いちいちやることが規格外ですね。
なんか感じわるぅ。
おそらく、同じクラスとかになったら…間違いなくやなヤツですよ。
素行不良なのにやったら勉強できたりする、先生も怒れないタイプなの。
(無論冗談ですよ。うふふ…)


⇒後編につづく

[住所] 仁和寺 成就山御室八十八ヶ所巡り 京都市右京区御室大内33

   ※今回写真は「成就山御室八十八ヶ所巡り」に立っておりました空海さま。


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