お寺さんぽ Ver.03

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姫若子の出陣「長浜合戦」~2:父・国親と誕生した姫若子

2008年03月30日 | 歴史
のんびり気軽にさんぽがてら。
本日はこれまで当ブログでは一度もまともに触れなかった、戦国時代での四国のお話なのです。
戦国ファンにはお馴染み、四国の覇者「長宗我部元親(ちょうそかべ・もとちか)」の初陣「長浜合戦」なのでした。

ちょいと視点を広げて、戦国時代の四国。
讃岐(香川県)・阿波(徳島県)では中央で権威を振るった管領家、細川氏がそれら国の守護を兼任。
幕府をも支配していた「細川晴元」が健在の頃は細川氏、後にその被官であった「三好長慶」が台頭してくると、今度は三好氏がその勢力を引き継いでおりました。
瀬戸内海と九州に近い伊予(愛媛県)では、守護家・河野氏の「河野通宣」ほか、岩瀬城の西園寺氏、大洲城の宇都宮氏、また来島・村上などの瀬戸内海・水軍勢力などなどがそれぞれ覇を競っておりました。

…そして元親の土佐。
前回の続きで、”土佐七族の雄”へと成長していた元親の祖父「長宗我部兼序(ちょうそかべ・かねつぐ)」でしたが、尊大な態度による反発、細川氏の後盾を失ったことで、「本山茂宗」、「山田基道」、「吉良駿河守」、「大平元国」など有力国人集の支持を失って次第に孤立。
本山氏を代表とした連合勢力に攻められ、ここで自害・滅亡していたのでした。

さて、今回主人公である元親の父「長宗我部国親(ちょうそかべ・くにちか)」は二十代目の当主。
その父、先ほどの「兼序」ですが、本山氏を中心とした連合軍に破れて敗死する前にしっかりと国親を脱出させ、土佐中村の「一条氏」へ保護を頼んでいたのです。

さて、そこでクローズアップされる一条氏。
関白であった「一条教房」は京都市街での戦乱「応仁の乱」を嫌って土佐の家領へ下向。
そこで「中村御所」と呼ばれる壮麗な本拠地を築き、京都さながらの街を整備しておりました。
圧倒的な毛並みの良さ、貿易などで得ていた巨財もあって、いつしか周辺国人らを束ねるような、独特な立場になっていたのです。

父の敗死で断絶となっておりましたが、そんな一条家の庇護下でどうにか一命をとりとめた国親はすくすくと成長。
成人した国親が本拠である岡豊城(おこうじょう)へ念願の復帰を果たすと、しだいに旧家臣らも戻ってきたようです。
その後、お家再興を目指す国親は一条氏の支援を受け、各地へ転戦して勢力拡大につとめていくのです。

一条家としては、各国人勢力を競わせてその均衡を計り、自身はその争いを第三者的に傍観して調整し、うまく彼らの頂点に君臨し続けようとしていたのだと思います。
最終的にその矛先は自身へと向けられることとなるのですが……。

天文八年(1539)
そんな国親の嫡男として、「長宗我部元親」は誕生しました。
生まれつき病弱で、白く細く。
口数少なく、また性格も大人しく、引っ込み思案な質であったとされております。
そんな、挨拶すら満足にできなかったという若君についたあだ名こそが「姫若子(ひめわかご)」でした…。

⇒つづく
 次回は「ついに初陣、姫若子」(3/4)

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長宗我部元親―信長・秀吉に挑んだ南海の雄
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※そんな訳で、小説も出ている元親さまなのです。
 でも、信長には挑んでいないと思いますが…ああ、外交上ではある意味そうなのかな。


姫若子の出陣「長浜合戦」~1:姫若子、長宗我部氏の出自

2008年03月27日 | 歴史
のんびり気軽にさんぽがてら。
本日はこれまで当ブログでは一度もまともに触れていなかった、戦国時代での四国のお話なのです。
…あんまり詳しくはないんですよねー、はっきり言って。

戦国ファンにはお馴染み。
しかし、一般の方にはほとんど知られていないであろう、四国の覇者・長宗[曾]我部(ちょうそかべ)氏。
こちらは時代の寵児「豊臣秀吉」に反発したことで領土を大幅に削減されたことに加え、関ヶ原合戦において西軍へ参加。
さしたる活躍もないまま敗戦・領土没収をされていることが大きいのだと思います。
(※ちなみに、大阪の陣では大阪城[※写真]へ入城し、華々しく散るんですが…)

やっぱりねぇ、将来有望な嫡男に先立たれてしまったのはお家にとって非常に大きいことなんですよ。あの時代は。
仙石のバカチンが余計なこと言わなければ…、という余談はこれくらいにして。
(※↑そのあたりのお話は「戸次川合戦」にて書いておりますので、宜しければ)

さてはて、今回の主人公にして長宗我部氏の大将「長宗我部元親(ちょうそかべ・もとちか)」は、当初”姫若子”と呼ばれるような、引っ込み思案で線の細い方だったようなのです。ひでるさんもそんなんでした(←ある程度本当)

あの時代も筋骨隆々とした、無骨でいかにも武将然とした方だけでなく、女性から黄色い声が上がるような、色白繊細な男性もおったようなのです。
発見された遺体が女性と見間違われたという「石田光成」、青白い学者風であったと言われる「竹中重治」、そう「織田信長」も色白な美男子とか言われておりましたね。
性格・容姿のどちらも、そんなんだったのでしょう。
とりあえず、無骨なタイプではなかったらしい、というのでした。

さて、後にそーんな大将をいただくことになる、長宗我部氏。
家系はさまざま不確かなものも多く、はっきりしないものばかりなんですが、渡来人として古くから名前のある「秦氏」、「蘇我氏」であるとか言われています。
それが真実なら、脈々と続いてきた名門家なんですね。

平安時代。
土佐に流罪となった「源希義(みなもとの・まれよし)」に従って平氏と戦ったとされる、初代「長宗我部能俊」
彼が「源頼朝」より地頭職を与えられたことが始まりとされております。

南北朝時代では途中で北朝方へ転じて守護・細川氏の下で活動。
毎度お馴染み「応仁の乱」では、守護・細川氏が上洛していた留守をついて着実に勢力を固めた長宗我部氏は、いつしか”土佐七族の雄”へと成長していたのでした。

⇒つづく
 次回は「父国親と誕生した姫若子」(2/4)


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[関連記事] 【室町時代セット】
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⇒ 南北朝時代の若き英雄 「北畠顕家」(    
⇒ 父の背中を追う英雄 「楠木正行」(前編 中編 後編
⇒ 史上最悪の市街戦「応仁の乱」[     


戦国BASARA2 戦極像 長曾我部 元親 (ノンスケールPVC塗装済み完成品ボイス機能付)

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※なんと、いまではゲームキャラとして復活した「元親さま」です。
 ご本人は雲の上でどう思っているのかなぁ。
 

京野菜ソフトクリーム (京都・嵐山付近)

2008年03月23日 | ネタ
のんびり気軽にさんぽがてら。
本日はひでる食べ歩きシリーズ(そんなのない)京都は嵐山での「京野菜ソフトクリーム」です。

京都に住んだあたりから、雨の女神「弥都波能売神(みづはのめ・のかみ)」、通称「みずはちゃわん」とラブラブなひでるさん(※たんなる雨男とも言う)
夏の三千院へ行った際は快晴でフラれてしまったかと思っていたんですが…

「天気 曇り・雨」

うわ、微妙。
どしゃーって雨が降れば傘を買うところなんですが、その必要がない程度に時々じわじわと降ってるの。

この旅行は年末のことでした。
寒いんですね。
風が冷たいんですね。
(※まぁ、それですいてるかなーと思ったのでそちらへの旅行にしたんですが)

はっきり言って、過去最低クラスなタチの悪さでした(笑)
一時期離れ離れになっていたせいか、実に濃厚な接触だったのです。
まぁ、いつものくだらん冗談はそれくらいで。



京都には嵐山駅が複数あるんですが、こちらは「京福電気鉄道」の嵐山駅のこと。
京福電鉄の駅は「嵐山駅はんなり・ほっこりスクエア」ということで、足湯があったり、みやげ店などがずらりと並んだりしてなかなか楽しいのです。
その構内にはジュースショップというのがあったんですけれど、そちらに…



「京野菜じゅーすのそふとくりぃむ?!」

どうやら飲み物がメインのようなんですが、ソフトクリームのシリーズにはなんと「京野菜」なんてものがあったのですよ。
寒いんですが、こりゃー食べない訳にはいきません。

出されたそれは薄緑の綺麗なもので、いかにも京野菜ちっく(たぶん)
クド過ぎないふんわりとした甘さと、さっぱりとした味。
特に野菜っていうベジタブルな感覚はなく、おいしくいただけました。
これが京野菜なのかー。
…って、ひでるさんほとんど京野菜を食べた経験がありませんでした(笑)
その味が出ているのかどうかさえ、よく分かりません。
だめじゃん。



【おすすめ★メーター】 京野菜じゅーすのそふとくりぃむ
■■■■■ 5Point …癖がないので、誰でも美味いと思います。たぶん。

いかがでしょう?
やっぱり、どうせなら夏場の暑い時期に食べたいシロモノでした。
目指せ!グルメレポーター!!



[関連記事] 【ひでるグルメレポート特集】
⇒ そうめん 仁和寺(京都)
⇒ ひやしあめ (神護寺・売店)
⇒ 続・ひやしあめ (柴又・題経寺周辺)
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⇒ ずんだ抹茶ソフトクリーム (仙台・松島)
⇒ 紫いもソフトクリーム (神奈川・鎌倉)
⇒ 浅草もんじゃまん (東京・浅草寺)
⇒ ほうじ茶そふとくりーむ (滋賀・石山寺)
⇒ 八丁味噌ソフトクリーム (愛知・名古屋城)
⇒ 和のしずく ~抹茶あん~(ロッテ)
⇒ しそソフトクリーム (京都大原・三千院付近) 


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※とりあえず京野菜を食べないとねー。
 口にしてないのではないですが、覚えてません(笑)

不空絹索観音 (観音・仏像)

2008年03月20日 | 仏像
のんびり気軽にさんぽがてら。
えー、きっと皆知らないよね?ひでるさんも良く知りません(笑)

本日はマイナー仏像特集(←そんなのない)、名前見てもほとんどの方がピンとこないであろう、「不空絹索観音(ふくうけんさく・かんのん)」です。
種類が多く形状が様々であるのに、作例少ないのがその原因でしょうか。
ちょっと詳しく見てみましょう。

変化観音の一つ。
ほか、「不空広大明王観世音菩薩(ふくうこうだいみょうおうかんぜおんぼさつ)」とも称されています。長いよぅ。
梵名だと「アモーガパーシャ」
実は「十一面観音」についで古く、全二十巻というシリーズ本「不空絹索神変真言経(ふくうけんさく・じんぺんしんごんきょう)」にて説かれております。

「不空」は心願不空、要するに”衆生が正しく心に願うことは、かならず満足せしめるよー”という意味。
「絹索」は「けんじゃく」とも読みます。
鳥獣や魚を捕らえる網とか綱のことで、”一切を愛護し引接する慈悲”を示したものです。

すなわち、大慈悲の網で、”煩悩生死(ぼんのうしょうじ)”の世界で苦悩する、全ての人々をもらさず(不空)救いとる観音ということらしいのでした。

もらさず救いとる、ってなんだか金魚すくいみたいですが、これが実はスゴイ。

まず、こちらの観音に呪文を唱えると、身体が健康で病気にかかりません。
それだけでなく、人々から愛され、財害・毒害、火難・水難を受けず、戦死・餓死せず、衆人に賞賛され、煩悩を断って、毎日が慈悲と喜捨(※)に満ちた生活が送れる……などなど、なんと二十種もの優れた利益があるというのですよ、そこの奥さま!
女性には嬉しい「美人になれる」、なーんて効用まであったりするのでした。
まさに万能、盛りだくさんですね。

ちなみに、臨終に際しても八種の安心を得ることができるんだとかなんとか。
アフターまで万全なのです。
これに回転ブラシでもオマケにつけば、TVショッピングさながらという感じですね。

そんな、ご利益満載な「不空絹索観音」さま。
八、九世紀には盛んに製作され、特に鎌倉時代頃にはよく信仰が行われておりました。
なかでも藤原氏は「不空絹索観音」を本尊としており、篤く帰依しております。
お得ですからねー。
「春日明神」の本地仏(※神仏習合思想。日本の神さまは仏が化身したものだよーってやつ)でもあったため、その氏子である藤原氏が独占する神様というようになっていくのです。
それがため、結果として七観音で最も霊場が少ない、マイナー仏になってしまうのでした。

また、その姿は経典によってさまざまで、一面、三面、十一面というほか、腕の数も各種にわたり、多種類が伝えられております。
一面四臂から、三目十一面・三十二臂なーんて、凄まじいものまであったりします。
見分けるのはすっぱり諦めた方が良さそうですね(笑)

日本では立像・坐像どちらとも一面八臂が一般的。
手前で合掌印を結び、ニ手は与願印(よがんいん)を結ぶ。
他の手は名前そのまま絹索、蓮華、錫杖などを持っています。
そうですね、見分けにはあまり適さないですが、この方は必ずどちらかに「絹索」を持っているはずなのですよ。…たぶん。

奈良時代の奈良は東大寺・法華堂の「不空絹索観音」が国宝。
脱活乾漆造(だつかつかんしつ・づくり)の立像で、こちらは一面三目八臂。
天平彫刻の代表作だそうです。
平安時代、鎌倉時代の作例では、京都・広隆寺、福岡・観世音寺、奈良・興福寺などがあります。
やっぱり直接見たいですね。

なお、有名な「光明真言」は、この観音からのものであります。
滅罪、貴人敬愛、亡者の解脱など、万能の力を持つ真言でして、密教では”難しいことを祈ってもかなう仏”として珍重されていたのでした。
その真言は「おん、あもきゃ、びじゃや、うんはった」ですよー。


※喜捨(きしゃ)
しゅっぽ、しゅっぽ…ではなく(←うわー)
進んで金銭や物品を寺社や困っている人に差し出すこと。[goo辞書より]


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※盗め!って、なかなか仕事に活かすというのは難しいモノですよ。
 やっぱりオリジナルにアレンジしなければ。

痴漢でっち上げ被害者心境語る 大阪の会社員 (産経新聞)

2008年03月16日 | ネタ
毎度どうも。
あちこちで同じように書かれる事件でしょうが、こちらでも取り上げさせて頂きます。

さてはて、世の中の闇を一刀両断するこのブログ(大嘘)
本日は『 痴漢でっち上げ被害者心境語る 大阪の会社員 (産経新聞) 』です。

先週同様、テレビなどでも取り上げられたインパクト強い事件なので、ご存じの方も多いでしょう。
記事を見て戦慄がはしりました。
同じ満員電車で通勤をする者として、非常に恐ろしいことです。
とりあえず、↓記事をどうぞ。

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■痴漢でっち上げ被害者心境語る 大阪の会社員
 [産経新聞] 2008年3月13日

甲南大生らによる痴漢でっち上げ事件で、犯人に仕立てられ大阪府警に逮捕された堺市北区の会社員、国分和生さん(58)が13日、産経新聞の取材に応じた。
取り調べでは「何を言っても信じてもらえなかった」といい、「こんな目にあう人が二度とないようにしてほしい」と訴えた。

 事件は2月1日午後8時半ごろ、仕事帰りに乗った大阪市営地下鉄御堂筋線の車内で起きた。天王寺駅手前でブレーキがかかり、国分さんが隣に立っていた女(31)と肩が触れた瞬間、女が「触りましたね」と声を上げ、泣きながらしゃがみ込んだ。
 そこへ、乗客をかき分けて甲南大4年、蒔田文幸容疑者(24)=京都市山科区、虚偽告訴容疑で逮捕=が「触りましたよね」と連呼しながら近寄ってきた。
 国分さんは誤解を解こうと、自ら天王寺駅で降りた。
 「助けてもらえる」との思いで足を運んだ駅の一室。
 「やってない」と訴えたものの、声を荒らげる警察官は「触ったやろう」と耳を貸さず、府迷惑防止条例違反で現行犯逮捕、阿倍野署に連行された。

 暗い留置場で、男手一つで育てた結婚前の娘たちが頭に浮かび、「犯罪者にされたら迷惑がかかるな」と一睡もできなかった。

 翌日も朝から取り調べが続いた。弁護士と接見して無実を訴えた後、午後6時にようやく釈放。
 迎えに来た3人の娘たちが駆け寄り、抱きついてきた。
 「こんなことになってごめん」。娘に見せた初めての涙。
 「いいよ、信じてるから」との言葉が支えになった。

 容疑が晴れたのは女が自首した後の2月中旬。
 女は交際中の蒔田容疑者から「示談金をとろうともちかけられてやった」と供述したといい、署の取調室で数人の刑事が「私たちもだまされました」と国分さんに謝罪した。
 その後、熊見裕署長から「このような事件がないよう一生懸命捜査します」と電話があったという。

 国分さんは「男性なら誰でも起こり得ること。
 周囲の信頼がなかったら心が折れていたかもしれない」と振り返り、取り調べに関して「何を言っても信じてもらえなかった。
 警察は最初にもっと言い分を聞いてほしかった」と話した。


---------------------------------- 。。。



無実が証明され、なによりです。
犯人に仕立てあげられた方の苦悩、焦り、悔しさ…などは、想像以上のものでしょう。
”お気持ちお察しします”なんて安易なものではないでしょう。
家族の支えがあったとのことで、娘さんの言葉は涙を誘いました。

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前述しておりますが、同じ満員電車で通勤をする者として、同じ男性として、”怖い”の一言につきます。

漫画家さんのサイトでも書かれてましたが、「疑惑をかけられて家宅捜索されたら、無罪判決を勝ち取るのは無理」とはひでるさんも同じこと。
科学技術が発達している現代、なにかきゅぴーん★と一発判定できるようなモノがあればいいんですが。

また、この事件は男性だけでなく、同じ被害に遭っている女性に対しても非常に失礼な話だと思います。

二度と同じ悲劇が繰り返されることのないよう、虚偽の申し立てをした二人はぜひ厳罰に処して欲しいものです。
絶対に無理なことでしょうけれど、死刑でもいいくらいです。
ひでる心情的には、それでも足りんですけれど。

どうやら軽々しい気持ちでやったらしいところが、さらに許せんところ。
警察の対応もしかり。
本当に腹立たしいものですね。

女性専用列車について、「他は混んでいるのにガラガラ」とか、その是非についての議論がありますが…こうした冤罪を回避できるのであれば、それも良い事に思いました。
男女別々の車両に乗り込むなんて、寂しい世の中ですけどね。



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泉涌寺 (京都)

2008年03月13日 | お寺
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本日は京都は東山区の「泉涌寺(せんにゅうじ)」です。
一般の知名度はそれほどでもないでしょうけれど、実はけっこうレアな仏像のある、オススメ寺なのです。
近い方ならさんぽ気分で…って、あまりいないでしょうから、修学旅行コースのような京都旅行に飽きた方にはいいと思います。

こちら「泉涌寺」は真言宗泉涌寺派の総本山。
過去に当ブログで紹介しました、秘蔵・魅惑なレア仏「楊貴妃観音像」を所持しているお寺なんですね。
また、東山三十六峰のひとつでもあります。

こちらの由来は天長年間(820年頃)に弘法大師こと「空海」がこの地に結んだ庵とされています。
当初「法輪寺」と名付けられたこちらは、後に「仙遊寺」と改称。
ざっと見た感じ、このあたりの伝承はやや不確かであるようです。
確かなのは次のくだりから。

時代は進んで建保六年(1218)
鎌倉時代、「順徳天皇」の代にて「月輪大師・俊芿(しゅんじょう)」が開山しました。
この「俊芿」は出自不確かですが、若くして仏門に入っておりました。
戒律(かいりつ:宗教上で守るべきもの)を重んじ、中国の「宋」に渡って「律」を中心に、深く仏法の奥義を極めます。
(※当時の日本は武士が力を持った時代の転換期で「末法思想」の影響もあり、そういったものが軽視される風潮であったようなのです
帰国後は「源頼朝」の元へ馳せ参じていた下野国の武士「中原(宇都宮)信房」の求めによって、はるか豊前国(福岡県東部)まで赴き、生前法要の重要性を説きました。
(※たびたびでごめんなさい、戦後の恩賞として、北九州に領地を与えられていた様子)

結果、「信房」は深く帰依し、「俊芿」へ寄進したのが、現在のこの地であるようなのです。
大規模なお布施として、頂いた土地なんですね。
わざわざ出向いただけのことはありました(笑)

「俊芿」はこちらに「宋」の法式を取り入れた大伽藍を築きます。
先の話が真実であれば、荒廃していた「仙遊寺」をリニューアルしたのでしょう。
ともかく、土地の一部から水が湧き出た事から、寺号を今の「泉涌寺」と改めたのでした。
なお、この泉は今も湧き続けております。

さて、「泉涌寺」において、目標であった”戒律の復興”を計り、「律」を基本として天台宗・真言宗・禅宗・浄土宗、という”四宗兼学”の道場となりました。
時の皇室からも深く帰依され、皇族の祈願寺とされたことを切っ掛けとして結びつきを強め、「月輪大師」の生まれ変わりと称された「四条天皇」が仁治三年(1242)に崩御されると、当寺に葬られました。
それからは歴代天皇の山陵(さんりょう:天皇家のお墓です)がこの地に営まれるようになり、菩提所として篤い信仰を集めるようになったのでした。
こちらが「御寺(みてら)」と呼称されるのはそうした理由なの。
まぁ、しっかり戒律を実践したことで寺内外が清浄となったこと、簡単に言えば”ちゃんとしていた”ことが要因の一つなのでしょう。

境内には仏殿・舎利殿をはじめ、「天智天皇」以降の歴代天皇、皇族の御尊牌祀る霊明殿などの伽藍が配されております。
仏殿は寛文八年(1668)江戸時代に「徳川家綱」により再建されたもの。
天井にある「狩野山雪」の龍は「鳴龍」として知られ、釈迦如来、阿弥陀如来、弥勒如来という過去・現在・未来の三尊が安置されているのでした。


[住所]
泉涌寺 京都市東山区泉涌寺山内町27

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※はっきり言ってこのシリーズはどうでもいいと思っていましたが…「源義経」が登場するようです!
 参考⇒無双OROCHI 魔王再臨 HP
 やばい、そうなると話は別ですよっ!


「気持ち悪い」奈良の新マスコット「排斥」署名も (産経新聞)

2008年03月09日 | ネタ
やほやほー。
本日は普通にお寺とか仏像のの記事でいいかなー、と考えていたんですが…やっぱりコレを。

さてはて、世の中の闇を一刀両断するこのブログ(大嘘)
本日は『 「気持ち悪い」奈良の新マスコット「排斥」署名も (産経新聞) 』です。

TVのニュースとかでも取り上げられている注目の話題なので、わざわざ似たようなことを書くのもどうかと思ったんですが、突っ込みたさを止められませんでした。
とりあえず、記事をどうぞ。

熟年 奈良ゆとりの旅 (ブルーガイドてくてく歩き)

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■「気持ち悪い」VS「親しみやすい」 奈良の新マスコット「排斥」署名も
 [産経新聞] 2008年3月5日

 平城宮跡(奈良市)を主会場に開催される平城遷都1300年祭を2年後に控え、奈良県などでつくる事業協会が発表したマスコットキャラクターのデザインが波紋を呼んでいる。
 不評が多く、地元の市民グループは5日、白紙撤回を求める署名活動に乗り出す方針を決定。
 これに対し、同協会は「変更しない」と強気の構えを示している。



 マスコットは、同協会が約1000万円の予算をかけ、デザイナー12人の計21作品から選定。
 仏教世界の童子をイメージし、みけんに丸い白毫(びゃくごう)、頭に2本のシカの角をもつ東京芸術大の籔内佐斗司教授の案が採用され、2月12日に発表された。
 ところが、協会には「仏様への侮辱」「気持ち悪い」などの批判が殺到。
 奈良市在住の自営業、陽群誠さん(26)は
親しみが持たれるとは思えない
 として同祭を「救う会」を結成し、ネットを通じて賛同を呼びかけたところ、約870人が応じたという。
 同会は9日、奈良市内で署名活動を行うことを決定。陽群さんは「白紙撤回して一般公募すべきだ」と訴える。

 これに対し、同協会は「市民からの意見は賛成が多く、変えるつもりはない。 親しみを持たれるようにPRしていく」と譲らない考えだ。
---------------------------------- 。。。


…市民は賛成が多くってのは本当かなぁ(笑)
どこまで、どうやって賛成が多いというのを調査したんでしょう?

とりあえず「あー、やっちまったな~」という感じよね。
確かに気持ち悪いです。
なんじゃこりゃ。

どうせなら鹿をベースに仏像要素(※童子なのか)を足した方が、かわいらしくて良かったと思うのだけれど。
こないだ奈良へ行きましたが、やっぱり大仏よりも鹿のが印象的でしたしねー(笑)
もともと神さまのお使いなのだし。

こうしたキャラで特産物とかなんとかをモチーフにするのはよく見られますが、そこからいかに脱却出来るかは一つのポイントではないかなぁ。例に出されることの多い彦根城マスコットの「ひこにゃん」みたいに。
あれ、まるで無関係でもないですが、その色が強くはないので地方っぽさが薄いのでは、と感じます。

ひこにゃん/ぬいぐるみ Mサイズ

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ただ、あまりの気持ち悪さがため、あちこちニュースやネットで取り上げられたのは不幸中の幸いですか。
…それすら戦略であったならモノ凄いですが、グッズの売れ行きとかは微妙そうねー。

やっぱり仏様を汚した、みたいな批判もあるようですね。
過去にあったムハンマドさまの事件(←厳密にソレとはまた異なることと分かってますが)とか見ていれば、ちょっとくらいそうした批判が出ること想像つかないもんかなぁ。どうかなぁ。
信仰心の強さで、感じかたとかなんとかは全然違いますからねー。

でもね、↑その関係でちょっと考えたの。
もし、あれが平安時代ころの像なり絵なりとして発見されたとしたら、どんなもんでしょう?
侮辱だとかの言葉なく、珍しいとか、素晴らしいみたいな評価になるんじゃあないかなぁ…。
もし「時代」という表現が適切でないなら、発表する場所とか人でもいいや。
別にイスラム教の特徴である「偶像崇拝の排斥」とかないのだし、仏像とか見てると結構キテレツなのあったような気もするのだけれど…。
いーじゃん、角くらい。



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佐々木 智広
ソフトバンククリエイティブ

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はねる謙信逃げる信長 (手取川合戦)5

2008年03月06日 | 歴史
のんびり気軽にさんぽがてら。
本日は戦国時代を代表する対照的な二人、弱きを助け強きを挫く正義の軍神「上杉謙信」、時代の寵児、魔王「織田信長」が激突するという、歴史ファンが望んだ合戦こそ「手取川合戦」なのです。
おまたせしました、本日がこちらのラストなのですよ。

天正五年(1577)
出陣した「上杉謙信」は計略によって、目事「七尾城」を落城せしめておりました。
一方、その救援に向かう「柴田勝家」以下の部隊でしたが、作戦の相違から後の太閤「羽柴秀吉」は勝手に撤退してしまうという有様。
遅れて出陣した信長を欠いた先発部隊は、そんな具合で内部に問題を抱えたまま進軍していたのでした。

さて、加賀の手取川(※石川県能美郡美川町)渡河後にて、ようやく落城の報を聞いた織田勢は慌てて撤退命令を出しました。
しかし、万全の態勢で待ち構えていた「上杉謙信」率いる上杉勢は、そんな逃げる織田勢を追撃し、散々に打ち破るのでした。

なにしろ、川を背にしてしまった織田勢は折からの増水もあって逃げることすら容易でなく、渡河に手間取っていた千人あまりが為す術もないまま討ち取られてしまうのです。さらに、増水していた手取川に溺れる者はそれ以上の人数であったとされております。

こうして、戦国時代を代表する両雄の決戦は信長の到着を待たずして、まともに戦うこともできぬまま織田勢の大敗にて幕を下ろすのでした。
兵数でははるかに劣っていた「上杉謙信」ですが、いつものように数をものともせず、勢いにて大軍を破ったのです。
(※謙信はあちこちの合戦で、敵よりも少ない兵力で勝利しているのですよ。はう!)

この勝利に、都では「上杉に逢ては織田も名取川(手取川) はねる謙信逃げる信長」という狂歌が流行したといわれております。

将軍を追って畿内を固め、時代の波に乗っていた織田家。
それをたやすく大敗させた上杉勢の評価は、ぐんと高まることとなりました。

反織田勢力には、まさしく期待の星となった「上杉謙信」
こちらでの華々しい戦功がため、後の上杉勢上洛という報に各武将の運命が大きく狂わされることとなるのです。
事実、「松永久秀」などは謙信上洛の報に飛びついて反織田として挙兵しますが、結果は孤立無援のまま敗死するのでした。

天正六年(1578)三月
五万六千という軍勢と共に上洛への出陣準備を進める謙信は高血圧のため俄かに倒れ、そのまま「春日山城」にて死亡するのです。
享年四十九。

…その報を聞いた信長は、
これで天下のことは定まった
と手を叩いて喜んだと言われております。
なお、天目山へと追いつめられた武田家が滅亡するのは、それから四年後の天正十年(1582)のことなのでした。


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※うぉ、ジグソーパズルを見つけましたよ!
 やり始めると、止まらなくなっちゃうんですよねー。

滝野川署巡査長、「注意きかない」少年に拳銃抜く (読売新聞)

2008年03月02日 | ネタ
まいどどうもー。
上杉・織田による「手取川合戦」の途中ですが、またまた時事ネタをひとつ。

さて、世の中の闇を一刀両断するこのブログ(大嘘)
本日は『 滝野川署巡査長、「注意きかない」少年に拳銃抜く (読売新聞) 』です。

あまり大きく取り上げられてはいなかったようですが、↓こんな記事があったのをご存じでしょうか?
言いたいことがいろいろあります…が。
とりあえず、下記をご覧くださいませ。

あなたの子どもを加害者にしないために―思いやりと共感力を育てる17の法則―
中尾 英司
生活情報センター

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■警視庁滝野川署巡査長、「注意きかない」少年に拳銃抜く (読売新聞)
 [読売新聞] 2008年2月28日

 路上に座り込んでいた少年3人が注意に従わなかったため、拳銃を抜いて追い払おうとしたとして、警視庁滝野川署地域課の男性巡査長(27)が特別公務員暴行陵虐の疑いで、同庁の取り調べを受けていることがわかった。
 同庁によると、この巡査長は26日午後8時35分ごろ、東京都北区滝野川2の路上に座り込んでいた同区内の16~17歳の高校2年生ら3人が氏名や住所を尋ねても答えなかったり、立ち去るふりをして再び座り込んだりしたため、拳銃を抜いて追い払おうとした疑いが持たれている。
 巡査長は「大声で話していてうるさい」という通報を受け、近くの交番から駆け付けていた。パトカーで現場に到着した別の警察官2人は、少年たちが立ち去るそぶりを見せた時に引き揚げており、銃を抜いた時には巡査長だけだった。
 この約30分後、少年たちが同署を訪れ、「警察官に拳銃を向けられた」と訴えたため発覚した。
---------------------------------- 。。。


どうですか?
ひでるさんは、この事件はダブルで嫌なことがあります。

少年にわが子を殺された親たち (文春文庫)
黒沼 克史
文藝春秋

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まず一つ目、”拳銃の力を借りないと従わせることのできない男性巡査長”がイヤ。
はっきり言って上の文だけでは詳細まで分かりませんが、なんでそんなもん出しちゃうかなぁ…。
いい大人がガキ相手に情けない。
ただね、こちらには理解できるところもあるんです。
とりあえず↓次へ。

二つ目は、”注意を受けた連中”がイヤ。
はっきり言って、今回の事件で完全に悪いの彼等の方だと思うのです。
そうした連中が、さも被害者ヅラをしているのに腹が立ちます
だいたい、警察の命に服さなかったくせして、自分らは警察へ行っているのに唖然としました。

先ほど”警官が情けない”ということを書いていますが、正直ひでるさんがその立場であったなら、同じことをしてしまうかもしれません。
あちらは複数ですし、おっかないもの。
現代の世では力で排除することは困難でしょうし、無傷で追っ払うためには多少の脅しが有効な手段だと思いますから。
男性巡査長に同情します。

おそらく、警察官をなめきっているタチの悪い連中なんですよ。
そんな奴らにまで、社会ルールを適用されるのが腹立たしいのです。
申し訳ないけれど、巡査長さんが”特別公務員暴行陵虐”とかなんとかで取り調べされていて、高校生らが何のお咎めもないままというのは納得できません。
だって、まるで反省してないと思いますよ?
少しくらいは痛い目にあってくれないと困ります。
まぁ、おそらくはそんな風に育てた親が最も悪いんでしょうけどねぇ…。

こんなんひと握りの人間だけでしょうけれど、日本の未来は明るくないですね。
私は学力向上より、道徳教育をしっかりして欲しいです。
…まぁ、道徳なんてものをわざわざ教育しなければならないというのも、情けないことですが。


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