お寺さんぽ Ver.03

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来日への挑戦 (鑑真和上)2

2006年11月16日 | お寺
のんびり気軽にさんぽがてら。


えー…引っ越し先ブログのHDに異常発生。
朝からこの時刻(pm11:00)になっても復旧してくれない事態です。

引っ越し先がいきなりトンデモない事態になるなんて、まるで「でもかば」のようですよ。

でもホントはカバが好き 完全版

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とりあえず、こちらにも記事がありますんで、代わりにアップすることとしたのでした。
あー早く復旧しないかな。


本日は「鑑真和上(がんじん・わじょう)」こと過海大師について。
「鑑真和上」は唐の高僧にして、律宗(りっしゅう)の開祖となる方なのです。

「聖武天皇」の招きに応え、唐国より来朝することとなった大明寺の高僧「鑑真」さま。
しかし、その行く手には様々な困難が待ち構えていたのでした。

唐でも有名だった「鑑真」さま。
日本へ行くって話は、その弟子たちも「はい、そうですか」とあっさり納得できるものではありません。
こちらがまず反対し、何度か強行な手法を用いても阻止しようとしていました。
さらに、海を渡るのに生死を問われたような当時ですから、せっかく船に乗っても、暴風雨に遭って中断することもあったようです。
そんなこんなで、なんと五回にも及ぶ航海に失敗していたのです。

東大寺に到着するのが天平勝宝六年(754)ですから、なんと約十二年という年月を要しております。
天平勝宝五年(753)の六回目でようやく来日に成功。
薩摩に上陸した「鑑真」さまは当時すでに六十六歳となっていました。
また、慣れない気候や疲労も重なり、到着した頃には両眼を失明していました。
うっそー!(←本当です)
もの凄い根性です。

もしかしたら、「鑑真」さまは仏教・無法地帯となっていた当時の日本に、戒律制度を設けることを自らの役割と思っていたのかもしれませんね。

奈良へとたどり着いた「鑑真」さま。
まず、東大寺・大仏殿の前に戒壇(かいだん)を設けました。
その「戒壇」というのは、僧侶になるための「授戒」の儀式を行うところなのです。
まぁ、多少違いますが、キリスト教の「洗礼」と似たようなもので、信者として守るべき戒律を授ける(※規則を教え、遵守させる)ことで僧侶として認める。みたいな。

こちらでは四百名ほどの僧が授戒したようです。
後に東大寺以外でも「戒壇」が設けられるようになり、僧・尼となるためには必ず戒を受けることとなるのでした。
戒律制度が急速に整備されていったんですね。
こうして、体裁を整えていただけの日本は完全に「仏教国家」となるのでした。

⇒つづく。
 次回は「律宗の秘密」

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2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (よだきぼママ)
2006-11-17 06:10:19
ひでるさん
びっくりですね。
こんなこと有りですかね。

履歴から、舞い戻ってきました。
お気に入りに入れんでも、ランキングから行けるわぁって・・・思ってました。
あらためて、お気に入りにいれました。
楽しい・・・お寺さんぽ、読まんと一日が始まらんだわ・・・・。
返信する
びっくりしました (あおぶひでる)
2006-11-18 00:51:56
いや、はじめは変なこと書いて削除されたのかと思いました。
なんかマズかったのかと…。

登録ありがとうございます。
宜しければ相互リンクしませんか?
返信する