のんびり気軽にさんぽがてら。
本日は現代でも議論が尽きない新旧入れ替え戦「長篠合戦」について。
このあたりは合戦前半のメインイベントです。
…思わず泣けてしまうエピソードをお送りいたしましょう。
さて、この戦いは「長篠合戦」と名がついているだけあって、三河と信濃の境あたりに位置する「長篠城」の攻防戦を切っ掛けとしていました。
土地の名前ではないんですね。
ちなみに、実際に野戦が行われたのは「設楽原」でした。
その攻防戦の最初の舞台となった長篠城は徳川方の「奥平信昌」が守備していました。
(※当時の名乗りは貞昌。この合戦以後、奮闘を賞した信長より許されて一字を拝領する栄誉を受け、信昌に改名するのです)
彼(父)はもともと今川の家臣でした。
それが、義元の討死以後、武田へ属し、さらに晴信の死後には人質を残したまま、徳川方へと走るのです。
当然ながら人質は磔にされるんですが、「奥平信昌」としてはその恨みをもってこの勝頼の来襲に備えていたのです。
まるで前線基地のような、位置としてやや突出した長篠城の守備に彼を選んだのは、家康がそうした心理を読み取ってのことだった、とも伝えられています。
陰険な家康っぽいですよね。
うんうん、ありえそう。
さて、この寝返った信昌粛正のため、「武田勝頼」は一万五千という大軍勢を引き連れて長篠城を取り囲みました。
対する守備隊は奥平信昌以下五百程度。
兵力的には圧倒的不利な状況ながら、決死の覚悟であった信昌の指揮によって屈強な抵抗を見せた城兵により、連日の猛攻にもかかわらず城は容易に落ちませんでした。
予想外の抵抗に苦戦した武田勢は兵糧攻めに方針を切り替え、城の東北方より地下道を掘り進めて城内へ突入。ついに兵糧櫓を奪い取ることに成功するのです。
これにより、さすがの信昌以下長篠城はたちまち窮地に陥ってしまうのでした。
もはや数日の内に落城か、という状況にまで追い込まれた守備隊は援軍要請のため、城外へ密偵をだすこととしました。
その大役を任されたのが長篠合戦の主役とも言える「鳥居強衛門(とりいすねえもん)」なのです。
「わが君の命にかわる玉の緒を なに厭ひけむ武士の道」
そう辞世を残し、夜半に出発するのです。
…きました!
ひでるさんはこの鳥居さんと会ったこともなければ(そりゃそうだ)、長篠城内で帰りを待っていた訳でもありません。
…ですが、このエピソードを聞くとなんだかぐわーっときて泣けるんですよー。
るるる。
当時の方も同じような気持ちであったらしく、後に彼の姿を自らの旗印にする者さえもいたそうです。
これからイイ場面ですよ!!
⇒つづく
[関連記事]
⇒ 追放された巨星の父 「武田信虎」 [前 中 後]
⇒ 強すぎる大将「武田勝頼」 [1 2 3 4]
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土地の名前ではないんですね。
ちなみに、実際に野戦が行われたのは「設楽原」でした。
その攻防戦の最初の舞台となった長篠城は徳川方の「奥平信昌」が守備していました。
(※当時の名乗りは貞昌。この合戦以後、奮闘を賞した信長より許されて一字を拝領する栄誉を受け、信昌に改名するのです)
彼(父)はもともと今川の家臣でした。
それが、義元の討死以後、武田へ属し、さらに晴信の死後には人質を残したまま、徳川方へと走るのです。
当然ながら人質は磔にされるんですが、「奥平信昌」としてはその恨みをもってこの勝頼の来襲に備えていたのです。
まるで前線基地のような、位置としてやや突出した長篠城の守備に彼を選んだのは、家康がそうした心理を読み取ってのことだった、とも伝えられています。
陰険な家康っぽいですよね。
うんうん、ありえそう。
さて、この寝返った信昌粛正のため、「武田勝頼」は一万五千という大軍勢を引き連れて長篠城を取り囲みました。
対する守備隊は奥平信昌以下五百程度。
兵力的には圧倒的不利な状況ながら、決死の覚悟であった信昌の指揮によって屈強な抵抗を見せた城兵により、連日の猛攻にもかかわらず城は容易に落ちませんでした。
予想外の抵抗に苦戦した武田勢は兵糧攻めに方針を切り替え、城の東北方より地下道を掘り進めて城内へ突入。ついに兵糧櫓を奪い取ることに成功するのです。
これにより、さすがの信昌以下長篠城はたちまち窮地に陥ってしまうのでした。
もはや数日の内に落城か、という状況にまで追い込まれた守備隊は援軍要請のため、城外へ密偵をだすこととしました。
その大役を任されたのが長篠合戦の主役とも言える「鳥居強衛門(とりいすねえもん)」なのです。
「わが君の命にかわる玉の緒を なに厭ひけむ武士の道」
そう辞世を残し、夜半に出発するのです。
…きました!
ひでるさんはこの鳥居さんと会ったこともなければ(そりゃそうだ)、長篠城内で帰りを待っていた訳でもありません。
…ですが、このエピソードを聞くとなんだかぐわーっときて泣けるんですよー。
るるる。
当時の方も同じような気持ちであったらしく、後に彼の姿を自らの旗印にする者さえもいたそうです。
これからイイ場面ですよ!!
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