お寺さんぽ Ver.03

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軍神vs堅城・七尾城 (手取川合戦)3

2008年02月24日 | 歴史
のんびり気軽にさんぽがてら。
本日は戦国時代を代表する対照的な二人、弱きを助け強きを挫く正義の軍神「上杉謙信」、時代の寵児、魔王「織田信長」が激突するという、歴史ファンが望んだ合戦こそが「手取川合戦」なのでした。

天正四年(1576)
将軍「足利義昭」の要請に応じた「上杉謙信」は打倒織田を目指してついに出陣。
越後から約二万といわれる大軍を動かした謙信は、越中の諸勢力を駆逐、能登ほか付近一帯を支配する名門・畠山氏と激突しておりました。
しかし、堅城と名高い「七尾城」に籠もった畠山勢はよく防戦し、上杉勢は一時撤退を余儀なくされてしまうのです…。


翌・天正五年(1577)
再び出陣した「上杉謙信」以下上杉勢は奪回されていた「熊木城」、「富木城」など諸城を再攻略し、再び「七尾城」を取り囲みます。

これを必死に防戦する重臣筆頭の「長続連」ですが、発生した疫病にて城兵が次々と倒れるという事態が発生。さらには、当主「春王丸」までもが疫病にかかり、なんと病死してしまうのでした。
(※多くの兵が入城したことによって疫病が発生したのだとか…あちゃー)
こうした危機に、続連はニ男「長連龍(ちょう・つらたつ)」を変装させ、城外への脱出を成功させました。
そう、これまで地道に誼を通じてきた織田家への援軍を求めることとしたのです。

一方「上杉謙信」は冷静でした。
犠牲の大きい力攻めを避け、重臣「遊佐続光(ゆさ・つぐみつ)」らと密かに連絡を取り、内応を確約させたのです。
かねてより不満を募らせていた続光、「温水景隆」らの重臣はこの危機的状況を逆手にしてついに反発を開始。

実権を握る「長続連」を本丸付近にある自邸へと招き、これを謀殺。
さらに報せを聞いて駆けつけた嫡男「長綱連」を殺害したほか、長一族をことごとく皆殺しにするのでした。


こうして、難攻不落をもって知られた名城「七尾城」は内部分裂により、あっけない落城を迎えるのです。
難敵畠山氏を打ち倒した「上杉謙信」はついに能登をも支配下としたのです。

さて、この頃の「織田信長」は天下統一に向け、着実に歩んでいたような時期でした。
中央では挙兵した将軍「足利義昭」を追放(元亀四年(1573))、近畿の反対派勢力をほぼ一掃して支配力を高め、東では戦国最強と言われた武田家を天正三年(1575)の「長篠合戦」にて破り、西では小寺氏など播磨の諸勢力を調略して、毛利氏との争いに備えておりました。
さらに、近江には優美な安土城の築城を開始(※写真:天正四年(1576)、三年後に完成)していたのです。

強敵武田家を破った今、信長が恐れていたのは中国の毛利氏、四国の長宗我部氏という両者ではなく、越後の龍こと「上杉謙信」なのでした。

実際、”土佐の出来人”と称えられた土佐「長宗我部元親(ちょうそかべ・もとちか)」については、「あれは鳥なき島のコウモリ」と厳しく批評。
また、毛利氏については本願寺への支援などの恨みがあったことで、徹底的に攻め滅ぼす考えだったようなのです。

⇒ つづく。
  次回は「出陣する織田勢、がしかし…」(4/5)

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※そんなこんなで七尾城です。
 加賀・能登にもぜひ行きたいのですよー。休みほしいなぁ。


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