お寺さんぽ Ver.03

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久米の乱に挑む三好義賢 (三好長慶とその一族)6

2009年04月30日 | 歴史
のんびり気軽にさんぽがてら。
本日も畿内の覇者にして下剋上の代表「三好長慶(みよし・ちょうけい)」です。

大永三年(1523)、細川氏の有力な被官であった「三好元長」に待望の嫡男、今回主人公の「三好長慶(みよし・ちょうけい)」が誕生しました。
次男「三好義賢(実休)」、三男「安宅冬康(あたぎ・ふゆやす)」、四男「十河一存(そごう・かずまさ)」ら有能な弟たちを駆使し、中央から四国まで広範囲にわたる”三好政権”を築き上げた、その手腕をご覧ください。


各地の合戦にて名声を天下に轟かせた長慶。
父の仇である「三好政長」を「江口合戦」にて撃滅、主君「細川晴元」を追放して、ついに実権を握ったのです。
しかし、擁立した将軍「足利義輝(※写真)」は復権に燃える、なかなかの逸材だったのでした…。


天文二十二年(1553) 「久米の乱」・「霊山合戦」
三好家では恩人であり、主筋というべき“勝瑞屋形”こと阿波守護「細川持隆」と対立しています。

中央での混乱を見た持隆は、長きに渡って不遇をかこっていた、阿波公方「足利義冬」をを迎えました。
さらに、阿波の国人衆を味方として上洛に備えるなど、長慶に対して敵対行動を見せたのです
続いて、阿波に居座っていた「三好義賢」の暗殺を試みるも失敗。

…これは、暗殺計画を事前に密告した持隆の配下がいたらしく、逆に義賢は罠をかけます。
戦国ちっく、というのもそうですが、なにげに義賢の人望の高さが伺えますね。
(※なお、三好の姉妹らは阿波の有力国人衆らに嫁いでおり、しっかり勢力を確立・伸長させていました)
弟「十河一存」と謀った義賢は、見性寺にて持隆を暗殺
阿波・勝瑞城を確保しております。

さらに、三好勢に反対する阿波・芝原城の「久米義弘」ほか、「野田」、「佐野」、「小倉」ら国人衆は一斉蜂起して一宮へ夜襲を仕掛けましたが、これも逆に討ち破ったのでした。

この「久米の乱」に勝利した義賢は、その子で若年の「細川真之(ほそかわ・さねゆき)」を守護として擁立しました。
いわゆる傀儡として仕立て上げたかったんですが、彼も後に反対勢力をまとめて長宗我部氏と結び、再び三好氏を攻めることとなるのです。


一方、この頃の畿内では「細川晴元」と結んだ「足利義輝」ら反三好勢が懲りずに蜂起しておりました。
しっかり優位に立っていた三好勢は彼らを圧倒し続け、「足利義輝」方の籠る拠点霊山城、西院両城らを次々と攻略。
義輝らは近江朽木まで逃亡したのです。

後に、近江「六角義賢」の斡旋によって、長慶は義輝・晴元らと和睦。
晴元は隠居して、「細川氏綱」に家督を譲っております。

こちらの京都「霊山合戦」の勝利によって長慶は幕府御供衆となり、幕政だけでなく摂津・山城の実権をも掌握することとなったのでした。
彼は摂津芥川城(大阪府高槻市)を本拠として、畿内を支配するのです。

⇒ つづく。
  次回は「危険な重臣、松永久秀」(7/10)


[関連記事] 【目指せ下克上! 戦国梟雄の皆様】
⇒ 戦国時代の幕開け「北条早雲」 <前編> <後編>
⇒ 暗殺と裏切りはお手のもの「松永久秀」 (1) (2) (3) (4)
⇒ 美濃の蝮 「斎藤道三」 (1) (2) (3) (4)
⇒ 権謀術数の策士「宇喜多直家」 (1) (2) (3) (4) (5) (6)
⇒ 意外と知らない軍神の父 「長尾為景」 [  ]
⇒ 梟雄?名将?不確かな東北出世頭 「津軽為信」 [ ]
⇒ 謀略が得意な天性無欲正直の人 「尼子経久」 [    ]



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三芳野の花―三好長慶の生涯
諏訪 雅信
近代文芸社

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※下手をすると、複数掲載された本からも外されてしまう長慶さま。
 うーん、凄い人ではあるんですけどねぇ。

北條五代祭り弁当 (小田原・東華軒)

2009年04月27日 | ネタ
のんびり気軽にさんぽがてら。
えー、いろいろあって昨日更新できなかったので、軽くおまけ。

毎年恒例。
GW中の5月3日から5日にかけて行われる「北條五代祭り」
★北條五代祭りHP

その期間限定のお弁当が発売されていたので、さっそくゲットしてきました。




※北條五代祭り弁当です(★東華軒HP


…もう、このパッケージだけで欲しくなりますよね。
しかもお祭り対応パッケージということで、期間限定商品なの。
これは食べない訳にはいきません。



※イマイチな写真ですみません。あわててました。


【 内容 】

[左上]      [右上]
・さつま揚げ    ・手焼き玉子
・松葉蛸      ・枝豆
・ボイル帆立    ・さざえ
・こんにゃく串   ・ひじき
・牛すじ

[左下]      [右下]
・梅ご飯      ・信田巻
・花小梅      ・筍
・グリーンピース  ・にんじん
           ・ふき
           ・れんこん
           ・しいたけ
           ・金目鯛煮付


こんなバラエティ豊かな内容に、缶のお茶がついて1500円です。
うまい、安い!
好き嫌い多いひでるさんですが特に苦手とするものはなく、おいしくいただきました。
ちなみに、お祭り実行委員会さん発行の「かわら版」も入っております。


[関連記事] 【オススメ・アイテム】
⇒ イカス戦国グッズの店「もののふ 天守」 (新宿・販売店)
⇒ 信長の野望DS2 プレイレビュー (ゲーム・光栄)
⇒ オススメ!信長の野望DS2 (ゲーム・光栄)
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⇒ TV見仏記3 南山城・宇治・伏見編
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⇒ 秘仏開帳~特別拝観の古寺・名刹をゆく~
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⇒ 携帯電話[SH-04A]について (シャープ・docomoPRO)


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すごい駅弁!(ナレッジエンタ読本12)
小林しのぶ(駅弁の女王)×矢野直美(鉄道フォトライター)
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※旅の醍醐味のひとつですよね。
 駅弁はいいなぁ。


将軍家の直臣となった三好長慶 (三好長慶とその一族)5

2009年04月23日 | 歴史
のんびり気軽にさんぽがてら。
本日も畿内の覇者にして下剋上の代表「三好長慶(みよし・ちょうけい)」です。
大永三年(1523)
細川氏の有力な被官であった「三好元長」に待望の嫡男、今回主人公の「三好長慶(みよし・ちょうけい)」が誕生しました。
次男「三好義賢(実休)」、三男「安宅冬康(あたぎ・ふゆやす)」、四男「十河一存(そごう・かずまさ)」ら有能な弟たちを駆使し、中央から四国まで広範囲にわたる”三好政権”を築き上げたその手腕をご覧ください。


各地の合戦にて名声を天下に轟かせた長慶。
政権下では、軍事勢力として地位を大いに高めていた彼の次なるターゲットは、父の仇である「三好政長」、そして主君「細川晴元」でした。
「江口合戦」では”鬼十河”と恐れられた弟「十河一存」の活躍もあって、宿敵政長勢を撃滅したのです…。


続いて、将軍「足利義晴」親子、そして「細川晴元」親子らとの戦いにも勝利した長慶は彼らを京都より追放。
近江にあった「足利義輝(※写真)」を将軍として迎え、「細川氏綱」と共に幕府の実権を握ったのです

こうして畿内を掌握し、三好政権を樹立した「三好長慶」
もともとは阿波守護・細川氏の家臣だった彼が、いつしか幕府の実力者にまでのし上がったのです。

…が。

育ちが畿内であったことが影響しているのか、旧幕府権威を重んじる長慶には自ら覇を唱えるような発想はありませんでした
また、幕府直下であること、他地域と異なって、丹波、摂津の国人衆勢力が強かったこと…など、確かに状況としても古い枠組みから逃れて戦国大名化することは容易なことでなかったのです。たぶん。
「織田信長」くらいのはちゃめちゃな強引さが必要なのかも知れませんね(笑)

彼の願いは足利将軍家の直臣となり、その権威を利用して実権を掌握することだったようなのです。
だいたい、これまでの彼を見ると敵・味方がよく入り乱れる曖昧さがあるんですね。
あんなんは、いかにも中央政権の権力闘争であるように思うのです。


そんな訳で、三好政権という体制を築いたものの、幕府を滅ぼす考えはなかった長慶。
彼の誤算は、擁立した将軍「足利義輝」が傀儡の地位に甘んずるようなタイプでなく、なかなかの逸材であったことでしょう。

天文二十年(1551)
若江城内にて「遊佐長教」が暗殺。
これは将軍義輝の指示である、という噂がありますが、確かなものではありませんでした。
どうやら長慶の暗殺をも企んでいたようですが…こちらも確証はありません。
このような、和戦両様という緊張した状況は四年ほど続くのでした

⇒ つづく。
  次回は「久米の乱に挑む三好義賢」(6/10)

[関連記事] 【織田政権セット】
⇒ 人間五十年…の幸若舞「敦盛」
⇒ 滋賀県 「姉川古戦場」 (史跡探訪シリーズ)
⇒ 信長の正妻「濃姫」(京都・総見院)
⇒ 魔王の弟 「織田信行」 [    
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⇒ 米のような必需人「丹羽長秀」 前編 後編
⇒ 天才軍師「竹中半兵衛重治」 (1)(2)(3)(4)(5)(6)
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⇒ 文武二道・会津に適う人物 「蒲生氏郷」 [      
⇒ 信長に背いた男 「荒木村重」 [  
⇒ 本願寺・大谷派  大通寺 (滋賀)
⇒ 坂本城址 (滋賀)
⇒ 迷う明智光秀「おみくじを引く人間心理」
⇒ 明智光秀の誤算「歴史を動かした手紙」
⇒ 謀反の理由は?「本能寺跡地」



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<時代の流れが図解でわかる>早わかり鎌倉・室町時代
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※複雑さが戦国時代にも影響する室町時代。
 ざっと理解するにはこちらがオススメです。…さすがに分かりやすかったです。


お寺バンザイ! (たまに行くならこんな寺・京都外地域編)

2009年04月19日 | お寺
のんびり気軽にさんぽがてら。
ブログは三好氏の途中ですが、本日は特別企画です。

 『 お寺バンザイ! (たまに行くならこんな寺・京都外地域編)   

              (川野太郎・若村麻由美)

…はい。
以前は京都編とか分割されてなく、リニューアルしたところ…なんと、ブログの文字数制限に引っ掛かってしまったのです。
本文としては多くないんですが、この記事実際はリンクとかなんとかで相当な量の文字数になっているのでした。
びっくりですねー。

まぁ、連休も近いことですし、旅行先としてこちらの寺院を訪ねてみてはいかがでしょう?
(※単に並べただけでは不親切なので、コメントつけました)


~ 京都外地域編 ~


■ 奈良のお寺 ■

唐招提寺 (奈良) 「鑑真和上」のお寺。絶塵の名刹。
秋篠寺 (奈良) 「小栗栖常暁」のお寺。
秋篠寺 その2 (奈良)
興福寺 (奈良) 「国宝・阿修羅像」が有名。
薬師寺 (奈良) 世界遺産。南都七大寺のひとつ。
飛鳥時代の国宝 薬師三尊像 (奈良・薬師寺)
金峯山寺 (奈良)  金峯山修験本宗の総本山。山岳信仰の聖地です。


※薬師寺

■ 滋賀のお寺 ■

石山寺 (滋賀) 「源氏物語」を執筆したお寺です。
西教寺 (滋賀) 天台宗真盛宗総本山。明智光秀ゆかりのお寺。
真盛上人「身代わりの手白猿」 (滋賀・西教寺)

豊臣秀勝公菩提寺・妙法寺 (滋賀) 長浜城付近にあります。
長寿院・弁才天堂 (滋賀) 佐和山城址に行くならこちらも。
義仲寺 (滋賀) 木曾義仲、松尾芭蕉ゆかりのお寺。
大通寺 (滋賀) 本願寺一派の寄合道場。「長浜の御坊さん」
浮御堂[海門山満月寺] (滋賀・大津市) 近江八景のひとつ「堅田の落雁」


※西教寺 …芸術性を狙って、失敗してます(笑)
     ちなみに、↑あちらも「西教寺」です。


■ 静岡・伊東のお寺 ■

松月院 (伊東) 七福神「弁天様」を祀る。
海光山 仏現寺 (伊東) 七福神「毘沙門天」を祀る。「天狗の詫証文」もあります。
東林寺 (伊東) 七福神「布袋」を祀る。「河津三郎」ゆかりの寺。
清水寺 (静岡県・音羽山) 京都の清水寺に似てたらしい。
足柄聖天堂 (静岡県・小山町) 日本三体聖天尊のひとつ。
依京寺 (裾野・景ヶ島渓谷) 石がとろけた「景ヶ島渓谷」にひっそりと。

■ 神奈川のお寺 ■

川崎大師・平間寺 (川崎市) 亀がいっぱいおりました。
大天狗像 大雄山最乗寺 (南足柄市) でかい下駄が目印。
日向薬師 (神奈川) 鼻から蜂が。
田谷の洞窟・体験記 定泉寺 (神奈川県横浜市) 魅惑の洞窟体験「リアル・ドラゴンクエスト」
浄発願寺 (神奈川・伊勢原) 浄発願寺の跡地。やや不思議な雰囲気。
宝蓮寺 (神奈川県・秦野市)  歴史のあるお寺。秦氏ゆかり。
重文 木像聖観世音菩薩立像 (秦野・宝蓮寺)
浄智寺 (神奈川県・鎌倉) 鎌倉五山第四位。「北条師時」によって創建。
鎌倉大仏 (鎌倉市・高徳院) 鎌倉で唯一の国宝。
鎌倉大仏・胎内参拝 (鎌倉市・高徳院)
長安寺 (神奈川県・箱根) 石仏の羅漢さんが見所。
長安寺・五百羅漢像 (神奈川県・箱根)
早雲寺 (神奈川・箱根)  小田原北条家の菩提寺。


※浄発願寺

■ 東京のお寺 ■

清水堂 (上野)  手水のつかいかた。
大円寺 (東京)  全自動・御手洗所。
閻魔像 (新宿・太宗寺) 閻魔堂でボタンを押そう。
五智如来石像 (葛飾区・真勝院) 寅さん記念館の帰りにでも。
蛸薬師 成就院(東京・目黒) 薬師像を持ったタコに遭遇。
高幡不動尊 「金剛寺」 (東京・日野市) 「関東三大不動」の一つ。
重文 木造不動明王坐像 (東京・金剛寺)
幻の真慈悲寺 (東京都・日野市) その存在が幻とされている。

■ その他地域のお寺 ■

長齢寺 (石川県七尾市) 前田家の菩提寺。
瑞鳳寺 (宮城県仙台市) 伊達家の菩提寺。
中禅寺 (栃木県・日光市) 松竹映画「愛染かつら」のロケ地。
立木観音 (栃木県日光市・中禅寺)
岐阜大仏・正法寺 (岐阜) 日本一の乾漆仏「籠大仏」あります。
中尊寺 (岩手県・平泉) 奥州・藤原氏のお寺。「金色堂」は国宝です。
達谷窟毘沙門堂 (岩手県・平泉) 百〇八体もの「毘沙門天」を祀ったお堂。



※ちなみに…タイトルの元ネタは、懐かしの「料理バンザイ!」な1コーナーでした。
 司会は皆の憧れ「滝田栄」さん。
 

[関連記事] 
⇒ お寺バンザイ! (たまに行くならこんな寺・京都編)




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五木寛之の百寺巡礼 ガイド版〈第5巻〉関東・信州 (TRAVEL GUIDEBOOK)
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※百寺巡礼してみたいですねー。
 とりあえずは先立つものもそうですが、時間が…。

”鬼十河”こと十河一存 (三好長慶とその一族)4

2009年04月16日 | 歴史
のんびり気軽にさんぽがてら。
本日は畿内の覇者にして下剋上の代表「三好長慶(みよし・ちょうけい)」です。

大永三年(1523)
細川氏の有力な被官であった「三好元長」に待望の嫡男、今回主人公の「三好長慶(みよし・ちょうけい)」が誕生しました。
次男「三好義賢(実休)」、三男「安宅冬康(あたぎ・ふゆやす)」、四男「十河一存(そごう・かずまさ)」ら有能な弟たちを駆使し、中央から四国まで広範囲にわたる”三好政権”を築き上げたその手腕をご覧ください。

細川政権下で活躍する長慶。
「大平寺合戦」にて木沢勢を、一時は窮地に追い詰められた「舎利寺合戦」では弟らと協力して「細川氏綱」、河内守護「畠山政国」らをそれぞれ撃破したのです。
こうして、彼の名声は天下に轟いたほか、政権下では軍事勢力としての地位を大いに高めたのでした…。


天文十七年(1548)
「舎利寺合戦」にて勝利した三好勢。
長慶は争った「細川氏綱」、河内守護代「遊佐長教」らと和睦し、長教の娘と再婚しております。
なんと、その翌年には氏綱を擁立して、再び「細川晴元」に背いているのです。

経緯としては、細川政権の中心人物であった叔父「三好政長」の存在でした。
もともと父「三好元長」と険悪であった政長は、その死に深く関係した人物として仇であったのです。

晴元にはたびたび政長の排斥を願っていたようですが、これが了承されなかったのです。
おそらく、晴元は台頭する長慶を恐れていたでしょう。
腹心というべき政長を手放さないのは、当然であったと想像されます。

天文十八年(1549) 「江口合戦」
こうして、一時は討伐した相手である「細川氏綱」を擁立した長慶は、再び主君に対して反旗を翻したのでした。
ここで活躍したのは、兄長慶と共に出陣し、”鬼十河”と恐れられた有能な弟「十河一存」です

幼名「之虎」という一存は讃岐国山田郡にて勢力を持つ名族、十河城主・十河氏の養子となっていました。
有名な毛利氏の両川と同様、一存に後を継がせることでその勢力を吸収をしていたのです。

さて、「細川晴元」は各勢力に援軍を要請したほか、自らも出陣して長慶勢をかく乱。
要請に応じ、晴元を助けるべく近江からは「六角義賢」が出陣しました。
救援軍の接近を知った「三好政長」は、守備に易い摂津・江口城へと入りました。

要所に兵を配置して、合戦を有利に運んでいた長慶。
しかし、六角勢の大軍がいよいよ接近したことで意を決した弟・一存は、政長の守る江口城へと突撃したのです!
それに続いて、他の三好勢らも城内へと乱入し、猛烈な勢いで政長勢を撃破したのでした。

なお、ここで一存は「三好政長」を討ち取る大功を立てたと言われております。
まぁ…それに近い活躍をした、ということだとは思いますが。

政長の討死によって、晴元勢は崩壊。
晴元、さらに将軍の義輝をも京から追放し、長慶は彼の元居城であった芥川城へと拠点を移したのでした。

…ちなみに、その政長の子が「三好政勝」
丹波宇津城を拠点とし、親の仇である長慶の打倒に執念を燃やすこととなるのです。
晴元残党として、たびたびゲリラ戦を挑むのですが…実は、三好一族では彼の家系が江戸幕府にて直参となり、幕末にまで至るのでした。
歴史は面白いですね。

⇒ つづく。
  次回は「将軍家の直臣となった三好長慶」(5/10)


[関連記事] 【戦国武将大会】
⇒ 尼子氏武闘集団「新宮党」
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国盗り頭脳バトル 信長の野望

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※同じ信長~でも、こんなんはどうでしょう?
 

畿内最大”舎利寺合戦”に挑む長慶 (三好長慶とその一族)3

2009年04月12日 | 歴史
のんびり気軽にさんぽがてら。
本日も畿内の覇者にして下剋上の代表「三好長慶(みよし・ちょうけい)」さまです。

大永三年(1523)、細川氏の有力な被官であった「三好元長」に待望の嫡男、今回主人公の「三好長慶(みよし・ちょうけい)」が誕生しました。
次男「三好義賢(実休)」、三男「安宅冬康(あたぎ・ふゆやす)」、四男「十河一存(そごう・かずまさ)」ら有能な弟たちを駆使し、中央から四国まで広範囲にわたる”三好政権”を築き上げたその手腕をご覧ください。


阿波へと逃れていた長慶。
十一歳という若さで家督を相続すると、対立していた細川・本願寺という両者の講和という困難なミッションを成功させたのです。
その器量を見込まれた長慶は細川政権にて功を重ねて実力を蓄え、反抗して摂津半国の守護代を手にしたのでした。


こうして中央で長慶が摂津を手にしていたのと同じ頃。
それとは別に、阿波守護「細川持隆」に仕えて阿波・讃岐を押さえ、一族をまとめていた弟・義賢は伊予国(香川県)へ侵攻するなど、四国にて勢力拡大を目指しております。
この阿波勢は三好家の大きな戦力になるのです。

天文十一年(1542) 「大平寺合戦」
河内・畠山家中の混乱から、摂津国人衆と結んだ「木沢長政」は大和へ勢力を拡大するなど独自の行動をとっていました。
長慶にとっては政権復帰の際に仲介をしてくれた恩人ですが、父の旧領を有する長政は邪魔な存在だったのです。

こうして、彼のライバルであった河内守護代「遊佐長教」と結んだ長慶らは幕府軍として、河内「大平寺合戦」にて木沢勢を撃破。
その翌年には残党らが「細川高国」の養子である「細川氏綱」を擁立し、反晴元勢が各地で挙兵しました。
当初、長慶はその掃討戦に参加し、彼らを撃退しております。

圧倒的に不利であった氏綱らは、河内守護「畠山政国」、守護代「遊佐長教」と結びました。
長教は摂津国人衆を味方とし、討伐を命じられていた長慶らを逆に圧倒するのでした。
その勢力は強大で、長慶は各地の戦で敗北しているほか、「三好政長」も敗れ、「細川晴元」は京から逃亡するなど、一時は大混乱だったようのです

天文十六年(1547) 「舎利寺合戦」
こうした長慶の危機に、弟「三好義賢」、「安宅冬康」らが阿波よりついに出陣。
その軍勢と合流した長慶は、反撃を開始するのです。

阿波勢の活躍もあり、各城を次々と攻略して劣勢を挽回した長慶。
危機感を募らせた連合軍は、舎利寺付近へ進出してついに激突。
「三好長慶」ら三好勢と、「細川氏綱」、河内守護「畠山政国」、守護代「遊佐長教」という連合軍が争う、「応仁の乱」以降では畿内最大ともいわれる「舎利寺合戦」が勃発したのです

両軍勢とも二千名ほどが討死するという大合戦。
こちらは三好勢の勝利となり、長慶はその名声を轟かせると共に、大いに勢力を増したのでした

…ちなみにおまけ。
管領家で室町時代には勢力を拡大していた畠山氏。
奥州の畠山氏は「伊達政宗」に、能登の畠山氏は「上杉謙信」に、そして河内の畠山氏は「三好長慶」らによって、それぞれ滅ぼされていくのです。
以上、おまけでした。

⇒ つづく。
  次回は「”鬼十河”こと十河一存」(4/10)

[関連記事] 【中期・合戦祭り】
⇒ 史上最悪の市街戦「応仁の乱」[     
⇒ 日本三大奇襲戦の一つ「河越城夜戦」 [  ]
⇒ 日本三大奇襲戦の一つ「厳島の戦い」 [  ]
⇒ 姫若子、ついに初陣! 「長浜合戦」 [   ]
⇒ 炸裂!島津得意の釣り野伏! 「耳川合戦」 [  ]
⇒ 激突・関白軍勢対九州の覇者 「戸次川合戦」 [   ]
⇒ 徳川勢は本当に活躍した?「姉川合戦」[      探訪
⇒ はねる謙信逃げる信長 「手取川合戦」[    
⇒ 戦国メロドラマ劇場「岩村城攻防戦」[    
⇒ 戦国最強軍団の落日「長篠合戦」[    


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西国三十三カ所ウォーキング (大人の遠足BOOK―西日本)

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※大人の遠足です。
 うう、どっかいきたいよー。

一度は行きたい・奇祭「かなまら祭」 (川崎市・金山神社)

2009年04月09日 | お寺
のんびり気軽にさんぽがてら。
ブログでは「三好長慶」の真っ最中ですが…本日はコチラ、緊急レポートシリーズ(そんなのない)です。
『 一度は行きたい・奇祭「かなまら祭」 (川崎市・金山神社) 』なのですよ。

さて、お寺や神社などを色々調べていると、誰しもが必ず奇妙奇天烈なものにぶち当たると思います。
こういった、驚くようなものを発見したりもするでしょう。
……たぶん。

そういった類のに信仰があるのは、本の知識から知っていました。
ただ、それが神奈川県は川崎市という、ごく身近な場所にあるモノとは想像しませんでした。
もうすぐ開催であると聞き、去年からスケジュールを確保していたのです。
今年は四月五日は日曜日「かなまら祭」です。
(※毎年四月の第一日曜に行われる)
その感動・興奮の覚めやらぬうち、緊急レポートとしてお届けいたします。


※境内は大混雑です。

もともとは鍛冶の神様でした。
しかし、江戸時代になってから川崎宿の飯盛女(めしもりおんな:簡単には仲居さん)らの願掛けから、現在の「かなまら祭」が行われるようになったのです。
こちらの神様「金山彦神(かなやまひこのかみ)」は鍛冶(金属など鉱山系ね)を司るほか、性神としての信仰もあり、子孫繁栄、安産、縁結び、夫婦和合などの御利益があるのでした。
最近ではエイズ除けのお祭りとして、国際的にも有名になったのだとか…。


そんなこんなで、JR川崎駅から京急川崎駅へ。
この時点から周囲は物凄い人でした。
乗った正午前の電車はまさに超満員で、なんとなくを予感させられます。
結構な人数の外人さんもおり、案の定「川崎大師駅」にてほとんどが下車していました。
…これは、祭目当てですね?
その駅前から神社までの道も相当な人だかりで、
普段はこのあたりガラガラ~
という言葉が嘘みたいです。

さて、祭です!

境内は今回のメインである神輿に群がる人人人……、土産物店に群がる人人人…。
携帯カメラ、デジカメが大活躍!
電車の時点でもう超満員でしたが、境内はそれ異常…じゃない、それ以上の混雑ぶりでした。

人をかきわけ、かきわけ進むと、ついにありました!
なかなか立派な具合です。
……なんというか、すごい。


※で、でたー!!

周囲のオブジェから旗に土産、果ては大根から飴までシンボルで一色!
もうお腹いっぱいです。
いやぁ、日本って本当に面白いですね~
そう素直に感じました。
いや、本当に。


※記念撮影やら、お土産やら…。

こんな祭ですが女性客も普通におり、レプリカでの記念撮影も絶えません。
なんだかコチラがドキドキ(笑)
前述しましたが、販売されていた土産物もそんじょそこらの祭とは違いました!凄い!!
大根をソノ形に刻んだりもありました。
コチラも周囲は人だかり絶えず、大賑わい。


※イタリアTV局にインタビューされる巫女さん

さきほど外人さんも~と書きましたが、外国人比率が高いのも特徴。
なんだか、フランスだかなんだかのテレビ局が取り上げて、ウタマロブームが過熱したようなのです。
当日も日本の取材陣は皆無であるというのに、イタリアのテレビ局ほか外国からの取材陣を何組か発見。
国際的ですね!
売店の巫女さんなどに、熱心にインタビューしていました。
隣で聞いてましたが、日本語もお上手です。

日本人、外国人、問わず皆さん笑顔。
マナーもよく守っており、とりあえずひでるさん視界の範囲だけではありますが、あれほどの混雑でも嫌な気分になるようなことはなかったです

築地の見学コースでは一時中止になる騒ぎもあったようですが、こちらはキチンと日本の文化を楽しまれておりました。


※そして神輿は街中へ…

ちょっとくすぐったい終わり方で大変申し訳ないですが、あの空間には人種・性別を超越したかのような、平和な理想世界が広がっていました
…いたと思います。たぶん(笑)

あれだけの人だかりでしたからねー。
なにげに凄いことではないかなぁ。

…以上、ざっくりとした文でお届けしました。
めいっぱい楽しませていただきましたよー。
土産に購入した手ぬぐいは外で使えそうにありません。


※土産の「手ぬぐい」です。わはは。

お祭り実行委員の皆様、本当にお疲れ様でした。
来年度も期待しております。



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 興味持った方にはオススメ。


上洛する若き三好長慶 (三好長慶とその一族)2

2009年04月05日 | 歴史
のんびり気軽にさんぽがてら。
本日は畿内の覇者にして下剋上の代表「三好長慶(みよし・ちょうけい)」です。

大永三年(1523)、細川氏の有力な被官であった「三好元長」に待望の嫡男、今回主人公の「三好長慶」が誕生しました。
次男「三好義賢(実休)」、三男「安宅冬康(あたぎ・ふゆやす)」、四男「十河一存(そごう・かずまさ)」ら有能な弟たちを駆使し、中央から四国まで広範囲にわたる”三好政権”を築き上げた、その手腕をご覧ください。
ちなみに、今回の写真が「三好長慶」です。

見事「細川晴元」を後継者・管領の座に据えた、長慶の父「三好元長」
しかし、両者はやがて対立することとなり、本願寺と結んだ管領「細川晴元」の策略によって、和泉堺で一向一揆に攻められ、敗死。
当時十歳だった長慶は、阿波へと逃れたのでした…。


長慶は阿波守護である細川一族「細川持隆」の元に身を寄せました。
彼の庇護のもと、天文元年(1532)に十一歳という若さで家督を相続しております。

天文二年(1533)
一大宗教戦争「天文法華の乱」によって、「細川晴元」は本願寺と対立していました。
自業自得ですね。
ここで長慶は両者の間に立ち、一向宗と「細川晴元」の仲介役として上洛。
晴元を支えて講和に成功し、若くしてその器量を見込まれることとなったのです。
(※もともと法華宗と繋がりの深かったことが大きかったようです)

その翌三年には「木沢長政」の斡旋により、晴元とも和した長慶。
一向宗との和睦功労者ということもあり、細川氏の家臣へと復帰したのです。
こうして父と同様にその被官として、幕府へ出仕するようになりました。
長慶は細川勢力の下、地道に実力を蓄えるのです。

なお、兄長慶が畿内へ進出した後、阿波に残って三好勢をよくまとめたのは弟「三好義賢」でした。
彼は兄に負けずかなりの器量人で、政治・軍事の中心に立って、三好勢を支えていくのです

天文八年(1539)
一方、細川政権にて着実に功を重ねていた長慶。
この年にはもともと父の遺領だった河内国の代官職を要求しています。
…それなりの自信があったのでしょう。

しかし、これが許されないと、二千五百という軍勢を率いて上洛
父の仇に対して反旗を翻したのです。
武力による威圧を恐れた将軍「足利義晴」は戦わずに逃走しているなど、この当時になるとかなりの勢力を回復していたようです。

管領「細川晴元」、「三好政長」らは出陣して長慶の軍勢と対峙しておりましたが、結局近江「六角定頼」らの斡旋によって講和。
摂津半国の守護代という地位を手に入れ、摂津・越水城主となったのです

⇒ つづく。
  次回は「畿内最大”舎利寺合戦”に挑む長慶」(3/10)

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⇒ 僧侶と官位・階級 (ひでる仏教講座)
⇒ イケてる仏師「運慶」(※金沢文庫で48年ぶり真作)
⇒ 密教と言えばこの人「弘法大師」 () 
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⇒ 踊り念仏「空也上人」(京都・六波羅蜜寺)
⇒ ゲゲゲの「小野篁」 (前編 ・ 後編
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※意外に本の少ない「三好長慶」さまなのでした。
 …まぁ、最後が気の毒なことになるしねぇ。

イケてる三好軍団 (三好長慶とその一族)1

2009年04月02日 | 歴史
のんびり気軽にさんぽがてら。
本日は畿内の覇者にして下剋上の代表「三好長慶(みよし・ちょうけい)」です。

大永三年(1523)、細川氏の有力な被官であった「三好元長」に待望の嫡男、今回主人公の「三好長慶(みよし・ちょうけい)」が誕生しました。
次男「三好義賢(実休)」、三男「安宅冬康(あたぎ・ふゆやす)」、四男「十河一存(そごう・かずまさ)」ら有能な弟たちを駆使し、中央から四国まで広範囲にわたる”三好政権”を築き上げたその手腕をご覧ください。


■おまけ: ややこしい三好家家系図 (※↓:子、-:兄弟、=:養子)

 小笠原長清
    ↓
   (略)
    ↓
   之長
    ↓
   長秀--------頼澄--------長則
    ↓              ↓             ↓
   元長-康長(笑岩)  政成-政康(三人衆)  長逸(三人衆)
    ↓
  長慶-----義腎(実休)---冬康(安宅)--一存(十河)
    ↓           ↓         ↓          ↓
   義興=義継   長治-存保(十河) 信康  義継(宗家へ)=存保


※兄弟内で子供のやりとりもあるため、ややこしいてです。
 よく分かんなくなったら、こちらをご確認下さい。


享禄四年(1531) 「大物崩れ」
先の合戦に敗れていた「細川高国(※写真)」は二万という兵力を動員。
抵抗しましたが、播磨「赤松政村」が三好勢に寝返ったことから戦況は一転。
元長は天王寺にて高国を大敗させ、さらに追撃して尼崎へ追い詰め、自害させたのでした。

なお、この頃から阿波国人衆と摂津国人衆の間で内部分裂・抗争が起こっていました。
管領となった「細川晴元」は一向一揆勢力を使って、解決を試みるのです。

河内飯盛城の「木沢長政」を河内守護「畠山義宣(はたけやま・よしのぶ)」、そして「三好元長」らが攻撃。
もともと飯盛城は畠山氏の居城でした。
しかし、「木沢長政」は主君を裏切って「細川晴元」に通じるなど、独自の行動を見せていたのです。

義宣は飯盛城奪回のため、その当時は晴元と対立するようになっていた「三好元長」に助力を依頼していたのでした。
戦況は畠山・三好連合軍が圧倒的に有利でしたが、長政の援軍要請を受けた晴元、「三好政長」らは石山本願寺「証如(本願寺光教)」に支援を依頼。
これによって証如が激を飛ばすと、付近の宗徒らが一斉決起し、なんと三万という大軍勢となって連合軍を背後から攻撃したのです。
たちまち畠山・三好らを敗走させてしまうのでした。

この戦いによって、総大将「畠山義宣」は自刃。
長慶の父「三好元長」は堺顕本寺へ逃げ込みますが、追撃を受けて討死
妻と子「千熊丸」こと長慶はこの時に阿波へと逃れています。
当時は十歳。

ちなみに、合戦で勝利した晴元勢ですが…。
この合戦によって大いに自信を深めた本願寺勢は各地で一向一揆を勃発させることとなり、やがて警戒を強めた晴元と対立していくのです。
また、討死した「三好元長」が法華宗であったため、一向宗との間で抗争が激化。
晴元はこの法華一揆をも利用して、一向宗の拠点であった山科本願寺を焼き打ち。
こうして比叡山をも巻き込む、一大宗教戦争「天文法華の乱」へと発展していくのですが…それはまた別の機会で。
(※一向宗が石山へ移動したのはこの事件がためなのです)

⇒ つづく。
  次回は「上洛する若き三好長慶」(2/10)

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⇒ 行こう!八王子城址 [ 前編 中編 後編 ]
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※ゲームをやっている方なら、一向宗の怖さをちょっぴり体験していることでしょう。
 晴元くんのせいなんですね。