のんびり気軽にさんぽがてら。
本日も修験道の開祖として有名な「役小角(えんのおづぬ)」です。
両脇に鬼を従え、やせ細ったわりに目だけ爛々としている小角の姿はどことなく悪の親玉のようにも見えますが、実際はどんな人だったんでしょう?
という訳で第二回。
正式な名前を「賀茂役君小角(かものえだちのきみおづぬ)」という小角は神事を司るシャーマンの家柄に生まれ、成長してから儒教、神道、仏教などを学習しました。
周囲にも大いに期待されていてた聡明な小角ですが、次第に学問の限界を感じるようになっていました。
十七歳になった小角は悩みに悩んだ末、ついに山へと入ります。
山岳修行です。
当時(奈良・平安頃)の山なんてそりゃー天然・自然そのものですから、そこでの生活は大変な危険を伴うのです。この山岳修行ってのがいつから、誰によって広められたかは定かでないんですが、小角の時代にはもう何名かの修行者が山へ入っていたようです。
昔は山に神様がいると信じられていましたよね。それに世俗から離れて、心静かに瞑想するには、山という場所がうってつけだったんでしょう。おそらく。
山に入って自然と共に生活をする小角。
あるとき、厳しい修行を続ける小角の姿を偶然にも元興寺の高僧が発見しました。
自らの後継者を求めていたその高僧は、厳しい山岳修行に励む彼を認め、「孔雀明王経法」の秘法を伝授しました。
それから葛木山に篭ること三十年、遂に「孔雀明王経法」を習得し、小角は不思議な術を悟ったのです。
さぁ、ちょっと胡散臭く(笑)なってきました。
小角は習得した神通力を惜しみなく発揮、日照りの夏には雨を降らしたり、逆に止めたりと多くの人々を救いました。そんな彼を慕う人々が自然と周辺に集まり、また葛木山からその一帯で修行する僧たちも伝え聞いた小角に関心し、師と敬うようになるのです。
おそらく、なんらかの奉仕活動・社会活動を通じて「大したお方じゃー」と評価されたものが、次第に尾ひれをつけて広まったというのが真相ではないでしょうか?
彼は若い時分にしっかりと学問を習得していたというのがひとつ。さらに、山へ入ることで自然について実体験しておりますんで、豊富な知識と経験がなにかと人の役に立っていたのでしょう。
…ほら、天候を言い当てるとか(※天気を予測する事柄が色々ありますよね?)、様々な深い知識を持った人というのはそれだけで特別な存在に見えるでしょう。見ようによっては、それすら「呪術」に感じられたのではないでしょうか?
こうして、小角はいつしか本人も知らぬうちに、山岳宗教団体を形成していたのでした。
次回につづきます。
[住所] 秋篠寺 奈良市秋篠町757
※写真は「秋篠寺」の行者さんです。石仏でちょっと珍しげ。
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両脇に鬼を従え、やせ細ったわりに目だけ爛々としている小角の姿はどことなく悪の親玉のようにも見えますが、実際はどんな人だったんでしょう?
という訳で第二回。
正式な名前を「賀茂役君小角(かものえだちのきみおづぬ)」という小角は神事を司るシャーマンの家柄に生まれ、成長してから儒教、神道、仏教などを学習しました。
周囲にも大いに期待されていてた聡明な小角ですが、次第に学問の限界を感じるようになっていました。
十七歳になった小角は悩みに悩んだ末、ついに山へと入ります。
山岳修行です。
当時(奈良・平安頃)の山なんてそりゃー天然・自然そのものですから、そこでの生活は大変な危険を伴うのです。この山岳修行ってのがいつから、誰によって広められたかは定かでないんですが、小角の時代にはもう何名かの修行者が山へ入っていたようです。
昔は山に神様がいると信じられていましたよね。それに世俗から離れて、心静かに瞑想するには、山という場所がうってつけだったんでしょう。おそらく。
山に入って自然と共に生活をする小角。
あるとき、厳しい修行を続ける小角の姿を偶然にも元興寺の高僧が発見しました。
自らの後継者を求めていたその高僧は、厳しい山岳修行に励む彼を認め、「孔雀明王経法」の秘法を伝授しました。
それから葛木山に篭ること三十年、遂に「孔雀明王経法」を習得し、小角は不思議な術を悟ったのです。
さぁ、ちょっと胡散臭く(笑)なってきました。
小角は習得した神通力を惜しみなく発揮、日照りの夏には雨を降らしたり、逆に止めたりと多くの人々を救いました。そんな彼を慕う人々が自然と周辺に集まり、また葛木山からその一帯で修行する僧たちも伝え聞いた小角に関心し、師と敬うようになるのです。
おそらく、なんらかの奉仕活動・社会活動を通じて「大したお方じゃー」と評価されたものが、次第に尾ひれをつけて広まったというのが真相ではないでしょうか?
彼は若い時分にしっかりと学問を習得していたというのがひとつ。さらに、山へ入ることで自然について実体験しておりますんで、豊富な知識と経験がなにかと人の役に立っていたのでしょう。
…ほら、天候を言い当てるとか(※天気を予測する事柄が色々ありますよね?)、様々な深い知識を持った人というのはそれだけで特別な存在に見えるでしょう。見ようによっては、それすら「呪術」に感じられたのではないでしょうか?
こうして、小角はいつしか本人も知らぬうちに、山岳宗教団体を形成していたのでした。
次回につづきます。
[住所] 秋篠寺 奈良市秋篠町757
※写真は「秋篠寺」の行者さんです。石仏でちょっと珍しげ。
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※おおっと、こんな本↓を見つけました。
こんな見事なラインナップです。スゲェ!!
司馬 遼太郎、藤巻 一保、坪内 逍遙、永井 豪、六道 慧、黒岩 重吾、志村 有弘、夢枕 獏
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出会いは、桜の吉野の金峯山で木像を見ました。
知るきっかけは関西のテレビ「歴史街道」でした。
黒須紀一郎著の役小角三部作は興味深かったですよ。
八咫烏(ヤタガラス)を祖とする賀茂(鴨)氏につながるのと、神通力はいまは毒素になる丹を薬として専売していたらしいこと。
なにより一言主などとの伝説のやり取りが愉快ですね。
役小角について、またの情報をたのしみにしています。
期待 !
小角さまの情報は少なくてミステリアスですよねー。
とりあえずカリスマ性は間違いなくあったんでしょうが、謎でいっぱいです。