お寺さんぽ Ver.03

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破綻する武田・織田の同盟関係 (戦国メロドラマ劇場~岩村城)2

2008年01月05日 | 歴史
のんびり気軽にさんぽがてら。
本日は、特別企画「戦国メロドラマ劇場」の続編をお送りいたします。
当時を知ることのできる、大変に興味深いエピソードの一つ。
戦国時代で起こった、まるで昼ドラのような愛憎劇をお楽しみ下さいませませ。

さて、にわか同盟関係となった武田、織田の両家。
将軍「足利義昭」を担いで近畿へと進出した「織田信長」はその権威を十分に利用しつつ勢力を拡大させますが、自らの立場を傀儡と悟った義昭はこれに反発。
両者の仲は険悪なものとなりました。

自らの軍隊を持たない将軍「足利義昭」は方々の有力大名へとへ密書を送り、信長打倒を画策するようになりました。
彼の乱発した密書は遠く薩摩は島津氏にまで届いていたようですが、それが本気だったのかは置いて(笑)、反信長の候補として、もっとも期待されたのが甲斐信濃の「武田晴信(※写真)」でした。

現在でも最強軍団という感のある武田家。
これは戦国時代当時の人々も同様な感覚だったようなのです。

こんなエピソードがあります。
三好、織田、毛利の三家のうち、どの傘下へ入ろうか迷っていた、播磨・御着城の「小寺政職」さま。
理路整然と織田家を推す家老「黒田官兵衛孝高」の言葉は納得できるものの、どうにも決めかね、逡巡していたのです。
しかし、天正三年(1575)の「長篠合戦」にて織田家が武田家を散々に打ち破った事実を確認し、ようやく重い腰を上げるのです。
”あの武田を破った織田の勢いは本物”
…と、いうことなのでしょう。

ちょっと話が逸れました。
当時の人々からもその実力を恐れられていた武田家、そして当主「武田晴信」
この晴信という人は損得勘定に明るい大将で、その行動には常に「利」が考えられておりました。
信濃への道をひらくがため婚姻関係だった諏訪氏に攻撃を仕掛け、海に面した駿河を手中にするため、弱体化した今川氏を攻めるなど、過去にとらわれず弱みを見せた相手を容赦なく攻めるという戦略をとっております。

さて、一方の「織田信長」は近畿と将軍を押さえ、時の勢いに乗っておりました。
がしかし、謀略によって各大名の目を中央に向けさせることに成功した将軍「足利義昭」により、四方を敵とされていたのです。
将軍からの上洛要請について、「武田晴信」は快諾しております。

戦略面で言えば、関東に広がる北条氏は強大で、また軍神「上杉謙信」率いる上杉氏との抗争は”損害多く利少ない”というもの(笑)でしたから、北、東への進軍はどちらも難しいものでした。
その点、西方面の織田、徳川は前者より組みしやすく(※と、考えていたと思う)、広大な平野と発展した国で土地もよく、また彼らは将軍「足利義昭」の包囲網によって窮地に立たされておりました。

さらに、西への進路はそのまま京へと繋がり、あるいは天下を望める可能性も広がるのです。
こうした選択で、「武田晴信」が織田家との同盟破棄の道に進むのは当然の成り行きなのでした。

⇒ つづく。
  次回は「戦う女城主の決断」(3/5)

[関連記事] 【戦国時代・歴史その他】
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※そんなこんなで「晴信さま」
 大した方だとは思いますよ、ええ。…好きではないですが(笑)


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