お寺さんぽ Ver.03

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史上最悪の市街戦「応仁の乱」 (1)登場人物編

2006年05月14日 | 歴史
のんびり気軽にさんぽがてら。
本日は史上最悪の市街戦と名高い「応仁の乱」についてです。
はっきり言って、ややこしくて長いです。
まとめるひでるさんも極楽浄土が見えかかったような気がします。
…嘘ですが。

さて、今回一回目は「応仁の乱」に登場する主な人物を集めてみました。
小説書く前のキャラクター設定みたいなもんです。
今後の記事で訳分からなくなったら、ここまでさかのぼってもらえればと思います。
まぁ、どうぞ。


■細川 勝元(ほそかわ かつもと)
今回主人公の一人にして応仁の乱では東軍の総大将。十三歳で家督を相続。その三年後に管領となると、以後二十三年間で三度管領に任命されるなど、人生を政争に明け暮れた時代の申し子というべき人。禅宗を信仰し、絵心や和歌もたしなむ風流人でした。料理がうまかったらしいというお茶目なデータもあります。正妻「春林寺殿」は下に書いた宗全の養子です。
ちなみに戦国初期に活躍した「細川晴元」は勝元の曾孫(※孫からは養子)です。

■山名 宗全(やまな そうぜん)
今回主人公の一人にして応仁の乱では西軍の総大将。入道するまでは「持豊」という名前でした。二十八歳で家督を相続。上の勝元とはなんと娘婿という間柄。赤松氏の反乱には討伐軍の主力を率いて活躍。衰退しかかっていた山名家を一代で八カ国の守護にまで復興させた、根っからの武闘派。赤ら顔で「赤入道」とも呼ばれており、態度もでかい豪快な方であったようです。

□足利 義政(あしかが よしまさ)
応仁の乱当時の八代将軍。八歳で将軍となりますが、政治よりも文化的なことに傾倒。いい加減で優柔不断な性格が政治・軍事の混乱を招くなどいいとこなしですが、慈照寺(銀閣寺)など、わび、さびの「東山文化」を残したことが唯一の功績。
正室は下に紹介する「日野富子」です。トミコ、ですよ(笑)

□日野 富子(ひの とみこ)
将軍義政の正室にして史上何人目だかの悪妻。京都七つ口に関所を設け、さらにあちこちから賄賂を受け取るなど、巨万の富を築いた悪徳おばはん。常に金と権力を求め、政治・軍事をより混乱させた原因の一人。ひでるさんの個人的考えですが、おそらく旦那のこと大嫌いだったのではないか、と思います。ちなみに実家の日野家は将軍家とちょこちょこ縁戚関係を持っていた、やらしい家柄。
九代将軍「足利義尚」の母。

□足利 義視(あしかが よしみ)
七代将軍義勝、上に紹介した八代義政の同母弟。出家して「義尋(ぎじん)」と名乗っていましたが、兄のわがままで還俗。以後は時代に大いに振り回され続けた、不幸な弟。結果的に将軍にはなれませんでしたが、息子は十代将軍(義稙)となりました。
ちなみに正室は「日野富子」の妹。こちらは普通の方であったようです。特に歴史上名前も出ていないようですし。



[関連記事]
⇒ 室町時代
⇒ 関東公方と関東管領


[住所] 真正極楽寺  京都府京都市左京区浄土寺真如町82

   ※今回写真は真正極楽寺の真如堂です。
    足利義政が建立しました。
    明日から本編でーす。

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※こーんな無責任男がこうして↓評価されるという…。

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