のんびり気軽にさんぽがてら。
本日は中世の名僧、臨済宗の黄金期を築いた名僧、夢窓国師(むそうこくし)です。
タイトルそのままお寺をさんぽしたり、ブログ書いたりしているとたまに見かける言葉、というか人。
この「夢窓国師」さま。
鎌倉時代から混乱の南北朝時代となる中、夢窓さまは幕府・天皇家の双方より尊敬され、五十という高齢ながら京都から鎌倉まで引っ張りダコな活躍をするのでした。
幕府滅亡後に親政を開始した「後醍醐天皇」に招かれた「夢窓国師」さま。
再び京都・南禅寺の住職となるのでした。
ちなみに今回よく出てくる「南禅寺」ってーのは、臨済宗・南禅寺派大本山の寺院です。
京都五山(※由緒あって格式高い寺院だよー、というくくり)の第一、さらに時の権力者らが禅宗を信仰としたため、別格とまでされた、最上位たるお寺なのでした。
さて、鎌倉幕府から「後醍醐天皇」だけでなく、足利氏とも深い縁のあった夢窓さま。
武士の尊敬を集める「足利尊氏」、そして弟「足利直義(あしかが・ただよし)」兄弟も夢窓の教えを受けております。
北朝方の内乱、「観応の擾乱(かんのうのじょうらん)」では調停役として活動したり、全国に安国寺を建立するよう献策したりと、その元でも活躍していました。
なお、「足利直義」に禅の奥義を説いたのが、有名な「夢中問答」です。
これは直義の質問に答えた法話の記録で、仏教の協議を実にくだけた言葉で語っているんだって。
そう言ったところが、人気の秘訣かもしれませんね。
詳しくは知らんけど。
こうして、公武の権力者たちより信仰された「夢窓国師」の名声は天下にとどろき、臨済禅の黄金期を築くこととなるのでした。
生涯、深山幽谷(しんざんゆうこく:奥深く静かな山や谷。人があまり行かない奥深い自然)な地を好み、各地にて多くの禅寺院を開山。
また、多くの名園を残したことでも知られています。
代表として、京都の通称・苔寺こと「西芳寺」、世界遺産「天龍寺」。鎌倉では瑞泉寺、山梨では恵林寺など、夢窓作の名園があります。
なお、再興した山梨県は「古長禅寺」には、重文「夢窓国師像」があります。
この像がよく夢窓さまの特徴を捉えているそうなんですが…「夢窓国師」さまは頭頂が尖がっており、細面で両目の幅が狭く、撫で肩だったようなのです。余談ですが、「古長禅寺」の拝観は事前連絡が必要との事なので、気をつけてください。
正平六年(1351)
日本では南北朝がまだ統一されぬ中、多くの弟子を育てるなど大活躍を続けた「夢窓国師」さまは死去。
享年七十六。
この当時では信じられんくらいの長生きさんでした。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/kaeru_night.gif)
[関連記事] 【名僧・怪僧・奇僧…僧特集】
⇒ 密教と言えばこの人「弘法大師」 (1 ・ 2 ・ 3)
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⇒ 盲目の名僧 「鑑真和上」 (1 ・ 2 ・ 3)
⇒ 踊り念仏「空也上人」(京都・六波羅蜜寺)
⇒ ゲゲゲの「小野篁」 (前編 ・ 後編)
⇒ 等持院の表門(京都)
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※実は…京都に住んでいたのに送り火見てないひでるさんです。
だって、仕事忙しかったんだもん。
焼け跡は見ましたけれど。
本日は中世の名僧、臨済宗の黄金期を築いた名僧、夢窓国師(むそうこくし)です。
タイトルそのままお寺をさんぽしたり、ブログ書いたりしているとたまに見かける言葉、というか人。
この「夢窓国師」さま。
鎌倉時代から混乱の南北朝時代となる中、夢窓さまは幕府・天皇家の双方より尊敬され、五十という高齢ながら京都から鎌倉まで引っ張りダコな活躍をするのでした。
幕府滅亡後に親政を開始した「後醍醐天皇」に招かれた「夢窓国師」さま。
再び京都・南禅寺の住職となるのでした。
ちなみに今回よく出てくる「南禅寺」ってーのは、臨済宗・南禅寺派大本山の寺院です。
京都五山(※由緒あって格式高い寺院だよー、というくくり)の第一、さらに時の権力者らが禅宗を信仰としたため、別格とまでされた、最上位たるお寺なのでした。
さて、鎌倉幕府から「後醍醐天皇」だけでなく、足利氏とも深い縁のあった夢窓さま。
武士の尊敬を集める「足利尊氏」、そして弟「足利直義(あしかが・ただよし)」兄弟も夢窓の教えを受けております。
北朝方の内乱、「観応の擾乱(かんのうのじょうらん)」では調停役として活動したり、全国に安国寺を建立するよう献策したりと、その元でも活躍していました。
なお、「足利直義」に禅の奥義を説いたのが、有名な「夢中問答」です。
これは直義の質問に答えた法話の記録で、仏教の協議を実にくだけた言葉で語っているんだって。
そう言ったところが、人気の秘訣かもしれませんね。
詳しくは知らんけど。
こうして、公武の権力者たちより信仰された「夢窓国師」の名声は天下にとどろき、臨済禅の黄金期を築くこととなるのでした。
生涯、深山幽谷(しんざんゆうこく:奥深く静かな山や谷。人があまり行かない奥深い自然)な地を好み、各地にて多くの禅寺院を開山。
また、多くの名園を残したことでも知られています。
代表として、京都の通称・苔寺こと「西芳寺」、世界遺産「天龍寺」。鎌倉では瑞泉寺、山梨では恵林寺など、夢窓作の名園があります。
なお、再興した山梨県は「古長禅寺」には、重文「夢窓国師像」があります。
この像がよく夢窓さまの特徴を捉えているそうなんですが…「夢窓国師」さまは頭頂が尖がっており、細面で両目の幅が狭く、撫で肩だったようなのです。余談ですが、「古長禅寺」の拝観は事前連絡が必要との事なので、気をつけてください。
正平六年(1351)
日本では南北朝がまだ統一されぬ中、多くの弟子を育てるなど大活躍を続けた「夢窓国師」さまは死去。
享年七十六。
この当時では信じられんくらいの長生きさんでした。
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※実は…京都に住んでいたのに送り火見てないひでるさんです。
だって、仕事忙しかったんだもん。
焼け跡は見ましたけれど。