お寺さんぽ Ver.03

現在は更新をお休みしています。

”海道一の弓取り”の嫡男は蹴鞠の達人 (今川氏真)1

2007年12月15日 | 歴史
のんびり気軽にさんぽがてら。
本日は戦国後継者シリーズ(そんなのない)、桶狭間合戦で非業の死を遂げた、天下に最も近かった…かもしれない武将「今川義元(※写真)」の嫡男「今川氏真(いまがわ・うじざね)」です。

戦国シミュレーション・ゲーム好きな方には最弱の後継者として、三国志は劉禅(りゅうぜん)と並んでバカ殿と言われてしまう「今川氏真」さま。
確かに家臣団を率いる当主としては結果が残せませんでしたが、”単なるバカでは片付けられない”不思議な魅力を持っているのです。
歴史の主役を射止めた「織田信長」に当主を討たれたとはいえ、駿遠三という三国を有していた巨大組織・今川家はなぜ急激に衰えてしまったのか。
今回はそんなお話なのでした。

清和源氏・八幡太郎義家を祖とする、名門家の今川家。
足利義氏の子吉良長氏の次男国氏の系統で、三河幡豆(はず)群は今川荘を分与されてから「今川」の姓を名乗るのでした。
南北朝時代には足利尊氏に従って功多く、東海の有力大名として代々駿河守護職を世襲。
幕府としては鎌倉への尖兵しての役割を期待されるのです。
御所が絶えれば吉良が継ぎ、吉良が絶えれば今川が継ぐ
そんな段違いの名門家は「今川義元」の代で混乱する三河をほぼ手中に収め、最盛期を築いておりました。

本編主人公の「今川氏真」は天文七年(1538)に今川義元の嫡男として誕生しております。
母は「武田信虎」の娘「定恵院(じょうけいいん)」という、才能溢れる血統でした。
なお、天文十年は「武田信虎」が駿河へ追放。同十二年は鉄砲伝来の年でした。
だいたい戦国初期な頃ですね。
特に蹴鞠が得意でして、天才的であったとも伝えられる「今川氏真」ですが、和歌や剣術など一通りを学んでおります。
ことさら文化面が強調されてしまうのは、信長に敗れた父「今川義元」影響と彼の代で国が滅んでいるためなのでしょう。

永禄元年(1558)
氏真は二十歳の頃。
この年では駿河の国務を委ねられております。
こう見ると、後継者育成もそれなりに行われていたようなのです。
万が一、義元が健在なままであったならば、また違った結果がでていたかもしれません。
…いや、そうでもないか。

美濃の土岐家、越前朝倉家、周防の大内家、などと似て、文化的影響を強く受けてしまった武将はどうしてもその気概に欠けるような性格になってしまうんですよね。
「蒲生氏郷」も学問に深く傾倒していますが、「これは本業でないからいいけげんにしないと武事が次になる」と悟ってやめております。
それができるかどうか、が英雄になれる人との違いではないでしょうか。

⇒ つづく
 次回は「当主になった蹴鞠の達人」

[関連記事] 【戦国武将大会】
⇒ 追放された巨星の父 「武田信虎」 [  ]
⇒ 強すぎる大将「武田勝頼」 [   
⇒ 海道一の弓取り・今川義元 [       
⇒ 奥州の覇者…その礎「伊達輝宗」 <前編> <後編>
⇒ 隠れた名将「北条氏照」 [  
⇒ 毛利元就を欺いた大将「大友宗麟」 [     
⇒ 越前の英雄「朝倉宗滴」 [     

 ★宜しければ応援クリックお願いします。  ⇒ 【人気blogランキング】

乱飛乱外 2 (2) 乱飛乱外 2 (2)
田中 ほさな (2006/08/23)
講談社

この商品の詳細を見る
※ひでるオススメ、戦国忍者活劇「乱飛乱外」に蹴鞠のことが書かれてました。
 要するに集団でリフティングしてるようなもので、一応落としたら負け。
 ですが、基本的に勝ち負けを争うようなものでなく、皆で協力してどれだけラリーを続けられるか、って遊びだったようです。
 …うーん、いかにも貴族ちっく。




最新の画像もっと見る