のんびり気軽にさんぽがてら。
本日は”日本三大奇襲戦”と三本の指に入りながらも抜群に知名度が低くて悲しい「河越城夜戦」についてです。
とりあえず日本三大奇襲戦、というくくり自体知らない方が多いんですね。
日本人は「四天王」だの「五大明王」だの「六歌仙」だの「七福神」だの「ハ部衆」だの「九重佑三子(コメットさん)」だのって、なにかとくくりたがりですから。
(※最後ちがうよ)
まず一つ、「桶狭間合戦」は織田信長が華々しくデビューした戦で、抜群の知名度がありますね。
さらに一つ、「厳島合戦」は中国の覇者毛利元就の飛躍の一戦です。舞台が日本三景で知られる宮島(厳島)であり、こちらも有名です。
そして、最後の一つが今回取り上げた「河越城夜戦」なのでした。
さて、なんで知名度が薄いのか?
それは、当事者であります名将「北条氏康」に原因があります。
例えば…先に上げた合戦の当事者三名で言いますと、「織田信長」は天下統一の直前で家臣に欺かれて死ぬという、運命から性格に至るまで強烈な個性があります。
そうですね、一言で言えばドラマチックなんですよ。
顔面蒼白の森蘭丸が信長のもとに来てですね、
「日向守(明智)の勢にございます!」
「光秀か…是非もなし」
と、火を放ってあっさり死んでしまう。
老衰で耄碌して、子供を頼むとさんざん泣きついた秀吉に比べ、潔くてなんだか格好いいんですね。
志し半ば、という点も日本人好みなのでしょう。
「毛利元就」は戦国時代でも屈指の権謀術数タイプで、本来は地味な人です。
しかし、情・非情の差が極端に激しく、あらゆる手段を使って一代にて中国地方の雄となった、マニア向けな魅力のある人です。
子供には三本の矢(※)でも知られるように”一致団結”を繰り返し説いている一方で、彼自身は一族や譜代・周辺の有力者と虚々実々の駆け引きを繰り広げ、逆らう者一切を根絶やしにする凄惨さを持ち合わせているのです。
(※自分がそうして拡大したので、本家守りなさいよ、一致団結しなさいよ、と訓戒したのです)
そんな彼らに比べ「北条氏康」は大変にバランスの取れた名将で、武田・上杉と互角の戦いをする実力と、早雲から続く安定した政治で領民をしっかり守り、配下にも慕われるという、目立つ欠点がない人なのです。
(※最後はさすがにバタバタしましたが、北条五代で家臣の誰も背くことがなかったという、抜群の安定感です)
氏康の戦略としても、強豪ひしめく関東にて代々の土地を守ることが第一目標であったようで、危険な冒険することなく、着実に成果を上げる方針でした。
まさに取った土地は渡さない、という感じですよ。
あまりに順調なので小説の題材にも大河ドラマにもならず、性格としてもやや問題児の上杉謙信・武田信玄と違って優等生タイプなので、ツッコミ所に欠けるんですよね。(※ちょっとは小説ありますけどね)
そんな訳で、当事者「北条氏康」の地味さを引き継ぎ、合戦自体の知名度もなんだか薄いという結果となるのでした。
…あ、これだけ文書いて単に「地味だよー」と伝えるだけになってしまいました。
(↑なんつーブログだ…)
次回はちゃんと合戦模様を書きますんで!では!
(※)三本の矢
おそらく知らんことないと思うので、詳しい言葉の説明はしません。三本だと折れづらい、ってことですわ。ちなみに、これは史実でないですが、元就の遺言などには似たような言が見られます。
「兄弟力合わせて本家を守り立てなさいよ、じゃないと俺がやってようにやられるぞ」という雰囲気でした。たしか。
[関連記事]
⇒ 北条早雲 (前 ・ 後)
⇒ 関東公方と関東管領
[住所] 小田原城 神奈川県小田原市城内6-1
※写真は代々北条家の居城「小田原城」です。
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※見つけました!
「北条氏康」マニア本ですよ!!価格七千円だって!!
さすがに中みないと買えない値段ですよねー。高い??安い??
本日は”日本三大奇襲戦”と三本の指に入りながらも抜群に知名度が低くて悲しい「河越城夜戦」についてです。
とりあえず日本三大奇襲戦、というくくり自体知らない方が多いんですね。
日本人は「四天王」だの「五大明王」だの「六歌仙」だの「七福神」だの「ハ部衆」だの「九重佑三子(コメットさん)」だのって、なにかとくくりたがりですから。
(※最後ちがうよ)
まず一つ、「桶狭間合戦」は織田信長が華々しくデビューした戦で、抜群の知名度がありますね。
さらに一つ、「厳島合戦」は中国の覇者毛利元就の飛躍の一戦です。舞台が日本三景で知られる宮島(厳島)であり、こちらも有名です。
そして、最後の一つが今回取り上げた「河越城夜戦」なのでした。
さて、なんで知名度が薄いのか?
それは、当事者であります名将「北条氏康」に原因があります。
例えば…先に上げた合戦の当事者三名で言いますと、「織田信長」は天下統一の直前で家臣に欺かれて死ぬという、運命から性格に至るまで強烈な個性があります。
そうですね、一言で言えばドラマチックなんですよ。
顔面蒼白の森蘭丸が信長のもとに来てですね、
「日向守(明智)の勢にございます!」
「光秀か…是非もなし」
と、火を放ってあっさり死んでしまう。
老衰で耄碌して、子供を頼むとさんざん泣きついた秀吉に比べ、潔くてなんだか格好いいんですね。
志し半ば、という点も日本人好みなのでしょう。
「毛利元就」は戦国時代でも屈指の権謀術数タイプで、本来は地味な人です。
しかし、情・非情の差が極端に激しく、あらゆる手段を使って一代にて中国地方の雄となった、マニア向けな魅力のある人です。
子供には三本の矢(※)でも知られるように”一致団結”を繰り返し説いている一方で、彼自身は一族や譜代・周辺の有力者と虚々実々の駆け引きを繰り広げ、逆らう者一切を根絶やしにする凄惨さを持ち合わせているのです。
(※自分がそうして拡大したので、本家守りなさいよ、一致団結しなさいよ、と訓戒したのです)
そんな彼らに比べ「北条氏康」は大変にバランスの取れた名将で、武田・上杉と互角の戦いをする実力と、早雲から続く安定した政治で領民をしっかり守り、配下にも慕われるという、目立つ欠点がない人なのです。
(※最後はさすがにバタバタしましたが、北条五代で家臣の誰も背くことがなかったという、抜群の安定感です)
氏康の戦略としても、強豪ひしめく関東にて代々の土地を守ることが第一目標であったようで、危険な冒険することなく、着実に成果を上げる方針でした。
まさに取った土地は渡さない、という感じですよ。
あまりに順調なので小説の題材にも大河ドラマにもならず、性格としてもやや問題児の上杉謙信・武田信玄と違って優等生タイプなので、ツッコミ所に欠けるんですよね。(※ちょっとは小説ありますけどね)
そんな訳で、当事者「北条氏康」の地味さを引き継ぎ、合戦自体の知名度もなんだか薄いという結果となるのでした。
…あ、これだけ文書いて単に「地味だよー」と伝えるだけになってしまいました。
(↑なんつーブログだ…)
次回はちゃんと合戦模様を書きますんで!では!
(※)三本の矢
おそらく知らんことないと思うので、詳しい言葉の説明はしません。三本だと折れづらい、ってことですわ。ちなみに、これは史実でないですが、元就の遺言などには似たような言が見られます。
「兄弟力合わせて本家を守り立てなさいよ、じゃないと俺がやってようにやられるぞ」という雰囲気でした。たしか。
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