のんびり気軽にさんぽがてら。
本日は戦国忍者シリーズ第二回、ちょっとマニアックな人なら知っているかもしれないこの方、「百地丹波(ももち・たんば)」さまです。
このシリーズは収集できる情報がやたら少なく、怪しさ満載なのでご注意を。
やめようかとも思ったんですが…出来る限りでやろうかと。
「百地三太夫(ももち・さんだゆう)」という名前もよく聞かれますが、これは別名?あるいは一族の別人かな?
とりあえず、官位「丹波守」を名乗った百地さんがいつだか当主でいたことは確かなようです。
伊賀の国人、あるいは土豪とかだったのかな。
「百地丹波」は名前そのまま、百地丹波城(上野市)を居城としておりました。
伊賀国という土地柄もあって、まるで”忍者の首領”であったかのように扱われておりますが、その実態ははっきりせず不明。
とりあえず、漫画映画にあるような、多くの忍者を召し抱えていた頭領ってイメージは違うのでしょう。
天文年間(1532~1555)には、伊賀付近一帯を制圧。
小土豪となっていたようです。
ここは、室町時代の旧支配体制がほぼ崩壊し、新たな戦国時代の扉が開こうとしている頃です。
日本の最南端では鉄砲が伝来し、甲斐では「武田晴信」が父「信虎」を追放して当主となり、越後では「長尾景虎」が兄「晴景」に代わって当主となっております。
おそらくは群雄割拠の日本、伊賀国にて頭をもたげた、有力国人一人だったのでしょう。
続く天正年間(1573-1592)にも、一族の名が記録に散見しております。
その天正七年(1579)
「織田信長」の次男、伊勢北畠氏を相続した「織田信雄」が伊賀へ攻め込んでおります。
この際には土地勘に優れていたことに加え、おバカで有名な総大将「織田信雄」の指揮の拙さもあり、織田勢を大敗させました。
なお、その軍事行動は父「信長」に無断のことであり、むやみに兵を失っただけの「信雄」は激しい叱責を受けたと伝えられています。
しかし、続く天正九年(1581)には付近の諸大名・数万と言われる軍勢に再度攻められ、ここで討死。
百地家は滅亡してしまうのでした。
一説には忍者に脅威を感じた「織田信長」が徹底弾圧を行ったとか、伊賀忍者らを統括する司令官であったなど、興味深い話もありますが…うふふ。
なお、織田の重臣「滝川一益」は出自が不確かで、「九鬼嘉隆」を推挙するなど伊勢の出身であるという説のほか、伊賀・甲賀の出身と言われ、それがため”忍者であった”とか言われています。
要するに、そういう期待を持ちたくなる、土地柄な土豪だっただけのことなのかな。
[関連記事] 【戦国武将大会】
⇒ 将軍 足利義輝 (京都・等持院)
⇒ 追放された巨星の父 「武田信虎」 [前 中 後]
⇒ 強すぎる大将「武田勝頼」 [1 2 3 4]
⇒ 海道一の弓取り・今川義元 [1 2 3 4 5 6 7 8]
⇒ 蹴鞠の達人「今川氏真」 [1 2 3 4]
⇒ 奥州の覇者…その礎「伊達輝宗」 <前編> <後編>
⇒ 隠れた名将「北条氏照」 [1 2 3]
⇒ 北条家の忠実なる影 「風魔小太郎」
⇒ 毛利元就を欺いた大将「大友宗麟」 [1 2 3 4 5 6 ]
⇒ 智勇兼備の勇将 雷神「立花道雪」 [前編 中編 後編 ]
⇒ 越前の英雄「朝倉宗滴」 [1 2 3 4 5 6]
⇒ 固辞する嫡男「毛利隆元」 [前 中 後]
⇒ 船上の二人[長尾政景・宇佐美定満](戦国サスペンス劇場) [前 中 後]
⇒ 山内上杉氏の防波堤 「長野業正・業盛」 <前編> <後編>
⇒ 最強軍団を撃退した北信の雄 「村上義清」 <前編> <中編> <後編>
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※ニンニン、とか変な語尾もなかったでしょう。当たり前ですね。
わかんないけれど、もう少し職人っぽい集団だったと思うのです。
本日は戦国忍者シリーズ第二回、ちょっとマニアックな人なら知っているかもしれないこの方、「百地丹波(ももち・たんば)」さまです。
このシリーズは収集できる情報がやたら少なく、怪しさ満載なのでご注意を。
やめようかとも思ったんですが…出来る限りでやろうかと。
「百地三太夫(ももち・さんだゆう)」という名前もよく聞かれますが、これは別名?あるいは一族の別人かな?
とりあえず、官位「丹波守」を名乗った百地さんがいつだか当主でいたことは確かなようです。
伊賀の国人、あるいは土豪とかだったのかな。
「百地丹波」は名前そのまま、百地丹波城(上野市)を居城としておりました。
伊賀国という土地柄もあって、まるで”忍者の首領”であったかのように扱われておりますが、その実態ははっきりせず不明。
とりあえず、漫画映画にあるような、多くの忍者を召し抱えていた頭領ってイメージは違うのでしょう。
天文年間(1532~1555)には、伊賀付近一帯を制圧。
小土豪となっていたようです。
ここは、室町時代の旧支配体制がほぼ崩壊し、新たな戦国時代の扉が開こうとしている頃です。
日本の最南端では鉄砲が伝来し、甲斐では「武田晴信」が父「信虎」を追放して当主となり、越後では「長尾景虎」が兄「晴景」に代わって当主となっております。
おそらくは群雄割拠の日本、伊賀国にて頭をもたげた、有力国人一人だったのでしょう。
続く天正年間(1573-1592)にも、一族の名が記録に散見しております。
その天正七年(1579)
「織田信長」の次男、伊勢北畠氏を相続した「織田信雄」が伊賀へ攻め込んでおります。
この際には土地勘に優れていたことに加え、おバカで有名な総大将「織田信雄」の指揮の拙さもあり、織田勢を大敗させました。
なお、その軍事行動は父「信長」に無断のことであり、むやみに兵を失っただけの「信雄」は激しい叱責を受けたと伝えられています。
しかし、続く天正九年(1581)には付近の諸大名・数万と言われる軍勢に再度攻められ、ここで討死。
百地家は滅亡してしまうのでした。
一説には忍者に脅威を感じた「織田信長」が徹底弾圧を行ったとか、伊賀忍者らを統括する司令官であったなど、興味深い話もありますが…うふふ。
なお、織田の重臣「滝川一益」は出自が不確かで、「九鬼嘉隆」を推挙するなど伊勢の出身であるという説のほか、伊賀・甲賀の出身と言われ、それがため”忍者であった”とか言われています。
要するに、そういう期待を持ちたくなる、土地柄な土豪だっただけのことなのかな。
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わかんないけれど、もう少し職人っぽい集団だったと思うのです。