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名門意識の義昭さま (佐竹三代:佐竹義昭編)3

2009年10月29日 | 歴史
のんびり気軽にさんぽがてら。
本日は”そこそこ名前を知っていながら、いまいちどんなだったか知らない戦国武将”という一人。
常陸は佐竹氏についてお送りしております。


若くして十七代当主となった「佐竹義昭(さたけ・よしあき)」
佐竹三家の補佐を受け、さっそく常陸統一を目指します。

まず、父の代では従っていた江戸氏を見事討伐した義昭。
上々の戦果を挙げた彼の元に、意外な使者が訪問しております。

天文二十年(1551)
川越夜戦(1546?)で大敗していた「山内上杉憲政」は衰退を続け、この頃には北条氏に圧倒され平井城を攻略されておりました。
そんな憲政が、若き当主である義昭に保護を求めてきたのです。

これは、元々十二代「佐竹義人(義憲)」が関東管領「上杉憲定」の次男であった縁を頼ったようなのですね。
条件は上杉氏の名跡と共に”関東管領職”の相続
ほぼ名ばかりとはいえ、関東管領は魅力あるものでした。
(※ちなみに、後に相続した「上杉謙信」は大喜びをしたといいます)

しかし、こちらも名門家たる誇りがためか、義昭はこの申し出を断ったのでした。
後に武田氏との同盟でもありますが、血統・名跡というものは現代人の我々が考えるより、非常に重いものという例だと思います。

下野では「宇都宮広綱」を支援。
ここでは那須氏を破り、十二歳ほどの若さだった広綱を支援して宇都宮城へと復帰させています。
続いて、陸奥高野郡へ侵攻。
羽黒山城を拠点とし、白川(白河)結城氏「結城晴綱」と争って、寺山城などを攻略。
この進軍は、古くから金の産地であった八溝金山の経営が深く関係しているとかなんとか…。

永禄三年(1560)
先の”関東管領職”は結局「上杉謙信(※写真)」が就任し、彼の呼びかけた関東出陣に応じております。
この一件からか、いままで北へ目を向けていた義昭が常陸南方への進軍を本格的に考えるようになるのです。

陸奥から下野の一部までを版図とし、常陸国最大の戦国大名となっていた佐竹氏。
先の戦から中央部の江戸氏を影響下に置き、南部の名門家・大掾氏などは娘を迎える懐柔策をとる一方で、南方の小田氏とは徹底して対立。
実際には、弘治二年(1556)の頃から小田氏とたびたび小競り合いを続けており、本拠小田城の攻防戦はなんと約二十年もの間に渡って続くこととなります。

永禄七年(1564)
北条氏、結城氏と結んで挽回を目論む小田氏でしたが、義昭は「上杉謙信」と同盟を結んで、これに対抗。
山王堂に戦って小田氏に勝利し、逆に本拠である小田城を攻略するなど、目覚ましい活躍を見せたのでした。

こうして、順調に勢力を広げていく義昭でしたが…
永禄五年(1562)
嫡男「佐竹義重(さたけ・よししげ)」を十八代当主として、なんと突然隠居してしまうのです。
(※ちなみに、この時の義重は自らが後継者となったのと同じくらいでまだ十五歳)
当時の彼は三十歳程度でしたから、まだまだ働き盛り。
しかし、永禄八年(1565)に三十五歳で夭逝しているため、どうやらどこか体調が悪かったようなのです
こうして、悲願の常陸統一は息子の義重に託されたのです。

⇒ つづく。
  次回は「北条嫌いな義重さま (佐竹三代:佐竹義重編)」(4/9)

[関連記事] 【目指せ下克上! 戦国梟雄の皆様】
⇒ 戦国時代の幕開け「北条早雲」 <前編> <後編>
⇒ 暗殺と裏切りはお手のもの「松永久秀」 (1) (2) (3) (4)
⇒ 美濃の蝮 「斎藤道三」 (1) (2) (3) (4)
⇒ 権謀術数の策士「宇喜多直家」 (1) (2) (3) (4) (5) (6)
⇒ 意外と知らない軍神の父 「長尾為景」 [  ]
⇒ 梟雄?名将?不確かな東北出世頭 「津軽為信」 [ ]
⇒ 謀略が得意な天性無欲正直の人 「尼子経久」 [    ]
⇒ イケてる三好軍団 「三好長慶とその一族」 [         10]


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※次々買って行くとキリないですが…このTシャツもいいですねー。
 さすが謙信、アイテムもいっぱい売ってます(笑)


若き当主の義昭さま (佐竹三代:佐竹義昭編)2

2009年10月25日 | 歴史
のんびり気軽にさんぽがてら。
本日は”そこそこ名前を知っていながら、いまいちどんなだったか知らない戦国武将”という一人。
常陸は佐竹氏についてお送りしております。


かの英雄「八幡太郎義家」などを輩出した武家の名門・清和源氏から続く家柄であった佐竹氏。
鎌倉時代では「源頼朝」に敵対して討伐を受けましたが、南北朝時代では「足利尊氏」に味方して活躍。
常陸国の守護職を手に入れると共に、”関東八屋形”の一家となったのです。

その後、名門家ではありがちな同族対立を招き、ほぼ一世紀という長きにわたった混乱は、十五代「佐竹義舜(さたけ・よしきよ)」まで続いたのでした。
何はともあれ、こうして平安時代から続く名門家はとりあえず無事に弱肉強食の戦国時代を迎えることとなったのです。


■おまけ: 佐竹氏 略系図 (※↓:子、-:兄弟)

 源義光
  ↓
 義業--義清(武田氏)
  ↓
 昌義(佐竹氏) 
  ↓
 (省略)
  ↓
 義篤--師義(山入氏)
  ↓
 義舜---------------義信(北家)----政義(東家)
  ↓                           ↓            ↓
 義篤--義元(宇留野氏)-義里(南家)  義廉          義堅
  ↓                  ↓                     ↓
 義昭()             (養子)                  義久
  ↓                  ↓
 義重()--------義尚(南家)
  ↓
 義宣()-義広(蘆名)-貞隆(岩城)-宣隆(多賀谷)-義直
                    ↓
                  義隆(佐竹:義宣の養子となって後を継ぐ)


戦国時代では、十八代で”鬼義重”と恐れられた「佐竹義重(※写真)」の頃に戦国大名として大きく発展し、北条氏、伊達氏らと争いました。
続く「佐竹義宣」は豊臣政権下に属し、常陸五十五万石を安堵。
関ヶ原合戦では態度曖昧だったため、秋田藩二十万石に移封されることとなるのです…。
では、さっそく詳細に見てみましょう。


中興した義舜の孫「佐竹義昭(さたけ・よしあき)」は十七代当主。
父「佐竹義篤(さたけ・よしあつ)」は反乱した実弟「宇留野義元(うるの・よしもと)」に悩まされたもののこれを破り、北進政策を進めていました。

天文十四年(1545)
その義篤の死によって、義昭は十五歳という若さで当主となりました。
義篤は三十八歳で亡くなっているんですが、この原因がいまいち不明。
持っている資料には、簡潔に死亡と書かれていました。

戦死ならば家中の混乱などもあって歴史に残ると思われるので…たぶん病死ではないかと思います。
(※こちらの義昭自身も、三十四歳という若さで急死しています)
ともかく、そんな訳で若くして当主となった義昭は分家である佐竹三家、
北家「佐竹義廉(さたけ・よしかど)」
東家「佐竹義堅(さたけ・よしかた)」
南家「佐竹義里(さたけ・よしさと)」
という補佐を受け、常陸統一に励むのでした…。

⇒ つづく。
  次回は「名門意識の義昭さま (佐竹三代:佐竹義昭編)」(3/9)

[関連記事] 【歴史・その他】
⇒ 「両・分・朱」の貨幣制度
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⇒ 晴明神社 (京都) 
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※こちらも歴史城さんのアイテム。
 佐竹氏ファンの方はぜひ揃えたいでしょう。

常陸の名門 佐竹三代 (佐竹三代:歴史編)1

2009年10月22日 | 歴史
のんびり気軽にさんぽがてら。
本日は”そこそこ名前を知っていながら、いまいちどんなだったか知らない戦国武将”という一人。
常陸は佐竹氏についてお送りいたします。

そう、ひでるさんもあまりよく分かっていません。
えー、勇猛で知られる「佐竹義重」が勢力を拡大して、その付近では有力な戦国大名であったということくらい。
関ヶ原の際に「佐竹義宣(※写真)」は西軍寄りだったと思いますが、その後は…どうなったんだっけ?
そのくらいな知識。
たまたまゲームで佐竹氏をチョイスしたこともあり、この機会に調べてみることとしたのでした。


佐竹氏は清和源氏から続く名門家です。
お馴染みの常陸に勢力を持ったのは、なんと平安時代からのこと。
歴史あるんですよ。
常陸国は久慈郡佐竹郷にあったため、それから佐竹氏を名乗るようになりました。
竹がどうのというエピソードもあるみたい。

さて、奥七郡を本領とし、当時から付近の有力領主であった佐竹氏。
平氏側であった鎌倉時代には判断を誤って「源頼朝」に敵対し、その討伐を招いてしまいます
「富士川合戦」の勝利で勢いづいた頼朝勢は関東での最大勢力という佐竹氏をターゲットとしたのです。
この戦に敗れた佐竹氏は当然守護にはなれず、不遇な日々を過ごすこととなりました。
しかし、建武の動乱にて七代「佐竹義貞」は終始「足利尊氏」に属して活躍。
その功によって、見事常陸守護となったのです。
佐竹氏はこの室町時代に、関東八屋形(※)の一つとされています
「お屋形さま」の誕生ですね。

こうして順調だった佐竹氏ですが、鎌倉公方に対立した「上杉禅秀」の乱にて分裂。
公方寄りであった宗家に対し、一族の山入佐竹氏などが上杉方についてしまったのです。
さらに、子がなかった宗家十一代「佐竹義盛」が関東管領「山内・上杉憲定」の子を迎えて後継者としたため、家中はより混乱することとなったのでした。

この内乱を鎌倉公方と対立をしていた幕府が利用。
なんと、四代将軍「足利義持」は庶家である山入佐竹氏の「佐竹与義」を常陸守護に任命するのです。
室町の将軍はこうしたところがイヤらしいんですねー
こうして、常陸国は二人の守護が並立するという、異常な有様となったのです。
幕府と結んだ山入・佐竹氏の反乱は、ほぼ一世紀にわたって続きました。
名門家にありがちな、一族間抗争に悩まされるのです。

ここで登場するのが十五代・中興の祖と言われている「佐竹義舜(さたけ・よしきよ)」
一時は本拠太田城を奪われて逃亡していた義舜ですが、岩城氏と結んで反撃。
山入城を攻略し、長きに渡って反逆していた、山入一族を滅ぼすのでした。

こうして内乱を平定してほぼ常陸国を掌握した義舜は、水戸城の江戸氏、古代から続く大豪族・石岡城の大掾(だいじょう)氏、小田城の小田氏、結城氏・多賀谷氏らと覇権を争うこととなるのです。

⇒ つづく。
  次回は「若き当主の義昭さま (佐竹三代:佐竹義昭編)」(2/9)


(※)関東八屋形[かんとう・はちやかた]
 室町時代に関東地方の有力大名につけられた称号(屋形号)。
 足利一門から有力な守護大名などにつけられた。
 他には宇都宮、小田、小山、千葉、長沼、那須、結城…など。


[関連記事] 【室町時代セット】
⇒ 室町時代(歴史さんぽ)
⇒ 続・室町時代 中央政治編
⇒ 続・室町時代 地方政治編
⇒ 関東公方と関東管領 (歴史さんぽ)
⇒ 南北朝時代の若き英雄 「北畠顕家」(    
⇒ 父の背中を追う英雄 「楠木正行」(前編 中編 後編
⇒ ”六分の一殿”の名門・山名一族 [   
⇒ 史上最悪の市街戦「応仁の乱」[     


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室町時代の彫刻-中世彫刻から近世彫刻へ 日本の美術第494号(494)
根立 研介
至文堂

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※美術的には良い時代ですねー。
 将軍さまトンデモな感じなんですが…。

着よう、戦国Tシャツ! (広島・歴史城、ほか)

2009年10月18日 | ネタ
のんびり気軽にさんぽがてら。
本日はひでるさん収集中の戦国Tシャツ特集です。

先日ブログにてちょろっと書きました、「石田三成Tシャツ」
こちらが届きました。
かっちょえーですよ、どうですか?



代名詞ともいうべき「大一大万大吉」が脇にあるため前後どちらからも見えるのがポイント。
手前の丸三つ(三星)は旗紋、背中のあれは三成の花押(※署名のようなもの)ですね。
ちなみに、彼がどんな軍旗を使用していたのかは正確な資料なく、実際のところ”不明”なんだって。
(※よく見られるのは、江戸時代に描かれたものから導き出しているの)

で、こちらを販売しているのが”西日本で初めての歴史グッズ専門店”という「歴史城」さん。
なにげに右のリンク集にもこっそり追加してました。
戦国から幕末までをメインに取り扱っており、Tシャツにストラップ、ブックカバーから文房具まで、かなり豊富なラインアップでした。
心なしか三成さまほか西軍寄りなのもひでるさんには良い感じ(笑)

できれば取材がてら実際に行ってみたいんですが…こちらの場所が広島なんですねー。
どうしても気軽には行けません。

…ちなみに、このブログも”のんびり気軽にさんぽがてら”とか言って京都の寺ばっかりだ、とか言われたことあります(本当)
そうか、こんな気分なのか。
日本三景ではあと宮島(厳島)だけ残っているので、「毛利氏」の史跡を訪ねつつ行ってみましょうか。



行ってみたいな「歴史城」ということで、HPはこちら ⇒ 「歴史城HP


あるいはひでるさん買ったように通販でも問題ないので、とりあえずはそちらでどうぞ。
(※アマゾンでも購入できました)

と、これだけだとなんだか味気ないので、ひでるさんが各地にて収集しておりますご当地Tシャツコレクションをご堪能下さい。




※左:岩手(たぶん)の弁慶Tシャツ 右:仙台は政宗Tシャツ

似たデザインですね。
やっぱり「伊達政宗」はかっちょえーですわ。
お2人とも、単にシルエットだけで誰だか分かるところがスゴイです。
クイズでは不利ですが。




※どっちも滋賀(たぶん)の「織田信長」Tシャツ

しわしわですみません。
信長と言えば、やっぱり「天下布武」ですか。
右は他の色もあったんですが、珍しかったのであえてあの色をチョイスしてみました。

そう、黒が多いんですよね。
好きな色なので全然OKなんですが、山城・山寺へ行った際にはスズメバチの攻撃対象になるというデメリットも。
(※黒は巣を荒らす熊などと色が同じなので、彼らの攻撃対象になるのでした)
くれぐれもご注意を。



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A5ブックカバー「石田三成」 第2弾

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※こんなのもあります、ブックカバー。
 イカしてます。

正法寺 (京都・西京区)

2009年10月15日 | お寺
のんびり気軽にさんぽがてら。
本日は、京都市は西京区のずっと奥…大原野は真言宗のお寺、正式名称「法寿山 正法寺」こと「正法寺(しょうぼうじ)」です。

同じ名前の多い「正法寺」
ブログで以前やった、日本三大仏の一つ「岐阜大仏」があるのも「正法寺」てした。
そっちは岐阜ですが、京都府内だけでも複数ある様子。
まぁ、無難に綺麗な寺名ですもんね。

時は奈良時代。
奈良は「唐招提寺」を創建した、盲目の名僧「鑑真和上」さま。
その高弟で共に日本へ来ていた「智威大徳」はこの地に落ち着いたのが始まりと言われています。
創建は天平勝宝年間(749~756)、後に「弘法大師」もここを訪れ、厄除けのため「聖観音像」を刻みました。
京都寺社の宿命である「応仁の乱」にて焼失しますが、大阪城が落城した元和元年に再興。
元禄年間(1680~1703)には「桂昌院(けいしょういん:五代将軍綱吉の母)」の帰依を受け、徳川家代々の祈願所となったのでした。



そんな訳で…極楽橋を渡ると、そこが「正法寺」
境内全体には全国から集められた岩が配置され、通称は「石の寺」
庭はさして興味のないひでるさんですが…ここの「鳥獣の石庭」こと「宝生苑」は面白い!
あちこちの庭石を蛙とかうさぎ、獅子など十五種類の動物に見立てているのです


※「鳥獣の石庭」案内図

また仏像では、何と言っても重文「三面千手観音」でしょう。
こちらは三面形式という珍しい「千手観音」で、鎌倉時代のものでした。
他にも、西国薬師霊場第四十一番札所ということで「薬師如来」、京都六大黒天霊場第三番ということで「大原野大黒天」がおられます。
この「大黒天」ですが、通称「走り大黒天」という、これまた珍しい仏像なのです。
”一日一刻でも早く福を授けよう”と、走っているんだそうな。
以前紹介しました、「水琴窟」もこちらですね。

適度な広さのある境内です。
仏像は無論のこと、遊び心のある石庭や水琴窟まで、楽しいお寺でした。
オススメです。



[住所]
 正法寺 京都市西京区大原野南春日町1102


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ウッディージョー 1/75 鹿苑寺 金閣(ゴールド仕様)

ウッディージョー

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※仏像もいいですが…こうしたのを飾っておくのもステキですね。
 問題は飾っておくスペースなんですが。

カフェソフト (川越・菓子屋横丁そば「ちもと」)

2009年10月11日 | ネタ
のんびり気軽にさんぽがてら。
本日はひでる食べ歩きシリーズ、埼玉県川越市元町の菓子屋横丁付近にありました「カフェソフト」です。
まぁ、鬼怒川で食べた「いちごソフト」と同じく、いかにも失敗しないだろう組み合わせですね。

川越夜戦の舞台、「川越城」を見よう!

期待と共に、痛む足そのまま出掛けたひでるさん。
(※そのうち書きますが、この前日に山寺へ行って筋肉痛なの)
まあ、連休がためか付近は混んでおり…菓子屋横丁に至っては狭い通りに人・人・人…


※入口付近のでこんな状況です。

はっきり言って、まともに前へ進めないほどの状況でした。
店に並ぶ品を見る余裕すらありません。

あまりの混雑具合になんだかなぁ、と思っていましたが…
よくよく確認したポスターでその原因が判明。



コレかー!!

なるほど、混む訳だぁ。
さらに、タイミングの悪さは重なり、ようやく着いた川越城は…



やっちまいました。
平成二十三年まで修復だそうで
ああ、そうですか(笑)
珍しく雨降らないなぁと思っていましたが、こんなことになろうとは。
まぁ、「喜多院」が面白かったんでいいんですが。

さて、そんなこんなで表題。
混みあう菓子屋横丁にへきへきとしていたひでるさん。
その付近にて発見したのがこちら。


『 珈琲屋さんの作ったソフトクリーム カフェソフト 』


※場所は写真の現在地より菓子屋横丁寄りです。

きました、コレをネタにしましょう。
本来、この川越付近では紫芋ソフトが名物。
あちこちの店にはそうした看板が出ているんですが…あれ鎌倉で食べてるんですよね。
地域違えば味もまた違うのかもしれませんけど、どうせ大したコメントも残せそうにない(笑)ので、避けました。

「カフェソフト」です。
販売は元町珈琲店「ちもと」さん。
専用のHPはないみたいですが、店名で検索すると結構ひっかかりますので、事前に調べたい方はどうぞ。
人気店なのかな。
「コーン」と「ワッフル」の生地も選べるのが嬉しいですね。(※↑上写真参照のこと)
こちらはお好みでどうぞ。
ひでるさんが選んだのは、とりあえずコーンでした。



これはコーヒーではなく、カフェオレな感じですね。
…って、「カフェソフト」だからいいのか。
感覚としては、コーヒーフロートのソフトクリーム部分。
コーヒー成分は強すぎず、甘さとしてもほどほど
極端でない無難な味付けなので、子供から大人まで楽しめると思います。

【おすすめ★メーター】 元町珈琲店「ちもと」作 『 カフェソフト 』
■■■■■ 5Point …値段から量もお手頃で、大変美味しく頂きました。

いかがでしょう?
前述しておりますが、もともと相性がいい組み合わせだけあって、なんの問題もありません。
付近の名物「紫芋ソフト」になんとなく抵抗ある方にはオススメです。
出掛けた際には、ぜひお試しください。


[関連記事] 【ひでるグルメレポート特集】
⇒ そうめん 仁和寺(京都)
⇒ ひやしあめ (神護寺・売店)
⇒ 続・ひやしあめ (柴又・題経寺周辺)
⇒ 八つ橋ソフト(京都・おたべ)
⇒ ゆばソフトクリーム (日光)
⇒ ずんだ抹茶ソフトクリーム (仙台・松島)
⇒ 紫いもソフトクリーム (神奈川・鎌倉)
⇒ 浅草もんじゃまん (東京・浅草寺)
⇒ ほうじ茶そふとくりーむ (滋賀・石山寺)
⇒ 八丁味噌ソフトクリーム (愛知・名古屋城)
⇒ 和のしずく ~抹茶あん~(ロッテ)
⇒ しそソフトクリーム (京都大原・三千院付近) 
⇒ 京野菜ソフトクリーム (京都・嵐山付近) 
⇒ お米から生まれた清涼飲料「ビアンラルク」 (岩手県遠野市) 
⇒ 金箔ソフト (石川県・今井金箔) 
⇒ とちおとめイチゴソフト (栃木県・鬼怒川温泉) 
⇒ 北條五代祭り弁当 (小田原・東華軒) 
⇒ ディッピンドッツ・アイスクリーム (東京ジョイポリス) 
⇒ 激辛!わさびソフトクリーム (伊豆・修禅寺付近) 
⇒ 権現力ソフトクリーム (高尾山・薬王院) 
⇒ 冷たい抹茶 (京都・高台寺付近) 



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レゴ クリエイター カフェコーナー 10182

レゴ

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※こんなんあるんですねー!
 ”大人のためのレゴ”だって。

美仏巡礼[完全保存版]、ほか (仏像・書籍)

2009年10月08日 | 仏像
のんびり気軽にさんぽがてら。
本日は…ついに見つけました、こちらの本「美仏巡礼[完全保存版]」です。

まぁ、便利な世の中ですから、ネット注文すればスグに手に入るもの。
こうした本というのは、漫画など確実に分かるものとは違いますよね。
以前から良いと聞いていましたが…実際にどんなものか見てから買いたかったんです。

うん、これはオススメです。

全部で138ページのオールカラーなムック本。
まず特筆すべきは、掲載されている写真群。
かなりの量があると共に、しっかり詳細に撮られております。
そのだいたいがサイズ大きく、迫力も満点。
写真家「三好和義」さんの「仏像 こころの楽園」も良かったです。
素敵なグラビア具合でした。
仏像好きでなくとも、目を引かれると思います。
また、特に“山本勉、柴門ふみ、みうらじゅんの仏像ツウ三氏が選ぶ「今、見ておくべき美仏ベスト50」”は広隆寺の「弥勒菩薩」、法隆寺の「釈迦三尊」、興福寺の「阿修羅」などの基本的なものから…

・西往寺の「宝誌和尚立像」 (顔がぱっくり割れ、十一面観音の顔が出てる方)
・新薬師寺の「おたま地蔵」 (裸のお地蔵さん)
・正妙寺の「十一面千手千足観音菩薩」 (千の足を持つ、「見仏記5」で紹介されていました)
・泉涌寺の「楊貴妃観音」 (ブログでも紹介しました、楊貴妃モデルの仏像)

…という、レア仏までが網羅されていました。
ちゃんとそれぞれお寺の情報(拝観料、拝観時間などまで)があるので、ガイドとしても非常に便利です。
テキストも意外に多く読み応えあり、「みうらじゅん」さん書かれる基礎知識も適度なくらい。
(※秘仏カレンダーは09年6月までで、時期過ぎてますけどね)

美仏巡礼 完全保存版 (日経ホームマガジン OFFムック)

日経ホーム出版社

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【内容】
・楽園写真家・三好和義撮り下ろし 誰も知らない木喰仏の世界
・仏旅 癒しの仏像に出会う旅へ
・仏像の基礎知識
・今、見ておくべき美仏ベスト50
・三好和義 仏像写真傑作編 「仏像 こころの楽園」アーカイブ
・京都美仏案内
・東京から土日で行ける 週末見仏
・個性派写真家が捉えた美仏たち
・ブックレビュー 仏像を愛した作家たち
※綴じ込み付録「秘仏100開帳カレンダー」

…以上、非常に見応えある本でした。
写真が多く、紹介も宗教然としておらず柔らか。
特に初心者の方にはいきなりカチカチっとした仏像本を読むより、こうした感じのがとっつき易いでしょう。


ちなみに。
より楽しくお寺を楽しみたい、なんとなくお寺に興味持ちつつある方には…
「お寺にいこう!」
お寺に行こう!

扶桑社

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「珍寺大道場」
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という2冊がオススメです。
うち、「お寺にいこう!」は”お寺を違った角度から楽しもう”という感じで、「珍寺大道場」はいかにも面白いお寺を取り上げています。
「珍寺大道場」のがよりはっちゃけた感じですね。



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落城、意地の吉川元春 (鳥取城合戦)6

2009年10月04日 | 歴史
のんびり気軽にさんぽがてら。
本日も魅惑の攻城戦シリーズ(そんなのない)です。
長くお送りしてきました「鳥取城合戦」は今回がラストです。
後の太閤「羽柴秀吉」の実力が遺憾なく発揮される合戦の結末をお楽しみ下さい。


天正九年(1581)六月
姫路城から出陣した「羽柴秀吉」率いる織田勢は「吉川経家(きっかわ・つねいえ)」の守る鳥取城を攻囲。
事前の米買い占めによって乏しかった食糧は二カ月で尽き、三カ月にもなると城内は地獄の参上になってしまうのでした。
毛利水軍も海上を警戒する「細川藤孝」勢によって阻まれ、城の食糧不足は決定的となったのです。


九月
糧道確保・武器弾薬の給基拠点として経家が築いていた「丸山城」
「奈佐日本之介」の守備するこちらも海路を封鎖され、さらに秀吉勢の「宮部継潤」が中間地点にあった「塩谷高清」の守る「雁金城」を陥落させたため、ここに孤立。
(※「塩谷高清」は「丸山城」へ撤退し、鳥取城落城と共に降伏)
道祖谷(さいのかみだに)を占領し、包囲をより縮めると共に、「丸山城」との連絡を分断し、「鳥取城」を完全に孤立化させたのです。

十月(二十五日)
冬まで耐えれば秀吉勢は撤退する
…そんな目論見だったという、経家。
しかし、鉄壁の包囲で援軍は来ず、酷い城内の有様を見ていられなくなった経家は、自分ほか「森下道誉」、「中村春続」という主要三名の切腹を条件に城兵の助命を願って降伏。

四カ月ほどの籠城戦は、城内兵士らの飢えと疲労を考慮した「吉川経家」の降伏によって幕を下ろすのでした。
折しも、「吉川元春(※写真左)」率いる六千の兵が到着したのと同じ日だったのです。
経家のような義士は殺す訳にいかん
その奮戦を称えた秀吉は、森下・中村ら主要重臣の責任を重視し、経家は助命しようと諫止をしています。
結果、経家はそれを断り、秀吉は信長の許しを得て承諾。

こうして「森下道誉」、「中村春続」は自刃。
同じく降伏していた「丸山城」の城兵らも続き、最後に経家が城内の真教寺にて切腹しました。

子供たちにあてた遺書には、
とっとりの事、夜昼二百日こらえ候。兵糧つきはて候まま、我ら一人御用にたち、おのおのをたすけ申し、一門の名をあげ…
と残しています。

なお、十月上旬には安芸「郡山城」より「毛利輝元」が出陣。
さらに「小早川隆景(み目写真右)」も出陣し、落城の頃には出雲「富田城」まで到着していました。
先行していた「吉川元春」率いる六千の兵は、前述しているように付近まで到着。
その頃、秀吉勢は既に「羽衣石城(うえし・じょう)」の「南条元続」を救援するため、伯耆国に入っていました。

「鳥取城」の落城によって、織田勢の全戦力を相手にすることとなった元春。
先んじて西進していた秀吉勢は、高山を陣取って元春に対峙しました。

地の利を失い、見下ろされる形となった元春はここで決戦を覚悟。
慌てず、橋津川にかかっていた橋をわざわざ撤去し、背水の陣を布いています

豪胆な元春らしい作戦です
かっこいいです、しびれますねー。
 

その一方で、土塁を築き、柵をめぐらせるなど、ちゃんと細かな防御態勢も取っています。
単に勇猛だけでないところが、彼の真骨頂です
この構えに対し、秀吉は無理な戦いを避けて「羽衣石城」、「岩倉城」に兵を配置して帰還。
元春は九死に一生を得たのでした。

鳥取城合戦は単に城の争奪ではなく、織田・毛利の戦力バランスを決定づけるものでした
毛利方は播磨「三木城」の陥落によって失った山陽コースに続き、山陰の進軍コースをも失ったのです。
逆に織田方はより中国攻めを有利に運ぶこととなったのでした。

【 おまけ 】
秀吉は大釜に粥を用意しており、開城した城兵らに配っております。
この際、腹一杯食べた者は死に、少しで我慢した者は生き残ったのだとか…。
急な食事は危険ですねぇ。




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地獄絵図の鳥取城 (鳥取城合戦)5

2009年10月01日 | 歴史
のんびり気軽にさんぽがてら。
本日も魅惑の攻城戦シリーズ(そんなのない)です。
後の太閤「羽柴秀吉」の実力が遺憾なく発揮される「鳥取城合戦」をお送りしております。


天正九年(1581)六月
姫路城から出陣した「羽柴秀吉」率いる織田勢は鳥取城を攻囲。
総延長三里(※約12km)という包囲網は水も漏らさぬほど”でした。
事前の米買い占めによって食糧は少なく、長陣を配慮された攻撃軍の士気は下がることなく、逆に自軍の士気は衰える一方なのです。
これでは、いかに守備側「吉川経家(きっかわ・つねいえ)」が有能でも、戦うことすらできません。


城内の乏しい兵糧が尽きたのは、だいたい二カ月後のこと
三カ月もたった頃より、毎日餓死者が出るようになってたようです


当初は、城内の草木を食べていました。
後に小動物から牛、馬も殺して食べるようになりなりました。
さらにそれらを食い尽くすと、何日かに一度の割合で城を出て、周囲の木の葉や草を食べるようになったのです。

籠城前に刈り取っていた稲かぶ(※要するに稲の茎部分ね)は上々な食事。

信長公記には、
餓鬼の如く痩衰へたる男女、柵際へ寄り、もだえこがれ、引き出だし扶け候へと、さけび、叫喚の悲しみ、哀れなる有様、目もあてられず…
と書かれています。

ガリガリに痩せた男女が空腹に耐えられなくなり、「出してくれ」とばかりに柵へ近づく、あるいは上ろうとした者は外より鉄砲で撃たれます。
すると、まだ息があるうちから城内の男女に襲われ、手足を切り離されて食べられる…という、実に凄惨な光景。
中でも頭部は美味いらしく、血のしたたる首を皆で争奪する有様は”地獄絵図のようだった”、そうなのです。
死んだ息子を尻の下に隠し、密かにその肉を食べていたという、にわかには信じがたいエピソードもありました。

当時の感覚でもそう思ったのですから、我々がみたらショック死してしまうかもしれませんねー。
ぶっちゃけ、これ書いてるひでるさんもなんだかしんどいです。

さて、毛利方も単に指を咥えて悠々と囲む秀吉勢を眺めていた訳ではありません。
当然、何度も補給物資を城へ入れるべく、水軍を派遣しております。

八月(九月?)の夜半には、毛利水軍「鹿足元忠(かのあし・もとただ)」が来襲。
その備えとして海上を警戒(※秀吉陣中へ兵糧を運搬する任務もあります)していた「細川藤孝」配下の「松井猪之助」らは、六十五もの船を焼いて、毛利水軍を撃退
「鹿足元忠」を討ち取ったほか、兵糧船五艘を捕えております。
こうしして、港付近にて警戒する秀吉の水軍によって、支援は阻まれていたのでした。

⇒ つづく
 次回は「落城、意地の吉川元春」(6/6)



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