お寺さんぽ Ver.03

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激戦の定説・活躍する徳川勢 (姉川合戦)5

2008年01月02日 | 仏像
のんびり気軽にさんぽがてら。
本日は結構世に広く知られていながら、「本当のところはどうなのよ?」ってな色が強い、激戦「姉川合戦」をお送り致します。
※なお、前回・下記文中にある括弧数値は次の回に使用します。

美貌の妹「お市の方」を嫁がせ、同盟関係となった尾張・織田、近江・浅井の両家。
しかし、浅井家の盟友であった朝倉家を無断で攻撃した際に「浅井長政」が反発・謀反。
まさに、袋の鼠となった織田勢ですが、命からがら脱出に成功するとすぐさま逆襲の手はずを整えたのでした。


川を挟むよう両軍は布陣。その戦は夜明けと共に開始されました。
徳川の酒井隊・小笠原隊が渡河して突撃した、あるいは朝倉方が仕掛けてきたというように、説はまちまちです。
ともかく、それらを合図として、両軍が入り乱れる大激戦となるのです。

朝倉・徳川では、序盤は兵力に勝る朝倉勢が総大将「朝倉景健」の指揮によって戦を有利に展開しておりました。
次々に渡河する朝倉方に対し、寡兵ながらよく支えていた、という状況であったようです。

終始防戦一方だった徳川勢ですが、ここで「徳川家康」は事態を打開するべく、奇策をとるのです。(3)
なんと、頼れる「榊原康政」にいくらかの兵を与えると、姉川のはるか川下を迂回。
まんまと朝倉勢の側面へと進出した榊原隊は、そちらから攻撃を仕掛けるのでした。
この不意な攻撃によって浮き足立った朝倉勢はとたんに混乱して崩れ、縦に長くのびていた部隊は勢いを取り戻した徳川勢によって、あちこちで討ち取られていくのです。

逆襲された朝倉勢はもろく、「真柄十郎左衛門直隆」の奮戦によって、命からがら総大将である「朝倉景健」が脱出するという始末でした。
なお、七尺八寸(※五尺三寸?)という長刀「太郎太刀」を振り回して活躍した「真柄十郎左衛門直隆」はここで討死しております。

浅井・織田では、浅井勢の先鋒磯野隊が猛攻を見せ、次々に織田方の陣を突き崩していたのです。(2)
大将の「浅井長政」自らも槍をふるったとされるその勢いは凄まじく、織田方の本隊へと迫るほどであったとされています。
有名なところで「大阪城合戦」の真田隊のような、激しい槍働きをしたようです。
(※十三段という構えのうち、十一段まで突破されたとかなんとか)

その危機に、横山城の監視役であった「安藤守就」「氏家卜全(うじいえ・ぼくぜん)」、徳川勢の支援につけられていた「稲葉一鉄」ら美濃衆らが浅井勢の左側面へ突撃をかけ、勢いを挫くことに成功するのでした。

これが切っ掛けとなって浅井勢の矛先は鈍り、後は兵力に勝る織田勢が有利となりました。
早々に敗走していた朝倉勢の影響もあって、浅井勢も総崩れとなってしまうのです。(4)
千七百という兵を失い、小谷城へと撤退。
なお、この際「竹中半兵衛重治」の弟「竹中久作(重矩)」が浅井方の重臣「遠藤吉右衛門直経」を討ち取って大手柄を立てています。

こうして、序盤の危機を乗り越えた織田・徳川連合軍の大勝利で幕を閉じるのでした。
この勝利によほど満足したらしく、「織田信長」は軍功のあった兵を呼び、打鮑(うちあわび)を手ずから与えたとされております。
やたらおっかないイメージの信長くんですが、こうした可愛らしいところもあるんですね。

ここで滅亡ぎりぎりまで追い詰めますが、「足利義昭」による各地の大名が連携した信長包囲網がため、織田方は大苦戦をしいられることとなるのでした。
「浅井長政」が自刃し、「お市の方」が三人の娘と共に戻るのは、これから三年後のことです。

⇒ つづく。
  次回は「激戦の真実・徳川勢は本当に活躍した?」です。

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 …そう、最近ぜんぜんやる暇がないんですけどねぇ。


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