お寺さんぽ Ver.03

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まつさん[芳春院]・前編 (京都・芳春院)

2006年02月24日 | 歴史
のんびり気軽にさんぽがてら。
本日は加賀百万石の祖、前田利家正室まつさんの眠る京都は大徳寺芳春院です。

「小判に槍持たせて戦わせればいいではないですか」
ひでるさんが彼女のファンになった一言です。

夫、前田利家は若い時分「槍の又左」と呼ばれ(注)、剛勇で知られていました。
その彼が武辺一辺倒でなく緻密な計算をするようになるのは、信長お気に入りの小姓を斬り、
追放されてからと思います。
帰参できるよう雑兵に混じって必死に働き、約二年という長い浪人生活の末、ようやく許され
て復帰するのです。

そんな利家を支えたまつさん。
学問や武芸をたしなむ、非常に聡明な女性だったようです。
屋敷が木下藤吉郎(後の豊臣秀吉)と隣同士であった縁から家族ぐるみの付き合いをする
ようになります。
旦那同士も仲が良かったですが、奥様のねねさんとまつさんの間も実に良かったようです。
その縁もあり、利家は信長死後に後継者の地位を手中にした秀吉に臣従するようになりました。

そして前田家に危機が訪れます。
秀吉・家康が激突した小牧長久手合戦の際、前田家には元は織田軍の同僚であった佐々成政の
軍勢が押し寄せてきたのです。(末森城の戦い)

算盤を得意としていた利家は財政圧迫を避ける意味もあって(この人貯蓄が好きだったようです)
兵はあまりおらず、兵力としては圧倒的に不利でした。
前々からそれを心配していたまつさんが夫利家に言った台詞が冒頭のそれです。
お家の危機なんですが、ユーモアもあって実にいい一言です。
惚れます。
女性はいつの時代も強いですね。
                                          <後編に続きます>



(注)利家元服後の名前、「前田又左衞門利家」より。

[住所] 芳春院 京都市北区紫野大徳寺町(※通常は非公開です)

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