お寺さんぽ Ver.03

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伊東氏、日向にて勢力を伸ばす (木崎原合戦)1

2009年01月29日 | 歴史
のんびり気軽にさんぽがてら。
…戦国時代、九州地方にて目覚ましい活躍をした島津一族。
本日は、その島津氏が大いに躍進する切っ掛けとなった、劇的な一戦「木崎原合戦」についてお送り致します。


元亀三年(1572)
薩摩・大隅(鹿児島県)の「島津義久」、日向(宮崎県)の「伊東義祐」という両者は、毎年のように国境付近で争っていました。
島津氏が治めていた飯野地区の奪回を目指した伊東氏に対し、そちらを守るため出陣した島津氏の間にて起こった戦いが、今回の「木崎原合戦」なのです。

伊東氏に大きな影を落とし、逆に島津氏はこの勝利を切っ掛けに躍進していくという、それぞれの転機となった合戦をご堪能下さい


日向・伊東氏は名前そのまま、もともとは伊豆国伊東荘(※静岡県伊東市)を本拠とした一族でした。
”曾我兄弟の仇討ち”でも有名な「工藤祐経(くどう・すけつね)」の子「祐時」は、建久九年(1198)に「源頼朝」より日向国にて地頭職を賜りました。
…しかし、なんでそんな遠方の地をくれるかなぁ。転勤みたいなもんでしょうかね。(※西は平氏勢力のが強いため?)
なお、伊東姓を名乗ったのもこの頃のようです。

さて、ちょっとややこしい(↓家系図参照)ですが、そちら「祐時」の子「祐光」の弟「伊東祐朝」は、賜った日向国にて定着し、そちらで勢力を伸ばしました。
一方、伊東の地に残っていた本家・伊東氏の五代「伊東祐持」は、南北朝の動乱でも判断を誤らず、「足利尊氏」に従って活躍。
恩賞として、またまた日向国は都於郡を与えられたため、この頃に日向へと下向し、分家と共にそちらへ定着していったのです。

戦国時代にて活躍した「伊東義祐」は「伊東尹祐(いとう・ただすけ)」の次男です。
もともと家督を継いでいた兄「祐充(すけみつ)」の病没後、内乱の末に仏門に入っていた弟「祐吉」が若くして当主となりました。
これは重臣「長倉祐有(ながくら・すけなお)」が擁立したことによるもののようですが、なにゆえ次男「義祐」をすっ飛ばして「祐吉」を立てたのかは不明。
後に祐有は反乱を起こしているため、そういった野望があったのかもしれません。


■おまけ 伊東家 家系図 (※↓:子、-:兄弟)

 工藤祐経
  ↓
 祐時
  ↓
 祐光-祐朝
  ↓
 (省略)
  ↓
 祐国
  ↓
 尹祐-------------祐武
  ↓                     ↓
 祐充-★義祐-祐吉      ★加賀守(祐安)
        ↓
 観虎丸-祐益---祐兵
        ↓      ↓
     義腎-義勝  祐慶
 

…結果的には、若き当主「祐吉」が天文五年(1536)にあっさり病没したため、晴れて「義祐」が継ぐこととなったのです。
(※伊東氏は若くして亡くなるケースが多いのです。兄「祐充」は二十三歳で病没(暗殺という噂もある)、弟「祐吉」もたぶん二十歳前後、嫡男「観虎丸」は早世、家督を継いでいた次男「義益」も二十三歳で病没…ちなみに、義祐は七十三歳まで生きておりますが)

ともかく、こうしたややこしい経緯で当主となった義祐。
意外にも才を発揮して領土をより拡張し、”伊東四十八城”と呼ばれる支城を備えるなど大いに繁栄させるのでした。

⇒ つづく。
  次回は「義弘、不利な戦況に挑む」(2/3)



[関連記事] 【室町時代セット】
⇒ 室町時代(歴史さんぽ)
⇒ 続・室町時代 中央政治編
⇒ 続・室町時代 地方政治編
⇒ 関東公方と関東管領 (歴史さんぽ)
⇒ 南北朝時代の若き英雄 「北畠顕家」(    
⇒ 父の背中を追う英雄 「楠木正行」(前編 中編 後編
⇒ 史上最悪の市街戦「応仁の乱」[     



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※昔は教科書にもあった(らしい)、曾我兄弟のお話。
 …じつは、よく知らないんです。

イカス戦国グッズの店「もののふ 天守」 (新宿・販売店) 

2009年01月25日 | 歴史
のんびり気軽にさんぽがてら。
本日は、友人から教えてもらった、戦国武将・変わり兜のデザインブランド【もののふ】の販売拠点「もののふ 天守」について、です。

行ってきました、戦国グッズを扱っているという「もののふ 天守」
雑居ビルの最上階で、新宿三丁目という独特な付近もあって、はっきり言って慣れた人でないと行きづらい場所
ついでに言えば、ちと入りづらいような雰囲気(笑)
特に4階から5階への階段は急に角度がキツくなり、まるで侵入者を阻んでいるような雰囲気がありました。(本当)

…そんなんに負けず、最上階まで登ると……ありましたよ、「もののふ 天守」 

暖房のためもあってか、お店なのに閉じられた扉。
やってるのかなーっておそるおそる開くと、ぽかーんとした空間。
そして、机とタンス、ちらほら商品らしきものが。
「いらっしゃいませー」
という言葉が聞こえ、ようやく安心して中へ。


※ショッピングバックもイカしたデザインです。
 しっかりとした、ビニールなものでした。

店内は引っ越し直前のような、無機質な感覚。
チラシが置いてある机以外には、ショーケースとタンスが2、3ありました。
確かに商品も見えますが、単なる展示物なのか、商品なのかよく分からず。

中にあるので、引き出し開けて下さいー

続いて、そんな声がかかりました。
家の作法では、”他人の家で勝手に引き出しとか開けない”というのがあります。
そんな訳で、やや違和感ありながらも開くと…ありました、Tシャツとか携帯クリーナー。
なるほど、宝探しな感覚なんですかね。
そこらに隠し扉とかありそうですよ(←ない)

商品の詳細については、通信販売もやっているHPを見ていただければと思うんですが、非常にお洒落。
男女どちらでも問題ないようなデザインで、かつ歴史好きな人が見ればぱちーん☆と反応できるもの
家紋がちらほら並んだTシャツを見て、「西軍、東軍?」とか反応できたひでるさんは、頭おかしいですね。
英文字で「SKGHR/E」とあったので、間違いない筈です。
…さっきHPで確認しましたが、合ってました。わーい。


※購入してきたのがこちら。
 お市の方Tシャツと、三成ハンドタオルです。

大河ドラマの関係か、はたまたお店の方の考えか、どちらかと言うと西軍ちっくな内容も気に入りました。
ただ、まだ商品種類が少ないかなぁ…。
ネクタイピンとかあればほしかったんですが。
今後どんなのが並ぶか、ちょくちょく見てみたいと思います。
戦国好きな皆様も、話のネタに訪れてみては如何でしょうか?
初めてな方は、できれば2人くらいで行くのがオススメです(笑)



[住所]
もののふ 天守」 東京都新宿区新宿3-10-11 国久ビル5階(※↑上地図参照)
Tel:03-6457-4366
(※営業は土日祭日のみだそうです。注意!)


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※こんなん見つけてきました。
 なんでトランクなんだろう??…持ってくのか?
 

お寺バンザイ! (たまに行くならこんな寺・京都編)

2009年01月22日 | お寺
のんびり気軽にさんぽがてら。
本日は特別企画です。

 『 お寺バンザイ! (たまに行くならこんな寺) 』  

              (川野太郎・若村麻由美)

…はい。
過去にやっていたものの、バージョンアップです。
文字数オーバーしたので、京都、それ以外の地域と分割しました。
まずは京都編ですね。

連休などの旅行先として、こちらの寺院を訪ねてみてはいかがでしょう?
(※単に並べただけでは不親切なので、コメントつけました)



※金閣寺

■ 京都 北区のお寺 ■

金閣寺 (京都) 外人もビックリな黄金寺。
大仙院 (京都) 大徳寺北派の本庵。由緒ある名刹。
龍源院 (京都) 大徳寺南派の本庵。日本最小の石庭「東滴壷」があります。
光悦寺 (京都) 「本阿弥光悦」の寺。
正伝寺 (京都) 伏見城の床が天井という「血天井」のお寺2。
常照寺 (京都) 名姑「吉野太夫」ゆかりのお寺。
天下の名姑「吉野太夫」(京都・常照寺)
等持院の表門(京都) 歴代将軍がズラリ。
将軍 足利義輝 等持院(京都)
等持院 (京都)
閉眠庭 瑞峯院(京都) キリシタン大名「大友宗麟」の縁起を含めた寺。

■ 京都 右京区のお寺 ■

広隆寺 (京都) 弥勒菩薩でお馴染み「霊宝殿」があります。
仁和寺 (京都) 別名「御室御所」という世界遺産なお寺。
二尊院 (京都) 釈迦・阿弥陀の二尊を祀る。
天龍寺 (京都) 世界文化遺産。法堂の雲龍図があります。
無料・公衆電話 (天龍寺)
西明寺 (京都) 三尾の名刹の一つ。
檀林寺 (京都) 皇后「橘嘉智子」さま創立。
高山寺 (京都) 仏道実践の霊域。「鳥獣人物戯画」四巻を所持。
愛宕念仏寺 (京都) 常に念仏を唱え続けた「念仏上人」千観さんのお寺。
千二百羅漢像 (京都・愛宕念仏寺)
法金剛院 (京都) 別名「蓮の寺」
妙心寺・退蔵院 (京都) 画聖「狩野元信」の庭園が見事。
水琴窟 (妙心寺退蔵院、正法寺) 宇宙へ発するシンフォニー。
常寂光寺 (京都・右京区) 京都屈指の紅葉の名所。


■ 京都 西京区のお寺 ■

十輪寺 (京都) 伊勢物語の主人公とされる「在原業平」ゆかりの寺。
大雄院 (京都・妙心寺派) 別名「蚕の寺」
地蔵院(京都)  別名「竹の寺」
善峯寺(京都) JRのコマーシャルにも登場。
善峯寺 その2 (京都)
淨住寺 (京都) 日本三禅宗のひとつ「黄檗宗」の寺。
願徳寺 (京都) 「国宝 如意輪観世音菩薩半跏像(菩薩半跏像)」が素敵。
勝持寺 (京都) 別名「花の寺」

■ 京都 東山区のお寺 ■

養源院 (京都) 伏見城の床が天井という「血天井」のお寺。
大雲院 (京都) 山鉾を模した「祇園閣」が目印。
知恩院 (京都) 浄土宗総本山。
智積院 (京都) 真言宗智山派総本山。
天得院 (京都) 「方広寺」の鐘名を撰文した「文英清韓」長老のお寺。
霊雲院 (京都) 立派な「湘雪和尚」のお寺。
東福寺 (京都) 約十五メートルの釈迦如来像があったらしい。
高台寺 (京都) 秀吉の正妻「ねねさん」ゆかりの寺。
ねねさん 高台寺(京都)
三十三間堂 (京都) 本当は「蓮華王院」、柱間が三十三であるから「三十三間堂」
日本唯一の千体観音堂 (京都・三十三間堂)
六道珍皇寺 (京都) 冥土への入り口があります。
六波羅蜜寺 (京都) おどる「空也上人」ゆかりの寺。
十一面観世音菩薩像 (京都・六波羅蜜寺)
空也上人立像 (京都・六波羅蜜寺)
泉涌寺 (京都) 真言宗泉涌寺派の総本山。ウリは下の仏像ね。
楊貴妃観音 (京都・泉涌寺)  世界三大美女の一人「楊貴妃」を模した観音像で有名。
 

※銀閣寺

■ 京都 左京区のお寺 ■

銀閣寺 (京都) 銀じゃねぇ、でおなじみ。
浄土院 (京都) 通称「大文字寺」
野仏庵 (京都) マニア「上田堪庵」さんの創立。
圓光寺 (京都・瑞巌山) 東照宮とか水琴窟とかある。
聖護院門跡 (京都) 本山修験宗総本山。
曼殊院門跡 (京都) JRのコマーシャルにも登場。
赤山禅院(京都) 泰山府君を勧請したお寺。
金戒光明寺 (京都) 浄土宗の大本山。会津藩と新撰組の屯所が置かれていた。
真正極楽寺 真如堂 (京都) 「藤原詮子」さんゆかりの寺。
うなずき阿弥陀  (真正極楽寺 京都)
詩仙堂・丈山寺 (京都) 「石川丈山」の隠居庵。
狸谷山不動院(京都) <前編> 大小の狸が不気味なほどに。
狸谷山不動院(京都) <後編>
宝泉院 (京都・大原) 「五葉の松」が見事。血天井シリーズ。



■ 京都 中京区のお寺 ■

壬生寺 (京都) 新撰組・ゆかりの寺。壬生狂言もあります。
誓願寺 (京都) 新京極の真っ只中にあるお寺。
革堂[行願寺] (京都) 革聖・行円さまのお寺。
緊急企画 本能寺 (京都) 織田信長最後の地。ヒが去るよう考えられてます。
本能寺跡地 (京都)

■ 京都 伏見区のお寺 ■

嘉祥寺 (京都) 別名「深草聖天」

■ 京都 山科区のお寺 ■

華頂山 元慶寺 (京都・山科) 三十六歌仙の一人、僧正「遍昭」のお寺。

■ 京都 上京区のお寺 ■

広徳山慈受院門跡・薄雲御所 (京都) 皇室ゆかりのお宝が数多く現存。

■ 京都 下京区のお寺 ■

因幡薬師・平等寺 (京都) 日本三如来の一つ。

■ 京都 その他のお寺 ■

黄檗山萬福寺 (京都・宇治) 黄檗宗(おうばくしゅう)の大本山。




※ちなみに…タイトルの元ネタは、懐かしの「料理バンザイ!」な1コーナーでした。
 司会は皆の憧れ「滝田栄」さん。




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梵天 (仏像・天部)

2009年01月18日 | 仏像
のんびり気軽にさんぽがてら。
本日は…「かくありたい」で有名な「梵天(ぼんてん)」です。
そう、仙台の英雄「伊達正宗」の幼名が「梵天丸」なんですねー。


さて、そんな訳で ”見かけたらラッキー”という、レア仏「梵天」さまについて。
宇宙万有、万物の根源という最高原理「ブラフマー[※梵(ぼん)と漢訳される]」を神格化したものなのです。
…よく分かんないですね(笑)

要するに、宇宙万物一切の”創造神”ということなのです。
あれよ、「ハイドライド3」のラスボス「ガイザック」みたいな存在…って、もっと分かりづらいか。
想像主だけあって高い神格があり、古代インドの「バラモン教(婆羅門)」では最高神
「ヒンドゥー教」では、「シヴァ神」、「ビシュヌ神」に準ずる、三大神の一人なのでした。
「仏教」においても早い時期から取り入られ、「釈迦」の帰依者となっています。

物語においては…「釈迦」の修行とその精神を褒め称え、真理を人々に説くことを勧めています。
えっとね、”仏教がバラモン教の最高神に祝福・庇護されていることを示している”というのですよ。

コレ、裏を言えば「バラモン教徒を仏教に吸収しよう」という、実にやらしい意図があった雰囲気なの
…やーん、大人って!大人って!!
(※昔懐かしい、某ふりかけCM風に読んで下さい。…古いか)

そんな訳で、仏教にうまーく利用されてしまった「梵天」さま。
「帝釈天」や四天王らと共に護法神として取り入られ、天部の神様の中では最高位を占める方となりました。
インドで取り入られた頃より、如来や菩薩の脇侍として「帝釈天」と共にトリオ(三尊像)を組む際の一人になることが多かったようです。

日本でも天平時代から信仰が広まり、仏法守護・鎮国利生の神として「帝釈天」と並んで崇拝されることがほとんど。
名脇役みたいな感じよ。
こちらの場合は、中国人っぽい一面二臂の善神立像。
日光・月光よりもさらに見分けつきにくいのが難点なのです。
「東大寺・法華堂」、「唐招提寺」の国宝などがそちら。

密教では十二天の一人で、こちらはインド的なかっちょえー多面・多臂像。
(※一面二臂、四面四臂、四面六臂など様々でした)
ガチョウの上に座っておられます。
こちらはなんと言っても、「東寺」こと「教王護国寺・講堂」の像が有名。
平安時代初期の国宝ですよ。

真言は「おん、はらじゃ、はたえい、そわか」
ご利益は…仏法守護だって。
あんまり関係ないかなぁ(笑)



[関連記事] 【観音・菩薩・天部などいろいろ】
⇒ 仏像の種類 (お父さんのための仏像講座) [前編] [後編]
⇒ 国宝・弥勒菩薩半跏思惟像 (京都・広隆寺)
⇒ 弥勒菩薩 (仏像・菩薩)
⇒ 普賢菩薩 (仏像・菩薩)
⇒ 勢至菩薩 (仏像・菩薩)
⇒ 般若菩薩 (仏像・菩薩)
⇒ 千体観音堂(京都・三十三間堂)
⇒ 十一面観世音菩薩 (仏像・菩薩)
⇒ 千手観音菩薩 (仏像・菩薩)
⇒ 重文 木像聖観世音菩薩立像 (秦野・宝蓮寺)
⇒ 楊貴妃観音 (京都・泉涌寺)
⇒ 如意輪観音
⇒ 馬頭観音
⇒ 不空絹索観音
⇒ 執金剛神・仁王像
⇒ 日光菩薩・月光菩薩
⇒ 二十五菩薩
⇒ 地蔵菩薩・半跏坐像 地蔵菩薩半跏像
⇒ 毘沙門天 (仏像・天部) 前編 後編
⇒ 兜跋毘沙門天
⇒ 大黒天 (仏像・天部) 仏像編 信仰編 拳印大黒天(滋賀・石山寺)
⇒ 布袋尊 (七福神)
⇒ 荼吉尼天
⇒ 摩利支天
⇒ 韋駄天
⇒ 阿修羅 (八部衆)
⇒ 大天狗像
⇒ 訶梨帝母[鬼子母神](仏像)
⇒ 千二百羅漢像 びんずるさま


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ハイドライド 1・2・3

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※なんと三部作セットになっています。
 すごいなぁ。

浮御堂[海門山満月寺] (滋賀・大津市)

2009年01月15日 | お寺
のんびり気軽にさんぽがてら。
本日は、近江八景のひとつ”堅田の落雁(らくがん)”で有名な滋賀は大津の「浮御堂(うきみどう)」です。

こちらも行きたかった場所なのです。
宮島などもそうですが、水辺と日本建築っていうのは、なんでこんなにも合うんでしょうかねー。
こちら「浮御堂」は琵琶湖へ突き出た、非常に風情と赴きのある建物なのでした。




さて、「浮御堂」とはこちらのお堂単体の名前でして、本当は「海門山満月寺」という禅寺の一部。

長徳元年(995)
時は「一条天皇」が治める平安時代のこと。
比叡山横川恵心院に住んでいた「源信僧都(恵心)」
山から琵琶湖を眺めているうち、彼はふと何か感じたようなのでした。

下山した「源信僧都」は自ら千体もの「阿弥陀仏」を刻み、さらに湖中にて一宇を建立。
湖上通船の安全と衆生救済を発願したのです。
当時「千仏閣」、「千体仏堂」と称したそちらが「浮御堂」の始まりなのです。

しかし、京へ隣接する戦略上の要地であった近江は、各時代にて度々戦火に遭っております。
こちらの「浮御堂」も例外でなく、何度もの戦場となったことで、室町時代頃は荒廃していたそうです。
ようやく復興となったのは、江戸時代になってからのこと。
…そりゃ、世情不安定な時にわざわざ湖上へお堂建てようなんて酔狂なことはしませんわね(笑)

ちなみに現在のお堂は、昭和十二年に再建されたものです。
これは登録文化財。
観音堂にある「聖観音坐像」は平安時代の重文なのでした。



なお、”堅田の落雁”というのは、「浮御堂」へ列をなして舞い降りる雁の光景…で、いいんですよね?
違ってたらごめんなさい。だいたいそんなんな筈です。
ほか、パンフにあったので八景を並べてみますと…

■特別おまけ 【 近江八景 】
 ・堅田の落雁
 ・北より比良の暮雪(琵琶湖西岸の比良山地)
 ・唐崎の夜雨(唐崎神社)
 ・三井の晩鐘(三井寺)
 ・粟津の晴嵐(粟津原)
 ・瀬田の夕照(瀬田の唐橋)
 ・石山の秋月(石山寺)
 ・矢橋の帰帆(草津市)


…こんな感じ。
できれば全てコンプリートしてみたいですね。
ぜひ訪れてみて下さい。



[住所]
 海門山満月寺 浮御堂
 滋賀県大津市本堅田1-16-18

[関連記事] 【ぜひ訪れたい近江の国】
⇒ 石山寺 (滋賀)
⇒ 西教寺 (滋賀)
⇒ 豊臣秀勝公菩提寺・妙法寺 (滋賀)
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⇒ 佐和山城址(滋賀) 基本知識編 現地レポート編
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近江路散歩 (とんぼの本)
司馬 遼太郎,水上 勉,白洲 正子
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※また近々行きたいと思います。
 一週間くらい休みほしいですねー。



源氏衰退、平家政権樹立 (保元の乱、平治の乱)10

2009年01月11日 | 歴史
のんびり気軽にさんぽがてら。
”武士の時代到来”したという、ターニングポイントと言うべき中央での変事「保元の乱」、そちらに続く「平治の乱」について長くお送りしておりましたが…ようやく今回が完結編です。
これら合戦によって源氏は没落し、平氏政権が確立することとなるのでした。


「保元の乱」の勝利によって、「後白河天皇」の側近「藤原信西」は「平清盛(※写真)」と接近し、実権を掌握しておりました。
一方、信西の対抗馬「藤原信頼」は乱後にくすぶっていた「源義朝」を味方とし、ついに挙兵。
瞬く間に「後白河院」、そして「二条天皇」を確保し、信西を自害させたのです。
こうして実権を握った「藤原信頼」ですが、独断専行の政治は「二条天皇」や大半の貴族に甚だ評判の悪いものでした。
反対派は「二条天皇」の奪回に成功。
追討の宣旨を得た「平清盛」勢はこれを機に反撃を開始し、六条河原での合戦にてついに源氏勢を敗北させたのです。

敗北した「源義朝」ら源氏勢は、東国にて勢力の再編を図るべく撤退を決意。
次男「源朝長(みなもとの・ともなが)」、三男「源頼朝(みなもとの・よりとも)」らと共に戦場を脱出しました。
なお、同行を義朝に拒否(←当然ですねー)された「藤原信頼」は捕らえられ、六条河原で斬首されております。

逃れた源氏勢。
まず、積雪のため道に迷った三男「源頼朝」は早くも捕らえられ、どうにか許されたものの伊豆へ流罪
義朝らはわずかな従者と共に琵琶湖畔へ出て勢多を渡り、美濃国(岐阜県)赤坂の青墓まで逃れました。
ここで嫡男「源義平」は一行と別れ、単独行動を取っております。

尾張国(愛知県)知多郡へ入った義朝は、家来「長田忠致(おさだ・ただむね)」を頼って東国へ逃げようとしていました。
しかし、永暦元年(1160)にその忠致によって、”浴室で謀殺されてしまう”のです。
享年三十八。

北国へ逃れていた義平はその報に接すると、
せめて一太刀でも浴びせて父の無念を晴らす
…と、逢坂山(三井寺)などに潜伏して、ひそかに清盛暗殺を狙っておりました。
しかし、”体格雄偉で不敵な面構え”だったことで怪しまれ、平家家人「難波経房(なんば・つねふさ)」によって捕らえられてしまったのです。

こうして、潜入してチャンスを狙っていた嫡男・義平も捕縛され、六条河原にて斬首。
享年二十。

なお、斬首にあたり、
死後は雷神となって経房以下の怨敵を伐たん!
そう叫んだ義平の死骸は首を抱え込むようにして伏し、”どうにも体から離せなくなった”と、伝わっています。

こうして、清盛に対抗できる勢力はなくなり、残った「後白河院」らも自らを守護するべき唯一の軍事力として、平氏を重用せざるを得なくなってしまうのでした。
その武力を背景に平氏は公卿となり、要職を一門にて占拠していくのです。
この乱によって源氏は没落。
後の頼朝挙兵まで、平家政権が確立することとなるのでした。




[関連記事]  【 源氏祭り 】
⇒ 武家の名門「清和源氏」とは?
⇒ 源頼光と四天王 <前編> 実際の頼光さま
⇒ 源頼光と四天王 <中編> 虚像の頼光さま
⇒ 源頼光と四天王 <後編> 四天王は存在した?
⇒ 鎮守府将軍 「源頼信・源頼義」
⇒ 八幡太郎の真実 「源義家はすごかった」
⇒ 八幡太郎の活躍 「前九年の役」
⇒ 名を上げた源家と奥州藤原氏の祖 「後三年の役」 前編 後編
⇒ 棟梁をねらえ! 新羅三郎「源義光」
⇒ 直接対決!鎌倉幕府vs朝廷 「承久の乱」[       ]
⇒ 義仲寺 (滋賀)
⇒ 伊勢平氏 (平正盛) 前編 後編



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コーエー定番シリーズ 源平合戦

コーエー

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※記事作成中に、こちら買っちゃいました。でへへ。
 でも、この定番シリーズはちゃんとした説明書ではないのね。


源氏勢、清盛の策に堕ちる (保元の乱、平治の乱)9

2009年01月08日 | 歴史
のんびり気軽にさんぽがてら。
本日も、”武士の時代到来”したという、ターニングポイントと言うべき中央での変事「保元の乱」、そちらに続く「平治の乱」についてお送りします。
これらの合戦によって源氏は没落し、平氏政権が確立することとなるのです。


「保元の乱」の勝利によって、「後白河天皇」の側近「藤原信西」は「平清盛」と接近して実権を掌握しておりました。
一方、信西の対抗馬「藤原信頼」は乱後にくすぶっていた「源義朝」を味方とし、ついに挙兵。
瞬く間に「後白河院」、そして「二条天皇」を確保し、信西を自害させたのです。
こうして実権を握った「藤原信頼」なんですが、独断専行な政治は「二条天皇」や大半の貴族にも甚だ評判の悪いものだったのです。

反対派は六波羅邸へ戻った清盛へ連絡をとり、密かに「二条天皇」の奪回を模索するのでした…。


一方、政権を掌握した信頼は、すっかり気を緩めておりました。
彼が油断しきっている隙に、正二位権大納言「葉室(藤原)光頼(はむろ・みつより)」らの離反、「二条天皇」方の側近「藤原経宗」「藤原惟方」、内大臣「三条公教」などの活躍によって、人質となっていた「二条天皇」の奪回を許してしまうのです。
さらに間の悪いことに、「後白河院」も自力で仁和寺まで逃れられてしまうのでした。

こうして、無事「二条天皇」を迎えることに成功した「平清盛」
六波羅邸には続々と公家などが集まり、「藤原信頼」・「源義朝」追討の宣旨を得た平勢は、これを機に反撃開始となるのでした。

◆「藤原信頼」方
 源義朝(河内源氏)
 源義平
 源頼朝

◆「平清盛」方
 二条天皇
 平重盛
 三条公教
 藤原経宗
 藤原惟方
 葉室光頼
 源頼政(摂津源氏) ⇒ 「二条天皇」脱出後に寝返り
 源光保 ⇒ 「二条天皇」脱出後に寝返り


年号は平治、ところは平安京、我らは平氏、と三拍子揃っている、勝利は間違いない!
…などと、気勢を揚げた清盛勢は、義朝らの守る宮城を攻めております。

待腎門へと押し寄せた総大将「平重盛(たいらの・しげもり)」は清盛の嫡男。
一方、内裏紫宸殿(だいりししんでん)前庭を守っていた「源義平」との戦闘は疑わしい点も多いようですが、非常に有名(※写真)です。

「われこそは桓武天皇の末裔、大宰大弐清盛の嫡子左衛門佐重盛!」
「われこそは清和天皇九代の後胤、左馬頭義朝の嫡子、鎌倉の悪源太義平!」

こうして迎え撃った義平は、群がる平家方の軍勢を次々と蹴散らし、大将重盛へと迫りました。
その、あまりの迫力に驚いた重盛は、かなわぬとみて逃亡

追われる重盛は紫宸殿前庭にあった左近の桜の木、右近の橘の木を巡って、七、八度まで逃げたと伝わっています。
この有様を見た清盛は全軍を六波羅へ撤退。

…と、こう見るといかにも「源義平」の活躍によって平氏を退けたように感じますが……実際のところ、六波羅に誘い出して殲滅するよう計画していた、清盛の作戦だったようなのです。

実際に戦闘があり、義平も奮戦したのかもしれませんが、撤退については敗れて退いたというよりは予め予定通りのことだったのでしょう。

なお、義朝の誘いあって当初は「藤原信頼」方であった摂津源氏の五代目「源頼政」は味方せずに撤退。
(※のちに「平清盛」から信頼された、数少ない源氏の一人です)
もともと頼政は「二条天皇」や「美福門院」に近い立場にあったこと、また人心を失っていた義朝親子への加担を恐れたこと、などが原因であると言われております。
さらに、源氏一門「源光保」も「二条天皇」の脱出後に寝返って、清盛方についていました。
状況としては、義朝勢がかなり不利であったのです。

攻め寄せた平氏勢を撃退した「源義朝」
追撃する源氏勢は、決死の覚悟で六波羅へと迫りました。
しかし、数に勝る平氏勢は次々と新手を繰り出して襲いかかり、さしもの源氏勢も朝から転戦による疲弊もあって次第に討ち取られていったのです…。
こうして、六条河原での合戦にて、ついに義朝は敗北してしまうのでした。

⇒ つづく。
  次回は「源氏衰退、平家政権樹立」(10/10)



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※タイトルの、「実は」ってのがいいですね(笑)
 ちと見てみたいなぁ。

金箔ソフト (石川県・今井金箔)

2009年01月01日 | ネタ
のんびり気軽にさんぽがてら。
本日はひでる食べ歩きシリーズ(そんなのない)、石川県は兼六園近くにある「金箔ソフトクリーム」です。

どうも、さすがに毎日更新はできなくなりましたが、とりあえずまだ続いてます。
自分でもびっくりですねー。

さて、ブログは現在「平治の乱」の真っ最中。
そのまま記事を続けてもいいかなーって思いましたが…ひと休憩です。
頭の中の感覚では、年末までに終わる予定だったのよ。
テキトーに進めた結果ですね。

石川県へ行ったひでるさん一行。
かの「上杉謙信」も攻めあぐねたという難攻不落な「七尾城」とか、定番「兼六園」などをぐるぐる回っていたんですね。
旅行へ行った際には御当地ソフトクリームを探すんですが、ようやく見つけたのがこちら。





ちと見え辛いですが、確かに書いてあります、「金箔ソフト」




◆ 今井金箔さんHP

はっきり言ってひでるさんとは無縁な雰囲気なんですが、ソフトと聞いたらいかない訳にはいきません。
おそるおそる店内へ…。

はっきり言って普通の貴金属店。
こぢんまりとした店内には確かにありました、ソフト製造機器。
値段はなんと350円。
高い?安い?

早速注文すると、にょろり~と、ソフトクリームをコーンに盛り付け、ぺらりとした金箔を絡ませれば…出来上がり!
すごいぞ!ゴージャスだ!!
さすが加賀百万石だ!!!



※こんな感じです。なめていくと、右のようになります。

味はスタンダードにバニラで食べましたが…えー普通のバニラ味
当たり前か(笑)
もしかして歯に触れた途端、きーん!!って嫌な感覚があるのかなと思いましたが、さにあらず。
店員さん曰く、
薄いので、虫歯と反応もしない
との事。
独特な金属っぽい、平たい味もまったくしませんでした。

【おすすめ★メーター】 金箔ソフト
■■■□□ 3Point …話のネタくらいかなぁ。

いかがでしょう?
やっぱり、こうしたモノは生涯で一度は食べたいシロモノでした。
ただ、二度目はいらんかなぁ。
目指せ!グルメレポーター!!


[住所] 今井金箔 広坂店
住所: 金沢市広坂1丁目2-36 (〒920-0962)
TEL: 076-221-1109
※兼六園から、真弓坂側。出入り口前の横断歩道渡ってすぐです。


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