お寺さんぽ Ver.03

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意外と知らない信長死後 「清洲会議」1

2006年11月04日 | 歴史
のんびり気軽にさんぽがてら。
本日は意外と知られていない、「本能寺の変」そして「山崎合戦」後の織田家について。

さて、「清洲会議(きよす・かいぎ)」って言葉を知ってますか?
学校で教わる歴史ではすっ飛ばすか、「本能寺の変」をやった後にすぐ「豊臣政権樹立」になってしまうんですね。
あるいは、戦国時代をスルーして江戸時代になっちゃうかもしれません。
(※ひでるさん中学時代はそんなでした。そりゃーがっかりよ。ええ)

戦国期って短いですし、確かに些細な時代かもしれません。
が。  
ここね、歴史としては最も入りやすくて、魅力的な時代なんですよ。
…だいたいさ、あんな教育するから、歴史は「年号覚えるだけのつまらん教科」とか言われるんですよ。
いい国作ろう、など数字の羅列とか、”数字と単語を記憶させるだけの歴史”ならばやらんほうがいいです。
円周率じゃないんだから。(←これも教えなくなったそうですが)

その事件が。どんな人物によって、どういった経緯で、それによってどうなってしまったのか。
…そこを覚えなければ、歴史を勉強したとは言えないと思うのですよ。
年号なんて二の次、三の次かそれ以下。
だいたいの時系列を理解してればOKだと思います。

とまあ、日本の歴史教育批判はそれくらいにして「清洲会議」をば。

天正十年(1582年)
東は関東、西は中国地方までを領土とし、天下に最も近かった男「織田信長」
対毛利の援軍として進む予定だった軍を反転させた「明智光秀」は「本能寺」宿泊中の信長を襲撃したのです。
「織田信長」は「本能寺」にて横死。
享年四十九。
にわか天下人となった「明智光秀」
しかし、謀反人に対する周囲の対応は冷たく、時の勢いを得た「羽柴秀吉(後の太閤秀吉)」によって倒されてしまうのです。
後に「三日天下」なんて揶揄されちゃいますが、実際は一週間程度だったことも有名な話。(※十一日です)

今回は、その後に起こった出来事。
後に「清洲会議」と称される、織田家の命運を決定した一件がありました。
ここで主導権を握った秀吉は、そのまま信長の後継者として天下人への階段を上ることとなるのです。
まさに天下分け目の前哨戦だったのです。

さて、現代でもどなたかが亡くなった際には遺産について打ち合わせをしますよね。
それと同じで、こちらは戦国時代に起こった織田家の相続会議なのでした。
特に血統が重視された時代です。
通常なら嫡男が継いでめでたし、めでたし、となるものなんですが…。

⇒つづく
 次回は「誰にしようか、信長の子供たち」


[関連記事] 【本能寺の変・特集】
⇒ ねねさん 高台寺(京都)
⇒ 黒田官兵衛の失言「人生を変えた一言」
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⇒ 明智光秀の誤算「歴史を動かした手紙」
⇒ 謀反の理由は?「本能寺跡地」


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 かしこい! …なんて言われても(笑)
 とりあえず親族と揉めるってーのは嫌なもんですね。
 火サス・土ワイな世界ですよ。
 家政婦は見た!です。


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