仕事先の方に「蛸の松」という由緒のある樹があると聞いて、炎天下、大阪の中之島を歩いて見てきました。
堂島川に架かる田蓑橋を渡った左手に、立派な石碑と共に1本のクロマツが植えてあります。案内板によると、江戸時代、中之島には諸藩の蔵屋敷が建ち並び、その前には各藩自慢の松が植えられて、人々は屋敷の白壁と松の緑を楽しんでいたそうです。中でも、久留米藩と広島藩の境の浜にあった松は枝振りが立派で、蛸が泳ぐ姿に似ていることから「蛸の松」と呼ばれていました。
ところが、次第に樹勢が衰え、明治になってついに枯れたため伐採されました。その切り株は現在も大阪教育大学に保存されているそうです。
そして、約120年後の一昨年、篤志家たちによって「蛸の松」が再現されました。今では林立するタワービルに囲まれていますが、江戸時代は白壁と瓦屋根の蔵屋敷を背景にした風情のある景色だったでしょう。
そんな当時の様子を描いた絵を、神宗(かんそう)という老舗の昆布屋さんが所蔵していて、商品のパッケージに使っています。現在では、こうした絵から当時の様子を想像するしかありません。
京都は歴史の古い街なのでいろんな伝説のある樹が多いですが、商売の街、物流の街、大阪にもいろんな由緒のある樹があるようです。最初、「蛸の松」という名前を聞いたとき、「大阪名物、たこ焼きに因んだ松かな」と勝手に想像しましたが、全然違いました。
堂島川に架かる田蓑橋を渡った左手に、立派な石碑と共に1本のクロマツが植えてあります。案内板によると、江戸時代、中之島には諸藩の蔵屋敷が建ち並び、その前には各藩自慢の松が植えられて、人々は屋敷の白壁と松の緑を楽しんでいたそうです。中でも、久留米藩と広島藩の境の浜にあった松は枝振りが立派で、蛸が泳ぐ姿に似ていることから「蛸の松」と呼ばれていました。
ところが、次第に樹勢が衰え、明治になってついに枯れたため伐採されました。その切り株は現在も大阪教育大学に保存されているそうです。
そして、約120年後の一昨年、篤志家たちによって「蛸の松」が再現されました。今では林立するタワービルに囲まれていますが、江戸時代は白壁と瓦屋根の蔵屋敷を背景にした風情のある景色だったでしょう。
そんな当時の様子を描いた絵を、神宗(かんそう)という老舗の昆布屋さんが所蔵していて、商品のパッケージに使っています。現在では、こうした絵から当時の様子を想像するしかありません。
京都は歴史の古い街なのでいろんな伝説のある樹が多いですが、商売の街、物流の街、大阪にもいろんな由緒のある樹があるようです。最初、「蛸の松」という名前を聞いたとき、「大阪名物、たこ焼きに因んだ松かな」と勝手に想像しましたが、全然違いました。
私がいた頃は、レンガ造りのビルや、レトロな石の彫刻のあるビルもありましたし、道の脇には小さな道しるべのような石碑なんかもありました。
最近は老朽化とかで建て替えられたようですが、近代的な街中にまだ古い物はひっそりと残っているんでしょうか? このお話を見て、久しぶりに行ってみたい気持ちになりました。
私も長い間大阪の会社に勤務していましたし、家で仕事している現在も、大阪に出かけることが多いので、あちこちよく歩きます。
京都の街も好きですが、大阪の街も好きです。本音の街というか、エネルギーがありますね。
京都と違って高層ビルに囲まれていますが、その谷間にはこんな伝説の樹があちこちにあるのでしょう。
ぜひ、大阪の街を歩いていろんな史跡を探してください。
道の真ん中に巨木がデーンと鎮座していますね。
今度、近くに言ったら写真を撮ってきます。祠があるので、何か謂れがあると思います。
bulbulさん、題材をありがとうございました。
雀さん、ありがとうございます。
でも、関西テレビと読売テレビの間って、どの辺ですか? 読売テレビは今は京橋の方ですよね?関西テレビは扇町あたりですね。
また、時間があったら教えてください。
この神社は、仕事先が近くにあったので、私も時々訪れたことがありましたが、そんな大きなクスノキがあったかな?
樹齢400年だそうです。
四天王寺のクスノキは私は見たことがありません。クスノキの巨木はあちこちにありますね。
蛤御門の東には、道の真ん中にムクノキの大木が1本だけ孤立しています。樹齢300年だそうです。