前回のタイトルは「樹の珍百景」でしたが、この「○○百景」とか「△△八景」の元祖は「近江八景」だそうです。室町時代後期の公家が琵琶湖周辺の風景8ヶ所を歌に詠み、それを江戸時代の浮世絵師・歌川(安藤)広重が描いて有名になったとか。
その一つ「唐崎夜雨」には松の巨木が描かれています。「唐崎の一本松」として昔から琵琶湖を周航する船が目印にしたり、地域の人々が信仰の対象にした名木だったようです。
(歌川広重の「唐崎夜雨」)
仕事で大津に行ったついでに、その唐崎の一本松を見てきました。現在のは3代目。初代が天正9年(1581)に台風で倒れた後、全国で名木を探して移植されたのが2代目。
幹周りが9mもあり、長い枝は南北に90mも伸びていたそうです。その枝を支えていた柱の礎石が今も唐崎神社の境内に残っています。広重が描いたのも2代目。
2代目が大正10年に枯れ死したため、その実生木を移植したのが現在の3代目。それでも樹齢は150~200年。真ん中にそびえる主幹から四方八方に枝を伸ばし、南北には40mも広がっています。
その前に立つと、怪獣のような異様な存在感。2代目はこれよりもはるかに巨大だったわけですから、もっと迫力のある光景だったでしょう。
ちなみに、唐崎神社で祈祷を受けると、この松の葉を焼酎に漬け込んで砂糖と蜂蜜で味付けしたリキュールがいただけるそうです。飲んでみたい気もします。
その一つ「唐崎夜雨」には松の巨木が描かれています。「唐崎の一本松」として昔から琵琶湖を周航する船が目印にしたり、地域の人々が信仰の対象にした名木だったようです。
(歌川広重の「唐崎夜雨」)
仕事で大津に行ったついでに、その唐崎の一本松を見てきました。現在のは3代目。初代が天正9年(1581)に台風で倒れた後、全国で名木を探して移植されたのが2代目。
幹周りが9mもあり、長い枝は南北に90mも伸びていたそうです。その枝を支えていた柱の礎石が今も唐崎神社の境内に残っています。広重が描いたのも2代目。
2代目が大正10年に枯れ死したため、その実生木を移植したのが現在の3代目。それでも樹齢は150~200年。真ん中にそびえる主幹から四方八方に枝を伸ばし、南北には40mも広がっています。
その前に立つと、怪獣のような異様な存在感。2代目はこれよりもはるかに巨大だったわけですから、もっと迫力のある光景だったでしょう。
ちなみに、唐崎神社で祈祷を受けると、この松の葉を焼酎に漬け込んで砂糖と蜂蜜で味付けしたリキュールがいただけるそうです。飲んでみたい気もします。
「樹木考古学」は面白いですよね。
2代目の幹周9m、枝90mというのは想像を絶する木ですね。
広重のこの絵は決して大げさじゃないんですね。
この松はクロマツでしょうか。
クロマツ・アカマツの類の松はこちらでも時々植えられていますが、
やはり日本らしい風景で、北海道には似合わないかなといつも思います。
考古学って想像する学問だと思いますが、ロマンチックな学問ですね。
そうか、北海道にはクロマツやアカマツはないんですね。エゾマツやトドマツになるんですね、属は少し違いますが。
この名勝の松の管理費(年間90万円)の支出を滋賀県と大津市がカットしたために、地元では問題になっていました。こんなところにまで財政支出の見直しが及んでいるようです。