どーも、ワシです。さて、今回は兵庫県たつの市新宮町光都(しんぐうちょう こうと)1丁目にある千種川(ちくさがわ)水系の下莇原(しもあざわら)ダムを目指します。アクセスはいくつかの方法がありますが、わかりやすいのは県道154号沿いの「福元設備工業所」の看板のあるT字路を入り、そのまま進むと目的地の左岸に到着します。
まずはダム下へ行き、「ご尊顔」を拝みます。治水ダムのようですね。
続いて左岸のダム横へ向かいます。
左岸、貯水側から見たダムの様子。
「下莇原ダム」と刻まれた石碑。
その裏側には諸元が記されています。高さ25.1mの重力式コンクリートダムです。「位置」の項目には揖保郡新宮町下莇原になっていますが、新宮町は1934年4月1日から2005年10月1日まで存在した町名で、同日に龍野市、揖保川町(いぼがわちょう)、御津町(みつちょう)と合併してたつの市になったため現在は上に記した住所表記になっています。またダム名の「下莇原」は旧地名に由来するものと思われます。ちなみに地名に「莇(あざみ)」が付いているので、かつてこのあたりはアザミが群生していたのかもしれませんね。
では、ダム上を歩いてみましょう。
ダム上、中央から見た貯水側の景色です。
ダムの真下を覗き込みます。
そして、下流側の遠景を眺めます。
対岸(右岸)に来ました。振り返るとこんな感じ。
「定礎」は平成元年(1989年)10月。
右岸、貯水側から見たダムの様子。
同、下流側から眺めてみます。
こんなに立派なダムなのに下莇原ダムはダム便覧には載っていません。ここを管理する光都土木事務所の見解によればこの施設は調整池という扱いなので治水、利水を目的とするダムではないそうな(参考)。ダム便覧に掲載されていない理由はそれを根拠にしているのかな?でも、現地には上に見た通り「下莇原ダム」の石碑まであるわけだしダムの条件も満たしているんだからダムに認定してもいいんじゃないでしょうか。もし調整池だからダムではないとして掲載しないのなら、なぜダム便覧は他府県の調整池を載せているんでしょうね。うーん、掲載基準がわからんなあ。
まずはダム下へ行き、「ご尊顔」を拝みます。治水ダムのようですね。
続いて左岸のダム横へ向かいます。
左岸、貯水側から見たダムの様子。
「下莇原ダム」と刻まれた石碑。
その裏側には諸元が記されています。高さ25.1mの重力式コンクリートダムです。「位置」の項目には揖保郡新宮町下莇原になっていますが、新宮町は1934年4月1日から2005年10月1日まで存在した町名で、同日に龍野市、揖保川町(いぼがわちょう)、御津町(みつちょう)と合併してたつの市になったため現在は上に記した住所表記になっています。またダム名の「下莇原」は旧地名に由来するものと思われます。ちなみに地名に「莇(あざみ)」が付いているので、かつてこのあたりはアザミが群生していたのかもしれませんね。
では、ダム上を歩いてみましょう。
ダム上、中央から見た貯水側の景色です。
ダムの真下を覗き込みます。
そして、下流側の遠景を眺めます。
対岸(右岸)に来ました。振り返るとこんな感じ。
「定礎」は平成元年(1989年)10月。
右岸、貯水側から見たダムの様子。
同、下流側から眺めてみます。
こんなに立派なダムなのに下莇原ダムはダム便覧には載っていません。ここを管理する光都土木事務所の見解によればこの施設は調整池という扱いなので治水、利水を目的とするダムではないそうな(参考)。ダム便覧に掲載されていない理由はそれを根拠にしているのかな?でも、現地には上に見た通り「下莇原ダム」の石碑まであるわけだしダムの条件も満たしているんだからダムに認定してもいいんじゃないでしょうか。もし調整池だからダムではないとして掲載しないのなら、なぜダム便覧は他府県の調整池を載せているんでしょうね。うーん、掲載基準がわからんなあ。
そしてこの防災調整は洪水調節の範疇に含まれているはず。
例えば千葉の矢那川ダムはかずさアカデミアパークの造成に対する防災調整、広島の梶毛ダムは西風新都造成に対する防災調整ダムです。
このダムのある光都でも多目的ダムの長谷ダムと治水ダムの金出地ダムの目的のFは造成による防災調整です。
一つ違いがあるとすれば列挙したダムはすべてF以外のNやWの目的も併せ持つ点。
でも、防災調整単独目的でもダム協会に情報提供したら便覧に掲載されると思います。
コメント、ありがとうございます。