(続き)
まあ、そんなわけで、次にダム上に向かいます。アクセスはダム下から県道63号を左に曲がり湯の小屋温泉 照葉荘(てるはそう)の先のT字路を入って行くとトンネルの先に奈良俣ダムが見えてきます。ダムへ行くには左折、管理事務所へは右折してください。
まずはダムのほうへ行ってみましょう。ダム横に来ました。ダム上には後で行くことにして、先にこちら側にあるいろいろなものを見ることにします。
ダム横の近くにはダム湖百選のひとつに選ばれた「ならまた湖」のプレートがあります。それはいいんですが、通常、このプレートはダム湖に面して設置されるのですが目線の先にあるのは下流側の景色。これはちょっといただけないねえ。
その横には奈良俣ダムの諸元が記されたピカピカな板。これによると当該ダムは洪水調節、流水の正常な機能維持、新規用水、発電を目的とする多目的ダムで、平成2年度に完成したとあります。
少し外れた場所にあるのが「奈良俣ダム」の石碑。
なぜか空を見上げる男性裸像のブロンズ。彫刻家、分部順治(わけべじゅんじ:1911-1995)の作品です。見たことのある名前だなと思ったら以前訪れた群馬県の高津戸ダムにもこの人の作品がありましたね。経歴についてはリンク先をご覧ください。
設置されたのは1989年8月。
ブロンズのタイトルは「黎」。意味は「くろ、諸々、頃合い」なんですが、なぜこの題名にしたのでしょうか。
ダム建設にあたって材料運搬に使用された80トンダンプトラックのタイヤ。このパターン、そういえば岐阜県の徳山ダムにもありましたね。もっとも、あちらは90トンダンプのでしたが…。
左岸には「ヒルトップ奈良俣」という建物があります。何か宇宙船のように見えますね。リンク先を見るとここは防災資料館だそうで。
この建物の下には「奥利根周辺案内図」。これを見ると位置関係がわかると思います。
その付近からダムを見るとこんな感じ。左岸側に洪水吐があり、2つの自由越流式の洪水吐の間にローラーゲートによる洪水吐が挟まれています。
では、いよいよダム上を歩いてみます。その洪水吐の上から下流を見るとこんな感じです。
洪水吐を過ぎて、その先のダム上の様子。ゴツゴツした岩が欄干の代わりになっていますね。これも徳山ダムと同じ。
ダム上、中央付近から見た「ならまた湖」の様子と、案内板。
一方、下流側の景色とそれを説明する案内板。
ところで、ダム上に設置されている照明灯の支柱には全てに異なるメッセージが記されています。
「水を活かす」
「愛して水」
「水は国の宝」
「一滴の治水」
「水はいのち」
右岸側には奈良俣ダム遊歩道があり、
この長〜い階段を下りていくとダム下にある発電所まで繋がっているようです。もちろん行きませんでしたが。
そして、ようやく対岸(右岸)まで来ました。こちらの斜面には水資源機構の得意技である壁面看板がデ〜ンと掲げられています。
そして振り返るとこんな感じ。
右岸、「ならまた湖」側からダムを見た景色です。
そこには慰霊碑があります。ダム建設にあたり亡くなられた4名の名前が刻まれています。合掌。
同じく、右岸の下流側からダムを見るとこんな感じ。
さて、左岸に戻り、管理事務所の方へ行ってみます。すると途中、こんなモニュメントが。
土台には「建設碑」と記されています。
一体、何をしているんでしょうか…。
説明によると「ロックダムの生命とも言われるコンタクトクレー(コンタクトクレイとも表記されます)を施工する作業員をモデルにしたもの」だそうです。コンタクトクレーは基礎着岩面に盛り立てた粘性土のことで、これをダムの基盤面の凸凹の隙間に流し込みながら最終的に基盤面を覆う作業のことらしい(参考)。
また、奈良俣ダムは平成2年(1990年)度の土木学会技術賞を受賞したそうな(参考)。
受賞理由が記されています。
さらに上流へ行くと「ならまた湖」と記された巨岩。
そして右岸、上流側の高台にあるのが奈良俣ダム管理所。
そこからダムはこんな感じに見えます。
管理所のすぐそばにはヘリポートが併設。さすが、デカいダムにはこれがありますね。
…というわけで、奈良俣ダムは見どころ満載。見学者のことも考慮したデザイン性に優れた建造物だと思います。
いや〜、年内の滑り込みセーフで見ることができて本当に良かった!
(了)
まあ、そんなわけで、次にダム上に向かいます。アクセスはダム下から県道63号を左に曲がり湯の小屋温泉 照葉荘(てるはそう)の先のT字路を入って行くとトンネルの先に奈良俣ダムが見えてきます。ダムへ行くには左折、管理事務所へは右折してください。
まずはダムのほうへ行ってみましょう。ダム横に来ました。ダム上には後で行くことにして、先にこちら側にあるいろいろなものを見ることにします。
ダム横の近くにはダム湖百選のひとつに選ばれた「ならまた湖」のプレートがあります。それはいいんですが、通常、このプレートはダム湖に面して設置されるのですが目線の先にあるのは下流側の景色。これはちょっといただけないねえ。
その横には奈良俣ダムの諸元が記されたピカピカな板。これによると当該ダムは洪水調節、流水の正常な機能維持、新規用水、発電を目的とする多目的ダムで、平成2年度に完成したとあります。
少し外れた場所にあるのが「奈良俣ダム」の石碑。
なぜか空を見上げる男性裸像のブロンズ。彫刻家、分部順治(わけべじゅんじ:1911-1995)の作品です。見たことのある名前だなと思ったら以前訪れた群馬県の高津戸ダムにもこの人の作品がありましたね。経歴についてはリンク先をご覧ください。
設置されたのは1989年8月。
ブロンズのタイトルは「黎」。意味は「くろ、諸々、頃合い」なんですが、なぜこの題名にしたのでしょうか。
ダム建設にあたって材料運搬に使用された80トンダンプトラックのタイヤ。このパターン、そういえば岐阜県の徳山ダムにもありましたね。もっとも、あちらは90トンダンプのでしたが…。
左岸には「ヒルトップ奈良俣」という建物があります。何か宇宙船のように見えますね。リンク先を見るとここは防災資料館だそうで。
この建物の下には「奥利根周辺案内図」。これを見ると位置関係がわかると思います。
その付近からダムを見るとこんな感じ。左岸側に洪水吐があり、2つの自由越流式の洪水吐の間にローラーゲートによる洪水吐が挟まれています。
では、いよいよダム上を歩いてみます。その洪水吐の上から下流を見るとこんな感じです。
洪水吐を過ぎて、その先のダム上の様子。ゴツゴツした岩が欄干の代わりになっていますね。これも徳山ダムと同じ。
ダム上、中央付近から見た「ならまた湖」の様子と、案内板。
一方、下流側の景色とそれを説明する案内板。
ところで、ダム上に設置されている照明灯の支柱には全てに異なるメッセージが記されています。
「水を活かす」
「愛して水」
「水は国の宝」
「一滴の治水」
「水はいのち」
右岸側には奈良俣ダム遊歩道があり、
この長〜い階段を下りていくとダム下にある発電所まで繋がっているようです。もちろん行きませんでしたが。
そして、ようやく対岸(右岸)まで来ました。こちらの斜面には水資源機構の得意技である壁面看板がデ〜ンと掲げられています。
そして振り返るとこんな感じ。
右岸、「ならまた湖」側からダムを見た景色です。
そこには慰霊碑があります。ダム建設にあたり亡くなられた4名の名前が刻まれています。合掌。
同じく、右岸の下流側からダムを見るとこんな感じ。
さて、左岸に戻り、管理事務所の方へ行ってみます。すると途中、こんなモニュメントが。
土台には「建設碑」と記されています。
一体、何をしているんでしょうか…。
説明によると「ロックダムの生命とも言われるコンタクトクレー(コンタクトクレイとも表記されます)を施工する作業員をモデルにしたもの」だそうです。コンタクトクレーは基礎着岩面に盛り立てた粘性土のことで、これをダムの基盤面の凸凹の隙間に流し込みながら最終的に基盤面を覆う作業のことらしい(参考)。
また、奈良俣ダムは平成2年(1990年)度の土木学会技術賞を受賞したそうな(参考)。
受賞理由が記されています。
さらに上流へ行くと「ならまた湖」と記された巨岩。
そして右岸、上流側の高台にあるのが奈良俣ダム管理所。
そこからダムはこんな感じに見えます。
管理所のすぐそばにはヘリポートが併設。さすが、デカいダムにはこれがありますね。
…というわけで、奈良俣ダムは見どころ満載。見学者のことも考慮したデザイン性に優れた建造物だと思います。
いや〜、年内の滑り込みセーフで見ることができて本当に良かった!
(了)
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