再訪シリーズです。長野県東筑摩郡麻績村北山(きたやま)にある信濃川水系の北山ダムに来ました。前回の深夜の訪問の様子は「コチラ」をご覧ください。当該のダムが完成したのは2000年ですが、建設のきっかけは昭和34年(1959年)8月14日に上陸した台風7号(ジョージア台風)、さらに昭和57年(1982年)8月初旬に上陸した台風10号、そして9月12日に御前崎に上陸した台風18号で洪水が発生したことによります。そこで洪水調節と水道用水確保を目的とした多目的ダムが作られたというわけですね。
まずは「ご尊顔」をご覧ください。
ダム下から見上げてみます。
右岸のダム横に行ってみましょう。そこにあるのは案内板。
これが管理所の建物です。
ダム横の近くには定礎と刻まれた石碑。
貯水湖の名称は「かたくりの湖」と言いますが、そちら側から見たダムの様子です。
一方、下流側から見たダムの様子はこんな感じ。
これがダム上です。
その傍にある「北山ダム」と刻まれた石碑。ん? 何かに似ていると思いませんか? そうだ! 福岡県飯塚市で誕生した「銘菓 ひよ子」ですよ、これは。 まぁ勝手なイメージですけどね。
ダム上、中央から見たダム下。高さ43mなのでそこそこ怖い。
下流の遠景です。
一方、貯水湖の様子。おや? 砂防堰堤のようなものが見えますね。本体にはプレートが嵌め込まれているようですが遠くて読めません。あとで調べてみると、これは「大沢砂防ダム」だそうです(参考)。これは北山ダムができる前からあったもので、北山ダム完成とともに水没したものなのだとか。さすがに深夜ではこれは見えませんね。
対岸(左岸)に来ました。振り返るとこんな感じ。
左岸、下流側から見たダムの様子。
同、貯水湖側から見るとこんな感じです。
先ほど見た「大沢砂防ダム」の近くへ行ってみました。このダム上に行くことはできません。
ちなみに佐賀県にも嘉瀬川水系の北山ダムというのがあるようですが、もっとも、こちらは「ほくざん」と読むようです。いつか行けたらいいなあ。
まずは「ご尊顔」をご覧ください。
ダム下から見上げてみます。
右岸のダム横に行ってみましょう。そこにあるのは案内板。
これが管理所の建物です。
ダム横の近くには定礎と刻まれた石碑。
貯水湖の名称は「かたくりの湖」と言いますが、そちら側から見たダムの様子です。
一方、下流側から見たダムの様子はこんな感じ。
これがダム上です。
その傍にある「北山ダム」と刻まれた石碑。ん? 何かに似ていると思いませんか? そうだ! 福岡県飯塚市で誕生した「銘菓 ひよ子」ですよ、これは。 まぁ勝手なイメージですけどね。
ダム上、中央から見たダム下。高さ43mなのでそこそこ怖い。
下流の遠景です。
一方、貯水湖の様子。おや? 砂防堰堤のようなものが見えますね。本体にはプレートが嵌め込まれているようですが遠くて読めません。あとで調べてみると、これは「大沢砂防ダム」だそうです(参考)。これは北山ダムができる前からあったもので、北山ダム完成とともに水没したものなのだとか。さすがに深夜ではこれは見えませんね。
対岸(左岸)に来ました。振り返るとこんな感じ。
左岸、下流側から見たダムの様子。
同、貯水湖側から見るとこんな感じです。
先ほど見た「大沢砂防ダム」の近くへ行ってみました。このダム上に行くことはできません。
ちなみに佐賀県にも嘉瀬川水系の北山ダムというのがあるようですが、もっとも、こちらは「ほくざん」と読むようです。いつか行けたらいいなあ。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます