ライターの脳みそ

最近のマイブームはダム巡りと橋のユニークな親柱探し。ダムは目的地に過ぎず、ドライヴしたいだけ…。

視点を広く

2007-10-19 13:35:12 | 脳みその日常
2ヶ月ほど前、ひとりのオバさんが「歌い方教室」に入会。以来、毎回前掛けをして来るので商売をしている人なのかと思っていた。でもその割に表情は硬く、笑顔もこわばっている。何か不自然だな。そんなことを思っていたら、先日オーナーの話でナゾが解けた。

実はこの人、代々農家を営む家に嫁いだのだそうだ。そして数年前から痴呆症を患った姑の世話に明け暮れる毎日だったという。で、2ヶ月ほど前に姑が老人ホームに入所することが決まり、晴れて姑の介護から解放され自由な時間ができたそうな。

ところがその家の周囲も代々の農家。良い意味でも悪い意味でも近所の「目」を意識しないわけにはいかない。いくら長年にわたり姑の介護をし、もう介護しないでもよくなったからといって「さあ、自分の人生を楽しむぞ!」と胸を張って出かける雰囲気ではないとか。もしそんなことをしようものなら、近所の「目」は見逃さない。

「あのウチの嫁は姑のことなんか忘れて遊んでいるヒドイ嫁だ!」

と、たちまちウワサが広がるそうな。だから本当ならお出かけのための服装をしたいのだけれど、あらぬ誤解をされないように「さも買い物に出かけるような格好」をして教室にくるらしい。今時の東京でそんなことがあるのかと俄には信じがたい話である。でも現にそういう人がいるのだから信じるほかはない。なんたることだろう!

なるほど、表情が硬いのはそのせいだったのか。長年の介護によるいわば強制的な「ひきこもり」状態と周囲の封建的な環境によってストレスが溜まり、この人から笑顔を消してしまったのかもしれない。好きでもない前掛けをしなければ出かけられない境遇を知って、思わず胸が詰まった。

オーナーによれば、幸いなことに本人は毎週一度の教室を楽しみにしているという。そういえば入会以来一度も休んだことがない。歌うことはストレスの発散になるから本人にとってはいいんだろうな、きっと。最近その人の表情が柔らかくなってきたのはストレスを溜め込んでいない証拠だし。

ワシが教えていることは決して高度なものではない。クラシック音楽の連中からすれば低俗な内容にみえるだろう。でもワシは恥ずかしいとは思わない。むしろ貴重な経験をさせてもらって感謝しているし、いろんな人に出会えて楽しくて仕方がない。

19世紀ロシアの「ヴ・ナロード」運動ではないが、こうした経験こそが一般の人々の目線を理解する最も有効な手段とも思える。彼らが音楽をどのように捉えているのかが即座にわかるからだ。もちろん一方で高度な音楽教育は必要である。否定はしない。ただ、専門的になればなるほど一般の人々の「息づかい」が理解できなくなるのは事実。果たしてそれでよいのだろうか。限られた人にのみ理解されるものでよいのだろうか。

専門バカとオタクになるのはある意味で簡単だ。好きなこと、興味のあることだけ追究すれば良いのだから。でも何事もバランスが肝心。音楽の専門教育を受けた我々は、このへんのことをもう一度考えてみる必要があるように思う。
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