どーも、ワシです。えー、今回からしばらく山梨県を流れる富士川水系の日川を遡っていこうと思います。日川といえば、その上流に上日川(かみひかわ)ダムがあり以前行きました(参考)。その時にはほとんど気づかなかったのですが、調べてみると日川にはいくつかの堰堤があることがわかりました。そこでこのシリーズではそれらの堰堤に焦点を当てます。
最初に向かうのは山梨県甲州市大和町木賊(やまとちょう とくさ)にある堰堤です。アクセスは県道218号を上日川ダム方面へ向かい、天目山栖雲寺(てんもくさんせいうんじ)を過ぎてしばらくいったところが目的地です。でも、県道から堰堤は見えないので脇道を降りていくことになります(ここからは歩きで)。
急な坂をしばらく下って行くと目の前に土砂で一杯になった堰堤が見えてきました。
日川の左岸、堰堤横から見た様子。
近くにある銘板。これによれば堰堤名は「天目堰堤」で、昭和43〜44年度荒廃砂防事業として高さ=11.5m、長さ=75.7mの堰堤が昭和45年(1970年)2月20日に完成したとあります。そして令和5年度に通常事業として長さが78.0mに拡張する改築工事が行なわれたようです。
堰堤上の表示板には令和6年3月に改築工事は完了したとあります。
堰堤の中央へは行けないので左岸から上流方向を眺めます。
一方、下流方向はこんな感じ。
そして、リニューアルされたお姿がこちら。
さて、堰堤名の「天目」は何に由来するんでしょうね。推測してみます。おそらく直接的には堰堤築造当時このあたりの地名が東山梨郡大和村天目だったことに由来すると思われます。大和村(やまとむら)は2005年11月1日に塩山市(えんざんし)、勝沼町(かつぬまちょう)と合併して甲州市となり消滅しました。
じゃあ「天目」は何に由来するのでしょうか。これは上に示したリンク先の栖雲寺の説明の中にヒントがあります。栖雲寺は1348年に業海本浄により開山されました。天目山と命名されたのは開山したこの場所が業海の修行した中国浙江省の杭州市にある天目山の景色に似ていたからだそうです。地名の天目は寺が開山したのち、それにあやかってそう呼ばれるようになったのではないでしょうか。たぶん。
続きます。
最初に向かうのは山梨県甲州市大和町木賊(やまとちょう とくさ)にある堰堤です。アクセスは県道218号を上日川ダム方面へ向かい、天目山栖雲寺(てんもくさんせいうんじ)を過ぎてしばらくいったところが目的地です。でも、県道から堰堤は見えないので脇道を降りていくことになります(ここからは歩きで)。
急な坂をしばらく下って行くと目の前に土砂で一杯になった堰堤が見えてきました。
日川の左岸、堰堤横から見た様子。
近くにある銘板。これによれば堰堤名は「天目堰堤」で、昭和43〜44年度荒廃砂防事業として高さ=11.5m、長さ=75.7mの堰堤が昭和45年(1970年)2月20日に完成したとあります。そして令和5年度に通常事業として長さが78.0mに拡張する改築工事が行なわれたようです。
堰堤上の表示板には令和6年3月に改築工事は完了したとあります。
堰堤の中央へは行けないので左岸から上流方向を眺めます。
一方、下流方向はこんな感じ。
そして、リニューアルされたお姿がこちら。
さて、堰堤名の「天目」は何に由来するんでしょうね。推測してみます。おそらく直接的には堰堤築造当時このあたりの地名が東山梨郡大和村天目だったことに由来すると思われます。大和村(やまとむら)は2005年11月1日に塩山市(えんざんし)、勝沼町(かつぬまちょう)と合併して甲州市となり消滅しました。
じゃあ「天目」は何に由来するのでしょうか。これは上に示したリンク先の栖雲寺の説明の中にヒントがあります。栖雲寺は1348年に業海本浄により開山されました。天目山と命名されたのは開山したこの場所が業海の修行した中国浙江省の杭州市にある天目山の景色に似ていたからだそうです。地名の天目は寺が開山したのち、それにあやかってそう呼ばれるようになったのではないでしょうか。たぶん。
続きます。