連日、最高気温が氷点下! だってここは寒冷地だもの。(ワシを)
相田先生、すみません。パクりました。
どーも、ワシです。今回は滋賀県湖南市岩根(こなんしいわね)にある淀川水系の思川(おもいがわ)頭首工を訪れます。アクセスは湖南市立岩根小学校 と、思川の右岸に面したかたおか動物病院の中間くらいのところにあります。
【思川…名称の由来】
ここの思川は野洲川(やすがわ)に合流する比較的小さな川ですが、調べてみると同名の川は全国に複数あります。山形県上山市(かみのやまし)、山形県西置賜郡白鷹町(にしおきたまぐんしらたかまち)、栃木県南部、東京都台東区、新潟県十日町市(とおかまちし)、鹿児島県鹿児島市・姶良市(あいらし)。
で、思川の名称の由来なんですが、どうやら『日本書紀』巻一に出てくる田心姫命(たごりひめのみこと)のことらしい。田心姫命は天照大神(あまてらすおおみかみ)と素戔嗚尊(すさのおのみこと)の誓約によって誕生した女神で、湍津姫命(たぎつひめのみこと)、市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)とともに「宗像三女神(むなかたさんじょしん)」と呼ばれます。これら三女神は八幡宮や水にまつわる神社の祭神として祀られています。(参考)
ちなみに田心姫命は『古事記』では多紀理毘売命(たきりびめのみこと)と表記されます。さらに言及すると「多」は接頭語、「紀理」は霧の意味なので多紀理毘売命を文字通り解釈すると「霧の女神」となります。うーん、でも人間にとってはあんまり需要がないような気がしますけどね。霧を司られてもねぇ…。前が見えないだけだし。
ま、いずれにしても、稲の豊作を願う村人からすれば田んぼの近くを流れる川が枯れちゃあ困りますからね。そこで水の神様である田心姫命の最初の二文字「田」と「心」を合体させて「思」とし、神様が住む川として思川という名称にすれば水の神様が守ってくれて水不足になることはないだろうと考えたのかもしれません。それにしても「田」と「心」を合体させて「思」という字にしちゃうという発想はスゴイと思いませんか? なかなかのセンスです。
そんなこんなで頭首工の右岸に到着。ん?なんだか通常の頭首工と違いますね。
頭首工の横から見るとこんな感じ。どうやらここはゴム堰(ゴム引布製起伏堰)のようです。(参考)
ゴム堰のすぐ上流側のここが取水口になっているんですね。
下流側の景色です。取水口から分水した水は川の横の水路へ流れてゆきます。
上流側はこんな感じ。
右岸の道を挟んだところにあるこの建物は詰所か何かかな?
その壁には水利使用標識が貼られています。
思川頭首工がいつ築造されたのかはわかりませんでした。でもあくまで推測ですが、思川が合流する野洲川(やすがわ)に関する国営野洲川農業水利事業が1947年から1955年に行われた後、1974年から1978年にかけて国営造成土地改良施設整備事業により関連する水路などが改修・整備されたようなので、同頭首工はこの頃に完成したと考えられます。(参考)
相田先生、すみません。パクりました。
どーも、ワシです。今回は滋賀県湖南市岩根(こなんしいわね)にある淀川水系の思川(おもいがわ)頭首工を訪れます。アクセスは湖南市立岩根小学校 と、思川の右岸に面したかたおか動物病院の中間くらいのところにあります。
【思川…名称の由来】
ここの思川は野洲川(やすがわ)に合流する比較的小さな川ですが、調べてみると同名の川は全国に複数あります。山形県上山市(かみのやまし)、山形県西置賜郡白鷹町(にしおきたまぐんしらたかまち)、栃木県南部、東京都台東区、新潟県十日町市(とおかまちし)、鹿児島県鹿児島市・姶良市(あいらし)。
で、思川の名称の由来なんですが、どうやら『日本書紀』巻一に出てくる田心姫命(たごりひめのみこと)のことらしい。田心姫命は天照大神(あまてらすおおみかみ)と素戔嗚尊(すさのおのみこと)の誓約によって誕生した女神で、湍津姫命(たぎつひめのみこと)、市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)とともに「宗像三女神(むなかたさんじょしん)」と呼ばれます。これら三女神は八幡宮や水にまつわる神社の祭神として祀られています。(参考)
ちなみに田心姫命は『古事記』では多紀理毘売命(たきりびめのみこと)と表記されます。さらに言及すると「多」は接頭語、「紀理」は霧の意味なので多紀理毘売命を文字通り解釈すると「霧の女神」となります。うーん、でも人間にとってはあんまり需要がないような気がしますけどね。霧を司られてもねぇ…。前が見えないだけだし。
ま、いずれにしても、稲の豊作を願う村人からすれば田んぼの近くを流れる川が枯れちゃあ困りますからね。そこで水の神様である田心姫命の最初の二文字「田」と「心」を合体させて「思」とし、神様が住む川として思川という名称にすれば水の神様が守ってくれて水不足になることはないだろうと考えたのかもしれません。それにしても「田」と「心」を合体させて「思」という字にしちゃうという発想はスゴイと思いませんか? なかなかのセンスです。
そんなこんなで頭首工の右岸に到着。ん?なんだか通常の頭首工と違いますね。
頭首工の横から見るとこんな感じ。どうやらここはゴム堰(ゴム引布製起伏堰)のようです。(参考)
ゴム堰のすぐ上流側のここが取水口になっているんですね。
下流側の景色です。取水口から分水した水は川の横の水路へ流れてゆきます。
上流側はこんな感じ。
右岸の道を挟んだところにあるこの建物は詰所か何かかな?
その壁には水利使用標識が貼られています。
思川頭首工がいつ築造されたのかはわかりませんでした。でもあくまで推測ですが、思川が合流する野洲川(やすがわ)に関する国営野洲川農業水利事業が1947年から1955年に行われた後、1974年から1978年にかけて国営造成土地改良施設整備事業により関連する水路などが改修・整備されたようなので、同頭首工はこの頃に完成したと考えられます。(参考)