湘南オンラインフレネ日誌

フリースクール湘南オンラインフレネ学習的就労支援活動・災害ボランティアの実践を書き溜めていきます。

Y子の電話/5回の退職とは(夕方一気に書いたので文が荒れています。失礼!)

2008-01-19 04:45:59 | 引きこもり
昔、私が講師をしていた東京南部の友人の塾のある卒業生は、文房具屋さんをしている。さきほどその子から電話が入った。年末に年賀状の住所が分からないと電話をかけてきたので、そんなに間が空いているわけではないが、この子と出会ってよかったと改めて思う。この子は乳児期の外傷性の脳損傷による遅滞を抱えているが、それにも増して天性の明るさと優しさがある。ただ長期服用していた薬の副作用があって長時間外出が難しいので、家業を守っている。

旗の台君(仮名)よりは若い元塾生だが、この頃は地域が荒れた時期でもあって、学力保証を求めて塾生が膨らんだ時期で、大人しい子がだんだん場を失っていく危険があった。このとき、教員にお笑いアタックをかけてきて、その傾向に警鐘を鳴らしてくれたのが彼女だった。その辺の個性は変わっていないが、古い町なので若者が出て行くために、この子はもともと数少ない地元で出会える友人を、次第に失い、最近は孤立感を深めていた。

今は親御さん同伴の通院の帰り道、通信制高校時代の友人と会うことが楽しみになっているようだ。私は旗の台君や中延君(仮名)を巡回する関係から、この子の文具店の近くまで行くことがあるが、明らかに街が高齢化しており、店舗が閉じている。商店会のマイノリティ、若手「おかみ」なのだそうだ。

年賀状交換をすると、自分の年賀状がちゃんと届いているか気になるらしい。必ず松の内も過ぎた頃に電話がかかってくる。そのとき、強烈な多動のADHDだったRが商社マンとして中東に行っている話や、ディスレクシアを疑われていたKがスーパーの店長になった話など、聞くことができた。旗の台君とは、学校が違う関係で友人の重なり目が少ないが、旗の台君の知り合いの関係でも、小学校の教員になったり、某武道の指導者になったりしている。彼らはLDだった。

私に電話をかけてくれた子や、Rは引きこもってはいなかったが、それは苦労して学齢期を越えたのだったし、他の子は引きこもりの悶々とした時間を経験している。

一昨日、Siさんのインタビューを受けたとき、自分の塾を経営難と介護の必要性と、とどめの事件から19年目に廃業し、三流予備校の時間講師をしながら、+αを求めて他塾を流れた時のことを振り返っていた。ここの塾に行き着くまでに、5箇所のフリースクールや進歩的な塾を首になっていることをSiさんたちに語った。いずれも軽度発達障碍への理解不足の経営者との対立や、教育法・古株講師との対立によるものだった。ここに登場した子も、最後の古株講師との対立が起きていた。その疲労の頂点で交通事故が起きたのだった。

1)横浜のある個人経営塾。非常に不可解な学力偏在の中学生の子を担当。人称のおかしさと固執の様子から高機能自閉症を疑う。母親との面談の際、生育歴を聞き、事情を説明。学芸大の検査を受けるよう勧めた。母親が理解しかねて父親に。父親が、息子を障害者よばわりしたと塾長に抗議。その場で解雇されたこと。(LD学会が誕生まもない頃だった。)

2)横浜の小学生の自称フリースクール。学力を問わないという触れ込み。5教科ドリルを2ページやれば帰っていいというやり方。3択問題は、2回間違えれば次は丸になる。隣の子の答えは、ずらり並ぶときに、上からのぞくことができた。大騒ぎで列をつくる。講師は片っ端に、解答を片手に採点。ヒントがクイズのヒントのようで、内容にとても立ち入ることが出来ない。そのクラスの2名が場面緘黙をしている子で、先に進もうとしない。この子たちを塾をやめるか、学習をするかと塾長が詰問しだしたところで私が介入。指導方針に逆らう講師ということで首。

3)相模原のある塾。中学校のテストのコピーをためておいて、これを反復練習させる。学力を問わぬという塾。明らかなADHDの子が入塾。連日母親を呼び出して叱責。子どもの寄り道が始まり、専任講師によって、強引に塾につれてくることが始まる。授業妨害ということで、その子の襟首をつかんで教室外に引き回す塾長と対立。正規雇用なので即首にはならなかったが、神経戦のような状態が続いていた。ADHDの資料を職員会議の際に提示。結果、私のクラスへ編入が決まる。どんな困難も熱意ある指導があれば解決するという、塾長と塾講師の反発にはさまれているところに、事件が起きた。床に置いたOHPをその子が踏み抜いて、ガラスで足を切ったまま屹立していた。職員室から現場に駆けつけた私は

「何てことをするのだ!」

としかっていた。教員なら

「足は大丈夫か!?」

と問うところだ。私がおかしくなっていた。その夜、辞表を書いた。


4)東京のある進学塾。水道方式という初等教育では有名な指導をしている教科部長がいることを知って飛び込んだ。水道方式とは四則演算について型分けを行い、標準形から発展系へと細かいチャートを踏まえる。私は中学生に理系の教科を教えることになった。ここで、中3の子が横書き問題の読み取りに「行飛ばし」をしていることを発見。その子にパターンの拾い出し課題を出して、全くできないことを確認。片目にしても同質の過ちがつづくことから認知の問題と予測。塾からは数学が出来ないのは基礎学力がないからで、水道方式を使って、特別授業を組むようにと指示されて、経過を話して時間をもらおうとした。この子は身体感覚にも異常があり、教室の出入り口で必ず身体をぶつけ、床の線上を直進できなかった。まず彼のプロフィールを知るべきと提案。翌日高給の特別個人指導講師に移籍された。ただし要望があったとき仕事に就ける仕事であって、生徒がでてこなければ、交通費しか出ない仕組み。日干し2ヶ月で辞表を書いた。


5)東京南部の私の友人の塾では「学習困難児クラス」の2人チームに参加。ひとりは専任講師。もうひとりが私。問題がおきたクラスの状態は小学生3・4・5年生5人(!)ADHDの診断を受けた子が2人(!)ダウン症の子がひとり。空間認知に問題があるLD。あとの2人は家庭にハイリスク。ひとりが他者の発言の頭の子音が聞こえない不思議な聴き落としが頻繁にあった。(Dr.Charles Haines のレポートにあったような…)柿(Kaki)は、秋(Aki)に、「来なさい(Kinasai)」は「居なさい(Inasai)}に化けた。学年が違っているので、共通課題をどう立てるか専任講師とやりあった。ひとりADHDの子は猛烈な多動で、着席せず狭い室内を他者にぶつかるように走り回っていた。専任講師は授業をあきらめていて、指導案には「無頓着」・・・・・・。多動の激しいこの子は2階の窓から飛び降りて授業脱出。はだしのまま塾を脱走していた。私が2限目の担当なので、その専任は、新聞紙をガムテープでぐるぐる巻きにして、箒をバットにした室内野球を始めた。ハイテンションになったときに、そのクラスを私に引継ぎ、自分は他日に「分割補講」しだした。全く授業が成り立たなくなり、思案の末、生活スキルを高める目的で「授業案:子どもと歩く」を提案し実行。自転車でぶらり街に出て、立ち止まっては、街から課題を拾って話をした。駅の路線図を読んだり、切符を買ったりと面白かった。おかげで新聞紙ボールの挑発は、完璧に空振りに終わった。このあと、急に子どもの増員話しが古参教員からあり、激論の最中、私は交通事故で入院した。塾の流儀が崩されることへの抵抗が問題を生んでいた。

結局、軽度発達障碍への無理解が子どもへの暴力を生み出していた。しっかり子どもを受け止める塾には出会えないまま、私はリセットされた。15年がこうして過ぎ去った。

ここには悲しい否定的な場面しか書いていない。私はその間、一時を除いて時間講師をしていたのだし、別クラスの旗の台君たちとは、奇妙な授業を楽しませてもらったのだから、同僚、塾長との子ども観の差異が空転を生み出していたのだった。事情があって自分の塾をたちあげられない今、学習指導で私の残された時間を、押し流されるのはもうごめんなので、私が一貫して関わってきた進路指導のところに再デザインを試みた。それが就労支援の出発点にある。正直言って大人の説得はうんざりしている。そこ、どいてくれませんかというのは失礼なのは分かっている。しかし、私の生き方の不器用さよりも、この子達の不器用さへの不寛容の質を考えてもらいたいと思う。巡回指導も、すさまじい事例が珍しくない。しかしそれには必ず理由がある。そこに事態がたどり着かないことが山積しているのだ。

夜間傾聴:大森君(仮名:俺は電話かけるのをやめないよと、宣言をきく。さて…。)
     Yちゃん(仮名:夕方)

p.s.「ろうきん」助成申請、道を開く部分が賭けのようで、確実性を高めたいと思うと筆が止まります。今小休止。あと2時間半。

(校正1回目済み)

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