日々のことを徒然に

地域や仲間とのふれあいの中で何かを発信出来るよう学びます

むかいなだ

2014年02月18日 | 地域


 マツダ(正式にはマツダ株式会社)は山陽本線広島駅から上り2つ目の駅の向洋駅で降りる。向洋は「むかいなだ」と読むけど「こうよう」と間違われることもあるとか。列車が向洋に近づくと車窓から威容を誇るマツダ病院が見える。何度も見て通り過ぎていて降りるのは初めて。山陽線に見られる普通の駅。通勤時間帯の混雑ぶりは乗り合わせたこともあり知っているが、昼間の駅は閑散。

 勤め帰りのマツダ関係者で一杯になるのでは、そんなお店が数軒並ぶ通りを抜けると、マツダ本社が目の前に見える、駅から歩いて5分、広い道路の向うに本社ビルが建っている。マツダは広島、というから広島市内かと思いきや本社住所は広島県安芸郡府中町と企業案内にある。向洋駅は府中町にある唯一の鉄道駅として存在する。府中町は人口5万人を超え、日本に存在する町村部の中で人口が最も多いという。

 向洋駅舎を出た左側に初めて目にする郵便差出箱が設けられていた。郵便ポストの正式な呼称は郵便差出箱というそうだ。そのポストは大型郵便物対応とされ投函口が2つある。左側が通常のはがきや封書と注記されている。近所のポストにA4サイズの封書を折れないように気づかいながら投函することを思い出し、ここは町なのに便利にできている、あまり意味のない比較をしていた。

 帰りの電車を待つのは我ら6名の一行を含めて10名あまり。大企業の城下町の駅も操業時間中はご覧とおりです、と駅員の姿も見えない。久しぶりのJR、JRは片道100キロメートルまでの区間の普通乗車券を使用する場合は原則途中下車出来ない、車内での雑学会話なども含め、学ぶ知ることの面白さを楽しんだ一日になった。
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麗ちゃん

2014年02月17日 | 地域



 同好の仲間で広島にあるマツダ自動車の工場見学に出かけたのは高齢者のご一行6名。見学は午後1番とのことなので、まずは腹ごしらえに。場所は広島駅ビルアッセ、そこでのお好み焼きに決定。時間は間もなく昼食のころ。

 アッセ2階のお好み焼き店で行列の出来るお店としてして知られている「麗ちゃん」へ。なんとなんと、高齢者配慮をお願いしたわけではないが、一瞬の差で、全員が同じテーブルにつけたのは驚き、このあたりの言いかたで「こりゃあ幸先がええ」だった。メニューは全員同じに、その理由は「全員分が同時に来るだろう」という作戦から。注文はメニューナンバー10の「そば肉玉いか天」830円。

 作戦通り6皿は同時に並ぶ。甘口と辛口のカープお好みソースで好みに合わせて味付けする。その間も順番待ちの客が続く。右隣の一見して出張者らしいスーツ姿の人が黙々と食べる姿に人気の高さを垣間見る。我が仲間もアツアツを残さず口にして満腹。支払いを済ませ暖簾をくぐって出ると、旅のご夫婦が暖簾を背景に記念撮影中、満足そうな奥さんの顔がいい。

 都会の人は順番待ちの長い長い待ちを苦にされないのか、とにかく並んで辛抱強く待つ映像うをよく見る。時には何日も前からというのもある。そうしなければ美味いもの、欲しい物が手に入らないとか、ご苦労さん、という言葉しかない。麗ちゃんの大きな暖簾に沿て入店待ちの列、この賑わいはアベノミクスとは無関係で、味で勝負する広島のお好み焼きだから見られる光景だ。
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マツダミュージアム

2014年02月16日 | 生活・ニュース


 マイカー、こんな言葉がいつから普通の家庭に入り込んだか定かな記憶はない。親戚や知人から車を借りて乗っていた我が家に、初の車がやってきたのは1969(昭和44)年の暮れだった。バス通で3交替勤務、23時退社の勤務は乗り遅れまいと急ぎで帰り支度をした。当時は近隣企業の3交替勤務者は似た者同志だった。

 そのうち、少し責任ある仕事を任せれるようになり「バスに乗り遅れるので先に帰る」は効かなくなった。自家用車通勤も徐々に増え、バスも便数減の方向だったこともあり、3交替勤務手当を当てに購入を決めた。その第1号は運転慣なすることも計算にいれ中古のマツダファミリア、詳しい状態は記憶していないが、わが家の一員になった。

 マツダ車は何台か乗った。最後はアンフィニ200PS、2500cc、力強くよく走った。定年を機に低燃費車にシフト変更、今も続いているが、マツダ車には30年近くお世話になった。そんなマツダ自動車の工場見学を誘われ参加した。新車から未来車の展示まで一貫しているのはお客様に「走る歓び」と「優れた環境・安全性能」を提供する姿が貫かれていた。

 もっとも興味を引かれたのは「歴史展示コーナー」。そこには1920年の創業から今日までのマツダの歴史を代表する懐かしの車がずらりと並んでいる。実際に運転した車、同乗した何種類かの懐かしい姿が並ぶ。軽自動車R360クーペはマツダが乗用車メーカーとなった車。そして普通のサラリーマンでも車を持てる夢を持たせてくれた1台。

 未完成の車はゆっくりだがベルトコンベヤーの上を進む。注文にしたがって異なった車種が次々と生産されている。そして自動車は寸分の違いも許されない精密機器となって完成する。組み立てる人らの無駄のない動き、自動化されたシステムに目を見張るうち、最初のラインを離れ次工程に進む。そこに日本車は安全、見学者にそんな印象を抱かせる。
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軽トラ代わり

2014年02月15日 | 生活・ニュース


 車の自賠責保険は自動車による人身事故の被害者を救済するため、加入が法で義務づけられている保険、車の所有者は必ず加入する義務がある。別名は強制保険、車の運転はかれこれ半世紀近くになるが、支払の世話になったことはまだ1度もない。手続きの無いのがいいには決まっている。そう思いながら車検受けのため通して何十回目かの更新手続きを済ませた。

 4月からの消費税増税により自動車にかかわる各種の課税方式が変わる。単純には消費税3%アップ分は避けられない。緩和対策も施されるが、当面買い替えの無い自分には無用だ。ただ、消費税アップ前に車検を済ませる人も多く、車の検査関係事業者は超多忙な所もあるようで、早めの予約を呼びかけている。

 軽自動車の増税に異を唱える農家の人の話を映像で見た。農家の人に限らず増税が無いに越したことはない。「こんな庶民の声は偏西風に流され永田町を通りこし太平洋の彼方に流れる」農家の人は苦笑しながら上手いことを言った。燃料代の高止まり、それに車税増では百姓を引退したくなると話す。そんな話を聞いた後で大八車を目にした。この大八車の代わりを今は軽トラが担っている。

 蒔き用の木を運んだり収穫した野菜の運搬用に我が家にも大八車はリヤカーとコンビでそろっていた。それらも、LPガスなどの普及、菜園の公用地転用などで必要なくなり処分した。現在、農家の人はこうした人力車に代わって軽トラを使われている。採算のほどは分からないが、なくてはならない車の力、最終的に車税はどう決まるのだろう。

 大八車は代八車とも表すそうだ。これは1台で8人分の運搬が出来ることから呼ばれるという。それを引き継いだ軽トラはやはり欠かせない農業の担い手だ。
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作者の肩書

2014年02月14日 | 社会 政治


 ある自治体から、全ての公共施設にある全ての美術品の調査を依頼されてる人の文章。廃校になった小学校の体育館で、遊ぶ子どもの姿を描いた大きな油絵が目に飛びこんできた。その絵は作者がわれを忘れて無心に遊ぶ無邪気な子どもを描いたことだろうと想像できた。題名と寄贈者の名前があった、それは初めて聞く女性の名前で、無性に気になっていた。

 ひと月後、教えられて寄贈者の自宅を訪ねて、作者は43歳で帰らぬ人になったと、お母さんから教えられた。絵は32歳の時、母校の体育館が完成、学校側に懇願され贈った絵で、作者の一番のお気に入りだったと分かった。中学校の美術教員、結婚後は絵画教室などを開き、子どもと一緒に絵を描きつづけていたという。「作者の肩書や値札の価格で作品を評価してきた自分がいた。無心で描く素晴らしさを教えてくれた作者に恩返ししたい」とまとめられている。

 ある美術館で評価額数万円といわれていた絵、その後に作者が世界的に有名な画家と分かったとき、その価格は千倍以上になったという。絵の評価は絵そのもではなく、作者の名前で決まるんだ、そう思ったことを思い出した。先の調査員のような人が絵画鑑定をされたら、その評価が変わるような気がする。

 第150回芥川賞は広島の主婦作家に輝いた。芥川賞・直木賞は1935(昭和10)年1月に文藝春秋社により創設された。菊池寛は「亡友を紀念する傍々無名若しくは無名に近き新進作家を世に出したい為である」とし「審査は絶對公平」と賞の制定宣言で述べている。また、二つの賞の制定が「文運隆盛に資すること」とある。これからも無名な作家が数多く輩出されることを楽しみにしている。
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埋められていた古銭

2014年02月13日 | しっちょる岩国


 国の名勝・錦帯橋の架かる清流錦川はその河口で今津川と門前川に分岐する。そこに三角州の広大な土地・川下町がある。三角州の頂点近くに、中世武士が築いたといわれる大きな居館跡が見つかり、中津(なかづ)居館跡として2008年から発掘が続く。この居館の特徴の一つとして、山口の大内氏、大分の大友氏など守護大名クラスの居館に匹敵する大規模なもので、どのような経緯で築かれたか謎の部分もあり、さらに調査研究をするという。

 岩国市文化財保護巡回展で「発掘された中津居館跡」が開かれている。展示の内容は出土品に絵図や文献などの史料、写真やパネルなどが並ぶ。出土品は土師器の椀、小皿、鍋など多数で、それらから14世紀前半(南北朝時代~室町時代前期)に造られた居館とされている。報道で興味を持っていたのは出土品の中の「一括出土銭」という古銭。13~14世紀の備前焼の大がめに入れられ埋められていた古銭、その数2万~3万枚とされる。

 発掘された古銭は、埋められた当時、実際に流通していた形のままで見つかっており、その資料価値は高い。そのため、古銭の塊をバラバラにせず、かめに入ったままの状態で掘り出した。作業に当たっては発砲ウレタンを吹き付けたりウレタンで包んだりと、専門家の手によったという。保存処理後は一般に公開するというから楽しみだ。

 出土した埋納銭の実物大の写真の展示がある。古銭はおよそ100枚単位で紐に通した「縒銭(さしぜに)」という状態を保っている。さらに、それを5千枚ごとに一まとめにした「五貫文縒(ごかんもんざし)」の状態でかめに収まっており、住んでいた人の高い経済力が伺えるとある。

 写真から銭を紐に通したような棒状のものが束ねられている様子がわかる。中津居館は14世紀の前半、岩国を拠点にしていた大内氏家臣の弘中氏であることから、弘中氏一族とする見方が有力とされている。これからの調査研究に期待する。それにしても、造った人はこの発掘をどんな思いで眺めておられるだろう。
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洗顔石鹸

2014年02月12日 | 生活・ニュース


 バレンタインデーの日の贈りもの、女性から男性に贈るという品はチョコレートということになっている。初めてもらったのは30代半ば過ぎ。男だけの3交替職場から女子社員のいる職場へ人事異動になった時の義理チョコだ。そうか、職場が変わればこういうこともあるのか、こういう世事にうといことを思い知らされた。それからは定年まで続いた。

 このお返しを買うのも楽しかった。といっても、品質に味、見た目にメーカーなど選択能力が欠如している私に変わって、選ぶのは家内の役目だった。家内も楽しんで選んでいたように思う。最近はスーパーの特設コーナーを見るくらいになっている。毎年、家に届けてくれる人は「お返しなしで」と手渡してくれる。

 先日、生放送のラジオ番組でバレンタインデーにもらった思い出のプレゼントを出演の芸能人が紹介していた。色に形に味などチョコのいろいろが登場する。その中で遠慮気味に「僕は洗顔石鹸です」と中学生の思い出を話す。笑ったり奇声も聞こえた。話した人は「そのころ顔中がニキビだらけでした」と付け加えた。笑いや奇声がなるほどという納得の声にかわる。

 今のバレンタインデーは本来の意味を離れて、チョコ屋さんの売り上げ向上作戦に乗っけられたような感じがする。手作りも大はやりといううが、お店のチョココーナーも賑わっている。同じ贈るなら、本命さんだけには洗顔石鹸のように印象に残るものを贈れば、バレンタインデー本来の趣旨にかなうのでは、これはチョコっともその気配のない古稀を過ぎた男のひとりごと。
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昼休みの児童

2014年02月11日 | エッセイサロン
2014年02月11日 毎日新聞「はがき随筆」掲載

 給食を食べ終えた児童らは、広い運動場で生き生きと遊ぶ。追っかける子逃げる子、繩を回す子跳ぶ子。そして何十種類もの叫ぶような大声、でもけんかではない。そんな児童らの姿が好きで、立ち止まって眺める。

 昼休み終了の放送。すると、遊びに夢中だった児童らは間をおかずに、校舎へ向かって脱兎の勢いで一斉に駆け出す。その切り替えの早さに、素直な子どもらしい純朴さを感じ、自然と笑む。「こけるなよ」と思いながら、背中を見送る。

 少し舞い上がる砂ぼこりは、児童らの元気な声の余韻を楽しんでいるようだ。

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兼用

2014年02月10日 | ウオーキング 散歩


 朝、ラジオ体操をもじった自己流の体操と、散歩というかウオーキングというか歩くことくらいが最近の運動になっている。飛んだり跳ねたり打ったりなどは若いころから苦手で、誘われると加わるが、積極的に参加する方ではなかった。それは今も続いており、体を動かすのはもっぱら歩くことにしている。

 そんなこともあり、最近は用事で出かけるときは意識して歩くことを心がげ、昨秋くらいから荷物でもない限り自転車を使わなくなった。歩きなれると距離感が変わり、あそこまでなら、と億劫さが消えた。ただ、歩くには歩くがウオーキングの時は姿勢も速さも距離も、運動としてそれなりに意識して歩く。

 家から1.5キロほどのところに用事で出かけた。服装は普段着、靴はスニーカーだった。反対側から来た知人と出会う。元気か、から始まって短い近況など立ち話。別れるとき「ウオーキングか」と聞くので「そこまで用事で」と答えた。すると「兼用か」と笑いながら背を向け歩き出した。

 とにかく歩いているのだから、その目的は何であれこなしていることは同じ。ウオーキングだ用事だと区別していたほうが変だった、と今に至って初めて気づき苦笑。自転車を意識して乗らなくしたのは簡単に言えば歩数計の値を伸ばしたいだけだったかもしれない。そんなことを思いながら慣れた道を歩く。南天を撮ったら赤い真珠のように写った。
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樹齢不明

2014年02月09日 | 自然 季節


 ウオーキングでは、おや、珍しい、あれは何、どうしたの、などなど出会うことがる。そんな時は小さなカメラで撮っておく。先日は、人でいえば骨皮筋衛門ならぬ樹皮だけの脱け殻のような桜の木の根本を覗いている女性に出会った。いつもの癖で「何か居ります」と尋ねた。笑いながら「ここは野良さんのお昼寝の場所」という。 

 陽がさし始めると時計のように正確にどこからかやってくる住所は公園のネコがいるという。たまにゴミなどがあれば取り除いている、と女性の話。手にはそこらを履かれたのか落ち葉の入った塵取りと箒を持っておられる。野良さんのために、その方はネコ好きなのだろうか、と思いながら覗いてみたが、格別こ心地よさそうな昼寝の場所には見えない。住めば都、野良さんは居心地がいいのだろう。

 公園にはこのように樹皮だけ、大きな空洞の出来た幹、半分腐れ落ち支柱に支えられた幹など、一目で老木とわかる桜の木はたくさん見かける。そんな幹でも、桜の使命は忘れずに花を咲か訪れた人をせ楽しませる。新しい枝も育てている。ここ吉香公園の桜はソメイヨシノ、接ぎ木で育った苗を植えるという。いつかはそれに代わるのだろうが、花のない時季に見るのは忍びない。

 この公園には日本で2番目の長寿桜があり、標識が立てられ根回りに入れないようロープが張ってある。桜の老若問わず花芽の膨らみを感じ始めた。開花予測は3月の下旬、その中にあの老木があると思えば、木の力(木刀)ならぬ気の力(気力)を充実させなければろ花芽を見上げる。骨川筋衛門の樹皮の内側に触れると少し温もりを感じる。
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