日々のことを徒然に

地域や仲間とのふれあいの中で何かを発信出来るよう学びます

マツダミュージアム

2014年02月16日 | 生活・ニュース


 マイカー、こんな言葉がいつから普通の家庭に入り込んだか定かな記憶はない。親戚や知人から車を借りて乗っていた我が家に、初の車がやってきたのは1969(昭和44)年の暮れだった。バス通で3交替勤務、23時退社の勤務は乗り遅れまいと急ぎで帰り支度をした。当時は近隣企業の3交替勤務者は似た者同志だった。

 そのうち、少し責任ある仕事を任せれるようになり「バスに乗り遅れるので先に帰る」は効かなくなった。自家用車通勤も徐々に増え、バスも便数減の方向だったこともあり、3交替勤務手当を当てに購入を決めた。その第1号は運転慣なすることも計算にいれ中古のマツダファミリア、詳しい状態は記憶していないが、わが家の一員になった。

 マツダ車は何台か乗った。最後はアンフィニ200PS、2500cc、力強くよく走った。定年を機に低燃費車にシフト変更、今も続いているが、マツダ車には30年近くお世話になった。そんなマツダ自動車の工場見学を誘われ参加した。新車から未来車の展示まで一貫しているのはお客様に「走る歓び」と「優れた環境・安全性能」を提供する姿が貫かれていた。

 もっとも興味を引かれたのは「歴史展示コーナー」。そこには1920年の創業から今日までのマツダの歴史を代表する懐かしの車がずらりと並んでいる。実際に運転した車、同乗した何種類かの懐かしい姿が並ぶ。軽自動車R360クーペはマツダが乗用車メーカーとなった車。そして普通のサラリーマンでも車を持てる夢を持たせてくれた1台。

 未完成の車はゆっくりだがベルトコンベヤーの上を進む。注文にしたがって異なった車種が次々と生産されている。そして自動車は寸分の違いも許されない精密機器となって完成する。組み立てる人らの無駄のない動き、自動化されたシステムに目を見張るうち、最初のラインを離れ次工程に進む。そこに日本車は安全、見学者にそんな印象を抱かせる。
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