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帰宅したら民主党小沢代表の辞任表明の記者会見、中継は丁度マスコミの報道姿勢に厳重に抗議するというところだった。続いて質問になった。この中でマスコミに対する代表の抗議について反論も質すこともなかった。
言い換えれば代表の抗議が正しかったことになる。質せるだけの力量ある記者が不在なのか、報道した事実に自信がないのかとも思った。もし抗議が正しいのならば視聴者や読者にことの内容を知らせる説明責任がある。説明責任という言葉はマスコミの好む表現だ。
是非は別にして責任の取り方は様々だ。小沢代表も責任を取った。また直近では前総理を初め幾人かの大臣、業界老舗の表示違反での引責、駅前留学の解任など連日の報道に辟易している。
責任を取らないのが官僚をトップとする公務員の世界。役人は間違いをしないということらしい。そこが間違っている。権限を持つ世界にはより重い責任とその取り方を定めるべきだ。国会議員とお金も類似が多い。
会社サラリーマンのキャリアなしの層でもことあれば査定で厳しい責任を取らされる。積極的に仕事へ取組めば取組むほどその頻度は増した。部下の失敗は上司の責任という上司は少なかった。辞表を出したと思ったこともあった。
定年退職後の責任はなんだろう。ゆとりある老後を家内に送らせてやることだろうか。そのため年金の増額は思っても不可能、と言って就職も無理。社会の重荷にならない迷惑をかけないように気をつける、これがいまの責任だろう。
(写真:辞任表明の小沢代表。NHK-TVより)