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夏の日差しに照らされて生い茂る雑草、そのそばを通るとむせ返るようなにおいがし、雑草の力だなとこの夏も感じた。
子どものころ、この雑草を刈取り飼料にされる農家の方をよく見た。よく切れる鎌でザックザックと刈取ると、長めの草を縄代わりにしてくるりと束ねてはザックザックと進む。あの音を思い出す。
最近は電動式の草刈機が能率よく見た目も綺麗に刈取っている。詩や歌にはなりにくい。草刈の思いでは、薩摩芋畑の畔に茂った雑草を父が刈る。畑の乾きを遅らせるためそれを畝と畝の間へ置く手伝いが記憶に残っている。
草抜き用の小さな鍬を使っていたが母は庭の雑草を手で引き抜いていた。草むしりと言って大方の家で年寄りの家事になっていた。どこのお家へ行っても庭に雑草は生えていなかった。雑草も風流と言われる方も多かった。
雑草は自然に生えるいろいろな草の総称だが、目的の栽培植物以外の草も雑草と呼ぶ。「雑草のような奴」と蔑んだり「雑草のようにたくましく生きた」と称賛したりと人の世にも雑草をもちいた言い回しがある。
霜の声が聞こえるとあれほど威勢のよかった雑草も色あせ立ち枯れてきた。雑草はひと夏でその姿を終り来年の雑草の肥やしとなって消える。年金生活はあと幾年続くか知れないがどんな枯れかたになるのか、少しは人の役に立って終わりたい。
(写真:川幅いっぱいの雑草とススキ)
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