ダークナイト(2008年 映画)

2020-01-16 00:00:15 | 映画・演劇・Video
映画『ジョーカー』の上映がほとんど終わってしまった。調べると、全国で1ヶ所だけ京都桂川のイオンシネマだけで、1月16日(本日)まで、夜9時半から11時半の枠で上映されている。

『ジョーカー』を観る前に、絶対に観ておくべき「バットマン・シリーズ」としては、『バットマン(1989年)』、『バットマン・リターンズ(1993年)』そして『ダークナイト(2008年)』ということらしく、『バットマン』と『リターンズ』はそれぞれ2回観ていたのだが本作は未見であった。

基本的には、バットマン対ジョーカーという直接対決である。日本では絶対に作れない規模と残虐性と銃弾バリバリと顔面破壊である。そもそもダークナイトは3部作で、2005年の『バットマン・ビギンズ』と2008年の『ダークナイト(本作)』、そして2012年の『ダークナイト・ライジング』。



そして、本作はあらゆることが暗い。ダークサイドに落ち込んでしまっている。銀行強盗団は犯行後、分け前を少人数で分配するため殺し合いをおこなう。

裏切り行為が日常茶飯事で起きる。

殺人をなにごともなく行うマフィアやジョーカー。

バットマンですら人命無視で何人も見殺しにする。なにしろバットマンの正体は実業家なので、主に夜専門の活動となってしまう。ミスター・ダークナイト。

さらに、ジョーカーを怪演したヒース・レジャーは撮影終了直前に急死してしまう。撮影中に苦しめられた不眠症の治療薬と風邪薬の同時服用が原因だ。

多くのもやもや感を残したまま、バットマンは悪者っぽく終わってしまうわけだ。

ところで、本作でのバットマンの主敵は、ジョーカーだけなのだが、バットマンと言えば味方はロビン、敵はジョーカー、ペリカン、キャットウーマンということだが、彼らはその後、どうなったのか。

まず、ペリカン。『バットマン・リターンズ』の中で亡くなったはずだ。ジョーカーは『ジョーカー』の時制がよくわからないので不明だ。キャットウーマンはバットマンの敵なのかは疑問が残る。バットマンの気を惹くために犯罪を起こしているともいえる。『バットマン・ビギンズ』では悪役だが、『ダークナイト・ライジング』では、ついにバットマンと結婚し、夫婦でバットマンごっこをおしまいにしてしまう。

そして『ライジング』ではある警官がロビン役になり、最後は引退したバットマンの後継者になる。口だけの無能な副大統領が大統領に昇格したようなものだ。

そして、冒頭に書いた理由(『ジョーカー』上演ついに終了)により、しばらくはシリーズの中の未見作をポツポツと片づけていくべきということなのかもしれない。

ゆんでめて(畠中恵著)

2020-01-15 00:00:47 | 書評
しゃばけシリーズの第9冊。

まず書名の意味だが、『ゆんでめて』を漢字で書くと『弓手馬手』となる。弓手とは武士が馬に乗る時に弓を持つ手が左手であることから左側を指し、馬手とは逆に右手のことで右側を指す。

yundemete


こういう変わった言い方では、航海の時の操船で右を指すのが、『面舵(おもかじ)』、左を指すのが『取舵(とりかじ)』というのがある。英語でも「スターボード」が右で「ポート」が左なのだが、右という意味が「右に曲がる」という意味と「右に舵を出す=左に曲がる」という逆の意味が混在した時期があって、タイタニック号の沈没にも関係する。映画には登場しなかった話だ。

本作は、短編連作集なのだが、いたって複雑な時間軸になっている。

1話。『ゆんでめて』。序の部分で病弱な主人公の一太郎は道を歩いていて左に曲がるべき場所で、うっかり右に曲がった妙な神様を見つけ、そちらの方を追うことになる。その結果、自宅の火事の際、帰るのが遅れたため、親友の妖である屏風のぞきが行方不明になり、探し回るも、結果として見つけられないことになる。奇妙なことに右に曲がってから4年後のことなのだ。

2話。『こいやこい』。友人のところに来た縁談。良縁のように見えたが花嫁候補は京都から江戸にやってきたが同じような女性が5人。友人が5人の中から本物の花嫁を見つけ出さなければならないということになる。その中には、一太郎に気のある女性が登場。といっても、今回は京都に帰っていく。奇妙なことに第一話の一年前。つまり序の時間軸からは3年後である。

3話。『花の下にて合戦したる』。花見に行った時の話。人間に近い妖といえば、狐と狸だが、余興として両者で化かし合い競争をするのだが、そこにもっと強力な妖怪があらわれ、狐と狸は共同戦線を張って、妖怪と争う。第一話の二年間。つまり序の時間から2年後である。

4話。『雨の日の客』。記憶喪失の女性が登場。ところが怪力。利根川の河童なのだ。そして目を失った竜が登場して、ある神社の宝物である「竜の目」を探し回る。序の時間軸からいうと1年前だ。

5話。『始まりの日』。第一話の序の時間に戻る。最初に一太郎が道を間違えた時に気まぐれな二流の神さまがいて、タイムマシンのように未来を変えてしまったのだが、前作『ころころろ』で登場した強力だが変わり者の生目神様が二流の神様のやった時間を変えた行為に怒り、第1話の途中から第4話まで、つまり4年分のできごとを、すべて無効にしてしまう。つまりいなくなってしまった屏風のぞきも復活することができた(はず)。

シリーズも、突拍子もない方向に進むことがある。『ゆんでめて』も荒唐無稽だ。消してもらいたい過去がある人は生目神様に頼むといいかもしれないが、その代わり自分が元の運命線に戻ったとして、そちらの方が満足できるかどうかは別物だろう。

なんとなく、しゃばけシリーズの中に読者である自分も取り込まれてしまいそうに感じて、危険だ。

どんと焼きで燃やされたもの

2020-01-14 00:00:15 | 市民A
松の内も終わり、鏡開きも終わり、書初めも終わり、その他様々な今年初めての行いも終わり、ついに「どんと焼き」の日が来た。町内会の行事で、緊急時の炊き出し訓練もあり公園で消防団員立ち合いの中で、禁断の火遊びが始まった。



基本的に紙類と松の枝、竹、わらなどのよく燃える素材のものが持ち込まれる。例年に比べて書初めが大量にあるような気がする。小学生のテーマだったのだろうか。『令和』と『生きる力』というのがたくさんある。『生きる力』というような立派な作品を書いてから一週間もしないで燃やすというのも、割り切れない。



そして、自宅から持って行ったのは松の枝でできた簡易門松など。新聞紙に包んで山の上に置いたのだが、しばらくすると上にダルマが多数重ねられ、山の下に落下していた。



何しろ新聞紙面には『イラン、米軍に・・(不明)』という見出しが見える。ミサイルを米軍基地に打ち込んだ記事だ。燃やすには最適な新聞なわけだ。

そして、多くの人が竹串に刺したモチをあぶっているときに、ならず者がきて、ダルマの追加をしてくれた。慣れた人は一斉にダルマから離れる。ダルマを燃やすと、途中で大きな音を出して爆発することがあるわけだ。そして、運がいいとダルマが空を飛んだりする。火のついた空飛ぶダルマの眼と眼を合わせた年もあった。半焼けの餅を持って帰り、オーヴントースターで焼き直した。煙でいぶったような匂いは残ったままだ。

遠吠え合戦、そして妙な英語

2020-01-13 00:00:28 | 市民A
カルロス・ゴーン被告が日本を脱出して、彼にとって地球上で最も安全と思われるレバノンに現れた。ベイルートは中東の諸情報が集まる場所で、どこの国もそこに諜報員を送っているはずだ。情報収集、情報交換の場所だ。そういうバランスがあるので、そこで強引に国際秩序を破ってまで圧力を掛けたりすることはないだろう。

まず、別にゴーン氏のやり方を尊敬したり、羨望したりしているわけではないのだが、冷静に考えてみたい。

近いタイムラインからいうと、レバノンに行ったこと。結局、楽器箱がジェット機に積み込まれた段階で、逃走が確定的になった。そもそもフランスの2冊目のパスポートは所持していなくても、結局、レバノン人がレバノンに帰った時に入国させないわけはないわけだ。だからパスポート問題は関係ないだろう。

ICPOを通じて手配しているというのだが、「保釈中の逃亡」の方なのか「密出国」の方なのか調べてもよくわからない。どこの国でも、他国での犯罪者の引き渡しは、原則として母国の法律でも有罪の場合に限られることが多い。ゴーン氏はまだ有罪ではなく裁判も始まっていないし、本人は無罪を主張しているのだから、無理筋の気がする。さらに、「密入国」ではなく「密出国」というのは、そもそも単体では軽微な罪だ。悪い人間が日本からいなくなるのならそれでいいのではないかという考え方もある。

キャロル容疑者の偽証罪というのも、「覚えていない」という内面の問題を今ごろ「偽証」とするのはなかなか困難だと思う。せいぜい、「尋問の時には思い出せなかった」ということになるか、夫婦間の偽証は有罪にならないというのが通例のはずだ。そもそも保釈中に「証拠隠滅のおそれ」というのも、それなら証拠が不足しているのに逮捕して起訴したのだろうかという話にもなる。本音は証拠隠滅ではなく、逃亡防止ということなのだろう。

一方、ゴーン氏も怒り爆発と言うことで、記者会見を多発して挑発しているが、核心的なことは語らない。つまり焦点は「金融商品取引法違反」と「特別背任罪」ということになるが、結局セーフかアウトかよくわからないわけで、少なくとも「横領」ということではなく自分の不足給料を退職後に受け取る契約を確定事項として財務諸表に記載すべきなのかどうかという最初の問題に戻るわけだ。またレバノンやブラジルの住居やクルーザーも日産名義であるわけで個人資産にすりかえたわけではない。あえて言うと中東の代理店に払ったコミッションがゴーン氏の資産になったのかどうかということで、そこの証明が大きなカギだったはず。

もう一つ個人的な疑問だが、大きな上場会社から中小企業に至るまで、会社のカネを個人的に使っている社長や役員は無数にいる。半数近くはそうではないだろうか。会社の経費を全部自分名義の航空会社のクレジットカードで払って貯めたマイルで個人旅行している社長はたくさんいるとカード会社の人に言われたこともある。別荘とか高級車とかゴルフ会員権の会費も会社負担は当然。会計士や中小企業診断士には用はなく、税理士を重宝するわけだ。アウトとセーフの差は何だろうか。国籍?


さて、つまり事態がこれ以上進捗する可能性はほとんどないわけで、現在は東京とベイルートで犬の遠吠え合戦をしているだけということになる。遠吠えは英語では「ハウリング」と言うそうで、二匹同時にワウワウと不協和音をあげることを指すのだが、現在のところ対話型遠吠えということになっている。


ところで、ゴーン氏の逃亡に関連して、あっという間にゲームができたそうだ。つまり、遠吠えの当事者である日本の検察がゴーン氏を捕獲するゲームらしい。「逃げ切れるか、刑務所に送れるか」を争うらしい。詳しいルールは知らないが、マスク、サングラス、パスポート、ジェット機、15億円、楽器箱など必要アイテムを集めるとタクシーで品川駅に向かうことができるとかなのだろう。

問題は、このゲームのネーミング。報道によれば。『Ghosn is Gone』というそうだ。

なるほどという名前なのだが、すこし違和感があり、もしかして『Ghosn was Gone』でないといけないのではないかと感じている。『Ghosn is Gone』では「ゴーン氏は亡くなった」という意味のような気がする。というか、そういうゲームなのかもしれないが。

江戸歌舞伎発祥之地

2020-01-12 00:00:15 | おさんぽ
京橋の中央通り沿いに、「京橋大根河岸青物市場跡」の碑と並び「江戸歌舞伎発祥之地」という石碑が並んでいる。見ただけで歌舞伎の碑の方が市場の碑より三倍くらい立派だ。スポンサーの違いだろう。寛永元年(1624年)に猿若(中村)勘三郎がこの地に猿若座を建てたのが江戸歌舞伎の発祥とされる。



場所についてだが、調べていると「日本橋と京橋の間にある中橋に猿若座があったが、碑はこの場所に建てた」と書いてあるものがいくつかあるが、古地図で調べると日本橋と京橋の間には川や掘割はない。そもそも銀座線の駅が混乱を招いているが、日本橋というのは今も立派な橋が架かっているが駅は橋よりも中央通りの南に下った方にある。一方、京橋の駅(交差点)は実際の橋だった京橋より少し北に上がったところにある。ちょうど碑がある場所が京橋だった。そこから中央通りを直角に山手線の方に曲がる道(今は首都高になっている)は江戸時代は外堀から八丁堀に抜ける水路であった。外堀から京橋に流れる水路の途中に中橋が架かっていた。その水路の北側に大根市場があり、南側に猿若座があったことになっている。

*ここで余談1だが、現在の京橋交差点だが、その一角(AGCスタジオ)あたりに畠中恵著のしゃばけシリーズの本拠地の長崎屋があったとされるが、漢方薬と海産物の問屋だったはずだが、上に書いた通り、現在の京橋と実際の水路はずれているので、海産物をどうやって陸に揚げたのか疑問が残る。

余談2。幕末の西郷×勝会談。勝海舟は血気盛んな幕軍の中を通って三田にある薩摩屋敷に行ったというのは不自然と思っていて、会談に使われたのは薩摩藩が持っていた裏口が海に面した蔵屋敷だったこともあり、江戸城から船に乗ってむしろを掛けて隠れて水路を使って海から三田に行ったのではないかと考えている。ちょうど、京橋の下をくぐっていたのだろうと推測。


ところで歌舞伎は阿国(出雲出身)が「かぶき踊り」を創始したことによるとされ、関ケ原の戦い以降、急速に全国に広がり、江戸でも江戸城内で阿国が上演した(1607年)ことになっている。発祥の地である京都には、阿国歌舞伎発祥の地の石碑がある。

一般に阿国由来の歌舞伎は遊女歌舞伎と言われ、遊女多数が出演したり、題材が性愛中心だったこともあった。阿国は女性だが男性の役を演じ、その男役の妻を演じるのが男性だったり、倒錯の世界が売り物だった。

一方で、若衆歌舞伎というのは、すべて男が男役も女役も演じるもので、現代までつながっているのだが、創始期は若手役者は男娼を行うことが必然とされていた。

実際には江戸時代のそうした黒歴史は資料も乏しく、詳細を明らかにするのは困難だそうである。結局、すべて男が演じる歌舞伎とすべて女が演じる宝塚とあまり倒錯的ではない奇妙な分類が生じているわけだ。

徳川家康と将棋?

2020-01-11 00:00:52 | しょうぎ
将棋ペンクラブに入会しているので、小冊子が送られてくる。『将棋ペン倶楽部通信54号』。

水野保さんという方の書かれた『家康と将棋』という6ページの文章がある。



本能寺の変(1582年6月)で明智光秀が卑怯にも織田信長を殺害し、天下取りを目指した時、家康はどこにいたか。当時の居城である岡崎ではなく、堺にいた。京都へ向かう途中、堺で時間調整のため遊んでいたわけだ。部下は30人。そうなると、得体のしれない明智光秀の軍勢と出会うわけにはいかない。一目散に岡崎に帰り、重大事案に備えなければならないが、なにしろ紀伊半島を横断しなければならない。海路で行こうにも、信長に抵抗していた紀伊の水軍に頼るわけにはいかない。結局、伊賀山中を強行突破しるしかないが、不案内である。(要するに家康は人生に何度も不運なことが起きて、冷静さと幸運に助けられながら、勝ち抜きトーナメントで優勝。)

そして、家康を助けようと現れたのは、多羅尾光俊という老将。家康の供には、後に四天王と呼ばれる猛将たちもいたが、30人では戦うわけにはいかない。活躍したのは服部半蔵。結局、家康は光俊に命を預け無事岡崎に逃げ帰ることができた。カルロス・ゴーンのような話だ。

その時、家康が光俊を試すために使ったのが「将棋ゲーム」。服部半蔵が天皇家由来の水無瀬駒を持ってきて、それにて対局。局面は乱戦になるも家康は不利になり、途中で光俊に「いやー、光俊殿に待ち駒を打たれれば投了しなければならない」と口走ったところ、光俊は、そんな卑怯な手は指しません、と言われてじっくり指されて完敗してしまった。いわゆる「二度負けた」ようなものだが、これにて家康は光俊を信用したということが書かれている。

あるような話で、私も何としても水無瀬駒を手に入れなければなるまい、と決意したのだが、文の最初と最後に、「こういう歴史的事実は残っていないが推測で書いた」ということがあいまいに書かれていた。つまり創作された話だったわけだ。


さて、12月28日出題作の解答。





銀を使い方と、香の温存である。

動く将棋盤は、こちら(Flash版)。

GIF版。



今週の問題。



これも銀が大量に投入されるが、主役ではない。

わかったと思われた方は、コメント欄に最終手と総手数とご意見をいただければ、正誤判定します。

ランチはディナーの入り口なのに

2020-01-10 00:00:08 | あじ
近くの駅の近くに、自然薯を使った「とろろそば」を出す店ができたというので足を一駅伸ばしてみる。どうも急拡大中のチェーン店のようだ。

ただ、メニューはなんとなくまとまりがなく、「そば」なのか「とろろ」なのか「牛タン」なのか「天ぷら」なのか。夜は「焼き鳥」も出すようだ。いきなりステーキも鳥貴族も最近の業績は不調が続いているようで、飲食店も何をすればいいのかわからないのかもしれない。

しかも、とろろそばというのは、「とろろ」と「そば」である。両方ともそれほど難しい素材でもないだろう。差別化するのはなかなか大変だ。

それと、ディナーを予約する前にランチを食べてから考えるという人も多いだろう。ということで、数人でランチを食べに行った。『牛タン炙り焼きと自然薯麦とろ蕎麦のセット』を注文。



まあ、新しい店ということで厳しいことは言えないが、どうも同じメニューを頼んだのに一人分が早くきてしまうということもあったし、小鉢の数がそれぞれ異なったり、不安でしかたない(ひじきの煮つけなんて要らないと思う)。メインのとろろだが、さすがに自然薯だけあって、わずかにえぐい味が残っている。大和芋とどちらが好きかは人それぞれだろう。牛タンは薄くて固い。噛めば味が沁みだしてくるので、本来、固い方がいいかもしれない。サラダはみかけが悪い。動物の餌みたいな千切りかただ。そして蕎麦。蕎麦はいいのだけど、ざるではなく箱に載せられているのでビショビショだ。これは特に何とかした方がいい。最後に食器に統一感がない。

なんとなく良いコトバが書けないが、たぶんディナーの方が利益率が高いといった理由でランチは手抜きをしているのだろうか。ディナーの前にランチで試す人も多いだろうから良い事業戦略とはいえないような気がする。

以前、ガソリンスタンドでセルフ給油がなかったころ、原付の来店客が来ると、面倒くさいので、二輪車価格を高くしたりしている店が多かったのだが、原付のお客様が明日は四輪でくるかもしれないわけだ。『二輪は六輪』という格言を店内の控室に貼っている店もあった。

きえもの(九螺ささら著)

2020-01-09 00:00:49 | 書評
kemono歌人、九螺ささらのおそらく第三作。もっとも一冊目の『神様の住所』と本著は短歌と散文が混在した形式で、まず「お題」があって、一首あって散文があって、最後に〆の一首となる。そしてお題が70題ほどあり、200ページほどの書籍になっている。まだ読んでいないが二冊目の「ゆめのほとり鳥」は純粋な短歌集とのこと。

そして、タイトルの「きえもの」だが、日本語単語としては「消え物」ということ。見慣れぬコトバだ。例えば三省堂の新明解国語辞典(第六版)には載っていない。純粋の意味でいうと、短い時間にこの世から消えてなくなる物、例えて言うと「消耗品」とか「食料品」とか。歌舞伎の世界では紙吹雪とか破いて捨てる手紙とかの小道具のことを指すらしい。料理カメラマンが被写体を盛って見せるために卵白を塗ったり霧を吹いたりするのも「消え物」。

いきなり余談だが、結婚披露宴とか香典返しとかにカタログギフトが使われることが多いが、結婚の場合、カタログの内容に、以前は食料品はなかったそうだ。「消え」というのは相応しくないとされていたからだそうだ。香典返しにしても、故人の思い出をすぐに消し去るのは、あまりに冷たいのかもしれない。

で、本書の中の「きえもの」は、すべてが食品である。ネクター、ぶどうガム、ラング・ド・シャ、マルメロ、ハチミツ、ゴーフル、羊羹、醤油、ひじき、鳩サブレ―、・・・・

「きえもの」ではなく「くいもの」でも良かっただろうが、今後、食レポ歌人路線を続ける覚悟が必要だろう。

実は、本作、第一作の『神様の住所』を超えていないような気がする(個人的意見)。説明的な散文が重く感じるところがある。文字の切れ味が鋭くないということかな。あるいは、散文に短歌が引き摺られているように感じる。

なぜなのか、考えたのだが、食品についている名前、そして食品そのものの加工品としての存在が、それだけで論理的であり、物語的であり、詩的であるからではないだろうか。

なぜなら、食べ物というのは人類(あるいは全動物)にとって地球上にあらわれた時からこだわり続けたものであるわけだ。ナウマンゾウを棒で叩いて捕まえていた時だって、肉を切り分けで生肉をムシャムシャと食べる行為だって、詩的ではないか。鳩サブレ―の形や色、舌触り、壊れやすさ、かなりの論理と物語があるだろう。食品とその名前があれば、余計な説明は不要という感じがあるのではないだろうか。

短歌に書くべき「自らの想い」の他に「食べ物の持つ固有の価値」が存在して、なんとなく気持ちがザワザワする感じが生じてしまう。

二首を選んでみた。

どうしても雲の部分が食べたくて 雲州みかんに親指を入れる(温州みかん)
*散文の中で、「うんしゅうみかん」は「温州」ではなく「雲州」と書くものと思っていたという錯覚を詠んでいるわけだ。

舌を出すしめしめと思う 神様に知られずに彼の心を盗んだ(ラング・ド・シャ)
解釈は難しいが、焼き上がりのフカフカのクッキーは思わずつまみ食いしたくなる。

リップヴァンウィンクルの花嫁(2016年 映画)

2020-01-08 00:00:00 | 映画・演劇・Video
まず、180分であるので、長い。そしてストーリーが結構難しい。といってミステリーということではないが、そういってもいいような気がする。ある意味、黒木華のための映画でもある。多くのシーンは彼女が演じる皆川七海の視点で作られているので、彼女の知らない世界で何が起きているのかは、観客が考えて答えを探さなければならない。岩井俊二監督が与えてくれる手掛かりは少ない。

ということで、劇場上映から3年も後で観ているので、ネット上のさまざまなネタバレ情報を読めば不明点がわかるはずだが、色々見てもまったく納得できない。というのも、主人公である七海の周りに度々登場する第二の副主人公というのが安室行舛(演:綾野剛)。綾野剛が登場すると一気に怪しい雰囲気になる。クラスに一人ぐらいいるタイプだ。劇中、なんでも屋として登場。そして、Cocoo演じるAV女優(里中真白)。前半部には登場しないが、本当は重要なカギを握っている。



まず、映画が長いのは、大きく言って前半と後半にわかれるからだ。

教員を目指していた七海は臨時雇用としてある中学で教えているが、声が小さくなかなか数学を教えることがうまくいかない。唯一、バイトでやっているオンラインの家庭教師で不登校の子からの厚い信頼を得ている。そして、お見合いサイトである男性と付き合い始めすぐに結婚することになるが、そんなネットショッピング感覚で相手を選んでいいのか悩んで、仮名でブログに書き込む。いつの間にブログ上で彼女を支える人物Xがあらわれる。

ところが、結婚式に集まる親族がまったく足りず、七海はX氏の助言もあり、なんでも屋の安室に代理出席者を発注してしまう。ところが、二人の結婚は、安室の帰宅が遅いことと、謎のピアスを見つけてから溝が生じる。七海はまたも安室に夫の浮気調査を依頼。

ところが、七海の家に訪れた男が、自分の彼女と七海の夫が不倫関係にあると言い出し、巧みに彼女をホテルの部屋に誘い出し、逆に肉体関係を求める。バスルームに逃げ込んだ七海は、またも安室に電話をかけ救助を要請。安室はしばらくしてかけつけ、男の仕掛けたカメラを回収し、バトンタッチする。ここが岩井監督が、観客にタネを大公開したシーン。つまり安室は何か怪しい男ということを明示する。

そうとは知らない七海は夫が浮気をしているという部分を知っているのだが、逆に夫の母親から、自分が不倫をしているという証拠を見せられる。それはホテルで写された写真のわけだ。七海は夫の方が悪いと言い合いになるが、結局、その日のうちに七海は夫の元から出ていくのだが、とりあえず行く当てもなく、また安室に電話をかけてしまう。そして、仮住まいを見つけてもらい、過去に自分も頼んだ結婚式の出席代行の仕事をするのだが、その仕事の席で姉妹を演じた真白と出会う。このあたりから後半に入る。

その後、1ヶ月の給料100万円という破格の給与の旧館のメイドの仕事を安室に紹介され、住み込みとなるが、もう一人のメイドが真白だった。二人で一緒に住んでいる間に、七海は真白が重篤な病気に侵されていることと、彼女の職業がAV女優であることを知る。

ここからストーリーは急転し、真白は七海と一緒に住む予定の高い家賃の家を借りたり、二人分のウェディングドレスを購入。二人はドレスを着たままベッドに入るのだが、深い眠りの先にあったのは、真白の死。そして、何事もないように起きる七海。実は、このストーリーは真白が自分の病気を知った後に道連れ(七海)とともに死のうと、真白が安室に頼んだのだが、結果は違ったのだが、安室は七海が無事なことに驚いたものの依頼者が亡くなったので、まあいいやということになる。

そして、最後のハイライトは真白の骨を母親(りりィ)のところに届けたところ。思わぬ展開になるのだが、ストーリー的にはあまり影響がない。

実は、半日くらい考えてみると、七海のブログに現れたX氏は真白であったということが見えた。また七海の夫はマザコンで母親は息子を手元に置きたいため、母親が離婚工作を安室に頼んだことに気が付いた。つまり、安室は、七海からも、真白からも、七海の夫の母からも依頼を受けていて、もっとも儲かる方法を考え付いて実行したわけだ。唯一の手違いは、七海がピンピンしていることだが、別に問題はないわけだ。

ところが、この映画の最後で、七海が猫の顔を折った紙の被り物で顔を隠すシーンがある。つまり「猫かぶり」。猫かぶりとは、本当はいけない人なのだが、外部に対してはいい子である状態を指すわけだ。七海(黒木華)は映画の中では、絶対的いい子なのだが、本当は悪い子なのだろうか。そう思うと、ラストシーンの方で、高額家賃の物件の中で嬉しそうな顔を見せているわけで、どこかの場面で真白の狙いを見抜いていて、一緒に飲むはずの薬をごまかしたということなのだろう。

高額家賃の方だが、前半部の方で唐突に高校の時の友人があらわれて、七海に自分と同じキャバ嬢になるように誘う場面があるのだが、なぜか前後の脈略不明と感じていたのだが、きっとここが関係していて、七海はキャバ嬢になるのだろうと予測。

ころころろ(畠中恵著 小説)

2020-01-07 00:00:29 | 書評
korokororo短編連作集。しゃばけシリーズ第8作。主人公一太郎のこどもの頃の事件が、若旦那になった頃につながっていく。なんらかの理由で突然失明した若旦那の視力を取り戻そうと妖(あやかし)たちが大活躍する。シリーズ中、本作ほど登場人物の中の妖比率が高いものもないだろう(失礼、まだシリーズの1/3しか読んでいないが)。

手代の佐助が迷い込んだのが夢の世界で、若旦那の視界を取り戻すために妖怪世界を捜査中に、どんどんと弱い妖が佐助のところに助けを求めにくる。こどもの頃に母親と生き別れになった少女は母を探し出すために人形に姿を変え、河童に近づく。河童を食えば悪鬼となれる。河童は人形が好きで別れられない。少女は母親に会うためには、冥途に行かなければならないが、それを選ぶか、妖として1000年の寿命をもらうのか、選択を求められる。

そして、妖たちの活躍で、一太郎の失明の直接原因は生目神のきまぐれということがわかり、神と一太郎軍団がなぞなぞ対決をすることになる。物語のその後ということで、第一問は桃太郎。鬼ヶ島で鬼を征伐したあと財宝を両親にプレゼントするのだが、そのあとどうなるのか。単なる、泥棒ではないだろうか。桃太郎のものではない。父母は鬼の財宝を受け取ったのだろうか。

そして浦島太郎。そもそも竜宮城ではタイやヒラメが浦島太郎を接待するのだが、いったい何のごちそうを食べていたのだろうか。日本古来のごちそうとなると、魚だ。特にタイやヒラメだ。タイやヒラメが接待するのがタイやヒラメ料理というのは、まずいのではないだろうか。

そして、妖と神様。どちらが強いのだろうか。あるいはどちらが正しいのだろうか。

2020年を歴史的に予測

2020-01-06 00:00:05 | 市民A
歴史的分析とは名ばかりの話だが、最近よく言われる「聞きたくない話」が地震のこと。

東日本大震災はM9.0と言われるが、これは記録や地層の研究などからわかる範囲では、日本では過去最大のようだ。M8.5クラスは100年という単位で各地を襲っているが、M9.0 は1000年に一回クラスだったようだ、具体的には貞観11年(西暦869年)に起きた貞観地震はM8.3 ~8.6と言われる。1,142年前だ。この地震の前後には様々な天変地異が起きている。5年前には富士山が爆発、地震の2年後には鳥海山が噴火。

さらに9年後の878年には相模・武蔵地震が起きている(M7.4)。18年後の887年には南海・東南海地震(M8.0~M8.5)が発生している。貞観地震を東日本大震災と置き換えれば、9年後に関東に大地震が起こることになる。2011+9=2020。


もう一つの歴史的分析というのが共産党国家の寿命。

ソ連(ソビエト)と言われた大国は、1917年のロシア革命の後、革命派、反革命派の国内抗争を経て、1922年にレーニンを中心とした共産主義者の勝利となり国家統一がなされた。そして1985年ごろからのペレストロイカを経て、1991年に共産党国家は消滅した。約70年の期間であった。

一方の中国。こちらは、第二次大戦後、国民党と共産党の抗争が続き、国民党が台湾に退き、中国本土全体を毛沢東を中心とした共産党が支配したのが1949年。ちょうど70年が経ったところだ。つまり、2020年は・・・。

さらに、北朝鮮だが、南北朝鮮とも朝鮮半島全体が自分たちの領土と言っているわけで、まだ国家統一していないという言い方もあるが、外から見れば二つの別の国であるように見える。北側の方が共産党政権に統一されたのが1948年の憲法制定と考えれば、既に期限を超えたということになる。

なお、日本や欧州の共産党は奇妙なことに1920年頃から活動していることが多い(約100年)。しかし、政権の中心に座った時期というのは、かなり短いか、政権に入ったことがないということであり、共産党国家というカウントには入らないと言えるだろう。


日本の場合、1955年の自由民主党誕生以来、75年間のうち、自由民主党が政権を失っていた期間は約6年である。つまり69年の独裁政治風が続いているわけだ。

米国は今まで58代の大統領のうち、民主党が23代。共和党が23代。それぞれ92年間の政権となっている。勝ったり負けたりする方が、政策やシステムに練りが入っていくはずだが、そうも見えない。

大根河岸市場とは

2020-01-05 00:00:27 | おさんぽ
東京駅から八重洲側に直進すると京橋交差点がある。その近くに大きな石碑がある。こう書かれている。

岸河根大橋京
跡場市物青


アラビア語のように右から左に読む。日本では戦後、いつの頃か横書きは左から右に読むようになった。ただし縦書きは、行が変わると右から左に進み、2ページ目は左から右へページを開く。不思議な国民だ。

daikon1


で、この碑文だが、黄色の文字できわめて読みにくい。画像を撮影してから色調転換して読むと、江戸=東京の市場の歴史が書かれている。

まず、寛文(1661年~1673年)の初めの頃、今の数寄屋橋のあたりに数人が寄り集まって、野菜類の市を開いたそうだ。おそらく町人と武家の両方が便利な場所だったのではないだろうか。宝くじ売り場のあたりかな。その場所でかなりの規模に拡大したようだ。

ところが、江戸は火事が多い。幾度かの大火のあと、場所を移転しようということになる。選ばれた場所は、東海道の起点に近く交通量が多く、また水運のある場所として、京橋川北岸の紺屋町と定まり、問屋37、仲買17が集まる。これが人呼んで「大根河岸市場」だ。

そして、経つこと200年、明治10年に近隣の小規模市場も集まることにより政府公認の大市場となった。関東大震災の後にも復興するも、昭和10年に中央市場法の実施にあたり、国家の要請によりやむなく築地市場に移設されることになり、300年の歴史を閉じた、ということだそうだ。

ということは築地にもいずれ、石碑が建つのだろう。数寄屋橋、京橋、築地と移転した江戸=東京の市場は、来るべき大震災にそなえ、有明への移転を英断していて本当に良かった。というような内容だろうか。

なお、石碑の下の僅かな地面には、さえない草花がまばらに植えられているが、大根や白菜、人参、葱などを植えるべきではないだろうか。

将棋手帳のカバー

2020-01-04 00:00:17 | しょうぎ
日本将棋連盟の支部会員なので、毎年、年末になると『将棋手帳』が送られてくる。結構、便利だが、ほぼ最大の問題は、手帳の外側の塩ビ製のビニールカバー。このうえなく貧相である。通常の販売価格は650円だが、100円ショップのような品質だ。

techo0


実は8年前に使っていた普通の手帳、カバーが外せるタイプであり、偶然にもほとんどそのまま将棋手帳のサイズだった。皮ではなかったが、まあ許せる普通の黒いカバーであり、『将棋手帳』の縁を2ミリほど切り取り、サイズ合わせをしていた。

techo1


ところが、この皮製でない商品というのは、突然に劣化する。旧年の途中から惨めな感じになった。といっても年の途中で手帳を変える気にはならないわけで、本年用の手帳の新しいカバーを探していたのだが、なかなか難しい。だいたいは大き過ぎる。幅が良ければ縦が長いとか縦が合えば横が太いとか。

一ヶ月くらいコツコツと探していて、ついに見つけたのが、PILOT社製の「coleto(コレト)」という手帳だ。皮とビニールと2通りあるが、皮を選ぶ。手帳の外側と中のリーフが別に販売されている。もちろんPILOT社は、最初の1年目から純正リーフを使う人は、カバーの寿命が尽きるまで、PILOT製品を購入し続けるという算段なのだろう。最初から使わな続けるような人間がいるとは思わないだろう。

techo4


ところが、実はカバーを入手したのは11月の初めなのだが、いつまで経っても手帳が届かない。調べると、私の知らないところで、何らかの問題があったのだが、その話は長編小説のように複雑で登場人物も多いため割愛。来なかった場合、純正リーフを買うという情けないことになりそうだが、実は昨年は、これも短編小説のような事情で『将棋手帳』を2冊もらったわけだ。つまり一冊が余っている。これを改造して使おうかと本気で検討。

結局、大晦日に手帳は到着。さっそく試着する。ジャスト・フィット!スキマは一切なしだ。

スケジュールを書くため、まず7月を開ける。ホッケーの試合の時間と場所を書き込む。


さて、12月21日出題作の解答。八種駒使用作。

0104k


0104kk


平凡すぎる手の先に、妙な捨て駒をする。

動く将棋盤は、こちら。(Flash版)

GIF版は、
0104g



今週の問題。

0104m


短手数で詰め上がりが数字のつもり。

わかったと思われた方は、コメント欄に最終手と総手数とご意見をいただければ、正誤判断します。

本当に可哀想なのは

2020-01-03 00:00:26 | あじ
妙な食品を見つけた。

chiri


愛媛県産

「訳あって可哀想なちりめん

上物のちりめんなのですが、捕漁時にオキアミが混ざってしまいました
選別しても全部は分けられないのでそのまま商品化しました。

除去しきれなかったイカ・タコ等の稚魚が混ざることが有ります


オキアミというのは、ある意味で美味い。南極のオキアミはクジラの主食である。一方、ちりめんだが、関西の呼び名で、関東ではシラスという方が多い。さらにいうと、「ちりめん」では布のことになる。「ちりめんじゃこ」というべきなのだ。

可哀想なちりめんという意味の裏側には、ちりめんの方がオキアミより格上ということを言いたいのだろう。値段の話の前に、オキアミはよく生のまま、釣りの時の餌に使われる。3キロ700円位。一方、ちりめんは1キロ1500円位と高いが乾燥させて売られているので、比較は難しいし、ちりめんの原料はイワシの稚魚である。

そして、本当に可哀想なのは、ちりめん漁の時に、巻き添えで捕まってしまうオキアミの方ではないだろうか。要人誘拐の時に、巻き添えになる運転手のような意味なのだろうか。身代金を払ってもらえず、生還できない。

シャンハイ(2011年 映画)

2020-01-02 00:00:54 | 映画・演劇・Video
アメリカと中国の合作映画。なぜ親しくもない両国の合作映画ができたかというと、この映画が太平洋戦争開戦前の疎開地シャンハイ(上海)を描いているからで、共通の敵がいる。つまり反日映画であるわけだ。ただし朝鮮半島のことはまったく存在しない。単に野蛮な日本が中国と戦争していて、アメリカはとりあえず日本ともドイツとも中立を保っていた。



で、映画の中では日本人は中国人を捕まえて、拷問にかけたり切り殺したり、街中で銃を乱射したりする。米国人は、日中どちらつかずで、あまり戦争には乗り気ではなかった。ただし米国のスパイは日本が何かをやろうとしていることは気付いていて、諜報活動中に日本人の田中大佐に殺されてしまう。重大な秘密を知ったからだ。

で、中心人物は殺されたスパイの友人。裏を探っていくうちに中国人マフィアの怪しい妻と親しくなってしまう。本気なのか諜報活動なのか。

さらに殺されたスパイが調べたのは、日本による米国への宣戦布告の時期と場所。実際の歴史でもルーズベルト大統領が日本の奇襲を知っていたかどうかが焦点になっている。この映画の中では、スパイは殺されてしまったので、真実は米国政府には届かなかったことになっているが、半分は知っていただろう。ただし米国側はフィリピンと思っていたはずだ。

残忍な田中大佐を演じるのは渡辺謙。そしてその愛人を演じるのが菊地凛子。一応国際的女優なのだが、かわいそうなことにセリフは少ない。基本的にはアヘン中毒者ということで、死にかけた女の役を演じている。そしてついに痛みに耐えられず注射を打たれて、そのまま生き返らないことになった。死体出演よりひどいような気がする。

ところで、真珠湾攻撃の兆候として、上海にいた空母『加賀』だが、いつのまに姿を消し、米軍の情報網から消えてしまう。現れるのは12月、ハワイ沖。


映画の話を置いて空母の話だが、真珠湾攻撃に参加したのは6隻の空母だった。『加賀』『赤城』『蒼龍』『飛龍』『瑞鶴』『翔鶴』。大艦隊である。

なお、空母『加賀』だが、現在の海上自衛隊で改造空母があり、そのうち一隻が『かが』を名乗っている。