徳川家康と将棋?

2020-01-11 00:00:52 | しょうぎ
将棋ペンクラブに入会しているので、小冊子が送られてくる。『将棋ペン倶楽部通信54号』。

水野保さんという方の書かれた『家康と将棋』という6ページの文章がある。



本能寺の変(1582年6月)で明智光秀が卑怯にも織田信長を殺害し、天下取りを目指した時、家康はどこにいたか。当時の居城である岡崎ではなく、堺にいた。京都へ向かう途中、堺で時間調整のため遊んでいたわけだ。部下は30人。そうなると、得体のしれない明智光秀の軍勢と出会うわけにはいかない。一目散に岡崎に帰り、重大事案に備えなければならないが、なにしろ紀伊半島を横断しなければならない。海路で行こうにも、信長に抵抗していた紀伊の水軍に頼るわけにはいかない。結局、伊賀山中を強行突破しるしかないが、不案内である。(要するに家康は人生に何度も不運なことが起きて、冷静さと幸運に助けられながら、勝ち抜きトーナメントで優勝。)

そして、家康を助けようと現れたのは、多羅尾光俊という老将。家康の供には、後に四天王と呼ばれる猛将たちもいたが、30人では戦うわけにはいかない。活躍したのは服部半蔵。結局、家康は光俊に命を預け無事岡崎に逃げ帰ることができた。カルロス・ゴーンのような話だ。

その時、家康が光俊を試すために使ったのが「将棋ゲーム」。服部半蔵が天皇家由来の水無瀬駒を持ってきて、それにて対局。局面は乱戦になるも家康は不利になり、途中で光俊に「いやー、光俊殿に待ち駒を打たれれば投了しなければならない」と口走ったところ、光俊は、そんな卑怯な手は指しません、と言われてじっくり指されて完敗してしまった。いわゆる「二度負けた」ようなものだが、これにて家康は光俊を信用したということが書かれている。

あるような話で、私も何としても水無瀬駒を手に入れなければなるまい、と決意したのだが、文の最初と最後に、「こういう歴史的事実は残っていないが推測で書いた」ということがあいまいに書かれていた。つまり創作された話だったわけだ。


さて、12月28日出題作の解答。





銀を使い方と、香の温存である。

動く将棋盤は、こちら(Flash版)。

GIF版。



今週の問題。



これも銀が大量に投入されるが、主役ではない。

わかったと思われた方は、コメント欄に最終手と総手数とご意見をいただければ、正誤判定します。
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2 コメント

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Unknown (蛇塚の坂本)
2020-01-13 14:11:39
最終手〇〇〇〇〇の〇〇手詰みとなりました。主役は最後に登場するのか
Unknown (おおた葉一郎)
2020-01-13 14:13:00
坂本様
正解です。
最後に登場して、お手柄独り占め。そういうのいますね。

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