ゆんでめて(畠中恵著)

2020-01-15 00:00:47 | 書評
しゃばけシリーズの第9冊。

まず書名の意味だが、『ゆんでめて』を漢字で書くと『弓手馬手』となる。弓手とは武士が馬に乗る時に弓を持つ手が左手であることから左側を指し、馬手とは逆に右手のことで右側を指す。

yundemete


こういう変わった言い方では、航海の時の操船で右を指すのが、『面舵(おもかじ)』、左を指すのが『取舵(とりかじ)』というのがある。英語でも「スターボード」が右で「ポート」が左なのだが、右という意味が「右に曲がる」という意味と「右に舵を出す=左に曲がる」という逆の意味が混在した時期があって、タイタニック号の沈没にも関係する。映画には登場しなかった話だ。

本作は、短編連作集なのだが、いたって複雑な時間軸になっている。

1話。『ゆんでめて』。序の部分で病弱な主人公の一太郎は道を歩いていて左に曲がるべき場所で、うっかり右に曲がった妙な神様を見つけ、そちらの方を追うことになる。その結果、自宅の火事の際、帰るのが遅れたため、親友の妖である屏風のぞきが行方不明になり、探し回るも、結果として見つけられないことになる。奇妙なことに右に曲がってから4年後のことなのだ。

2話。『こいやこい』。友人のところに来た縁談。良縁のように見えたが花嫁候補は京都から江戸にやってきたが同じような女性が5人。友人が5人の中から本物の花嫁を見つけ出さなければならないということになる。その中には、一太郎に気のある女性が登場。といっても、今回は京都に帰っていく。奇妙なことに第一話の一年前。つまり序の時間軸からは3年後である。

3話。『花の下にて合戦したる』。花見に行った時の話。人間に近い妖といえば、狐と狸だが、余興として両者で化かし合い競争をするのだが、そこにもっと強力な妖怪があらわれ、狐と狸は共同戦線を張って、妖怪と争う。第一話の二年間。つまり序の時間から2年後である。

4話。『雨の日の客』。記憶喪失の女性が登場。ところが怪力。利根川の河童なのだ。そして目を失った竜が登場して、ある神社の宝物である「竜の目」を探し回る。序の時間軸からいうと1年前だ。

5話。『始まりの日』。第一話の序の時間に戻る。最初に一太郎が道を間違えた時に気まぐれな二流の神さまがいて、タイムマシンのように未来を変えてしまったのだが、前作『ころころろ』で登場した強力だが変わり者の生目神様が二流の神様のやった時間を変えた行為に怒り、第1話の途中から第4話まで、つまり4年分のできごとを、すべて無効にしてしまう。つまりいなくなってしまった屏風のぞきも復活することができた(はず)。

シリーズも、突拍子もない方向に進むことがある。『ゆんでめて』も荒唐無稽だ。消してもらいたい過去がある人は生目神様に頼むといいかもしれないが、その代わり自分が元の運命線に戻ったとして、そちらの方が満足できるかどうかは別物だろう。

なんとなく、しゃばけシリーズの中に読者である自分も取り込まれてしまいそうに感じて、危険だ。

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