中華まんの日?

2020-01-27 00:00:00 | あじ
数日過ぎてしまったが、1月25日は『中華まんの日』という記念日だそうだ。といっても制定されたのはそう古くもない。調べた結果、2010年の1月25日が第一回目の記念日だったそうだ。記念日と決めたのは、北海道旭川市にある「あったか旭川まん推進会議」だそうだ。つまり十周年。

起源は、1902年(明治35年)1月25日、旭川で記録したマイナス41.0度という日本最低気温に由来している。寒い日に中華まんを食べようということだ。

ここから饅頭の話に行く前に気温の話。この1902年1月25日前後に北日本を襲った寒波だが、第一位の旭川に次ぐ第二位の記録も翌日の1月26日の帯広のマイナス38.2度。中華まんの日の2日前の1月23日には、あの八甲田山遭難事件(210人の行軍中、199人が凍死)が発生している。饅頭をかじりながら犠牲者のことを思い出せばいいのだろうか。

饅頭の話に戻るが、中華まんといっても、中国で普通に食べられているのは、具なしの饅頭(マントウ)。パンのような主食である。といっても具入りの饅頭の起源は諸葛孔明と言われる。各地で戦争を行っていた戦いのプロ。ある時、氾濫する河川で軍勢が立ち往生した。言い伝えでは荒ぶる竜神をなだめるために、49人の人柱の頭を斬って川に投げ込むと効果があると言われていたが、49個の頭をそろえる方法が思いつかず、頭の格好に団子を捏ねて、中に肉を詰めて代用したことによるそうだ。何の肉を詰めたのかはっきりしないが。

この中国の具入り饅頭が渡来してきた話だが、実は肉まんと餡まんとではルーツが全然違う。

餡まんの方だが、中国にあった肉まんを禅宗の僧侶がたべるために、肉の代用品が使われるようになった。つまり、野菜とか小豆である。そして中国に禅宗の修行にいった日本の禅僧が持ち帰ったのがそういった餡まんであり野菜まんだった。1200年台から1300年台の頃だ。

一方、肉まんが日本に来たのは江戸時代の長崎。長崎はオランダと中国との間の貿易の接点であり、ここに中国渡来の肉まんがやってきたのだが、残念ながら日本人の口にはあまり合わなかった。おそらく肉が中心だったのだろう。

本格的に日本で食べ始められたのは、肉と野菜の混ざった具が使われるようになった後で明治以降のことになる。つまり2つのルーツが合体して、日本の肉まんになり、日式肉饅頭として逆輸出ということになった。

ところで、横浜に在住しているので横浜中華街での肉まん事情だが、饅頭が大きいことで有名なのが「江戸清」なのだが、観光的におすすめが「同發」の肉まん。非常に簡単にいうと、江戸時代に長崎に渡来した純正肉まんに近い。塩味で具の原料は豚肉とタマネギだけ。タマネギは溶けているので肉の比率が非常に高い。一度は口にしてもらいたい。口に合わなければ、コンビニでもう一個買って口直しをし、自分が本物人間かコンビニ人間かを確認すればいいだろう。