やなりいなり(畠中恵著)

2020-01-26 00:00:07 | 書評
『やなりいなり』は「しゃばけ」シリーズの第十巻。現在のところ十八巻まで発表されているので、約半分。とりあえず十冊読んで一休みしようと思っていた。休んでいるうちに二十巻まで進んだ頃に再度読もうかなと思っているが、そうならないかもしれない。何しろ、人の意の通りにならない妖怪や無数に日本に存在するらしい神様や悪魔や鬼や狐狸などの登場するシリーズなので、たまには読まないと天罰が落ちるかもしれないし。私だけの天罰ならともかく、巨大地震とかミサイルとかペルシャ湾封鎖とか大勢を巻き添えにするようなことがあってはいけない。

yanariinari


「しゃばけ」シリーズの特徴は、一つは妖怪たちの愉快な活躍と病弱で推理探偵のような主人公一太郎(1/4妖怪の血が混じっている)の活躍であるが、もう一つが時代小説としての顔。封建制度の中心地である江戸の街を肯定的にとらえて、庶民の生活を描いている。江戸も東京も市井の人の生活には共通項が多いという筋立てだ。藤沢周平のように重くはない。

第一巻の頃は、江戸の街の紹介の比率の方が多かったような感じだが、徐々に妖怪たちの活躍に筆が進んでいるような感じがある。

本作は5作の短編連作集。シリーズの中で長編は数える位で、そのあたりが少し残念な感じがある。

一作目が、「こいしくて」。まず、前作の「ゆんでめて」は奇妙な構想になっていて、一作目から四作目までのストーリーが五作目にして消えてなくなることになる。しかし、一度は存在したストーリーであって、登場人物の記憶にはないものの、なんとなく深層心理のところに残影が残っているらしい。そういう説明が何ヶ所かになされている(それだから、第一巻から順番に読まないと困るわけだ)。

災いをまき散らす神様や、そういう時だけ人々がすがる時花神(はやりがみ)や江戸市中の川にかかる数多の橋にはそれぞれ橋姫とよばれる神様がいるのだが京橋の橋姫が恋煩いによって職場放棄したため、長崎屋の周りに恋煩いをはじめ、さまざまな病気が蔓延してしまう。

二作目は「やなりいなり」。町内に静岡方面から盗賊団がやってくる。一方、死に損ないの寄せ芸人熊八の幽霊が長崎屋に現れる。盗賊団は人間なので妖怪たちの活躍で一網打尽となる。熊八は意識不明の自分の体に戻り、再び芸の道を進むのだが、生き返ったからと言って落語がうまくなるはずはないし、臨死体験を語り続ければ、奇人怪人の類として見世物小屋に行くしかない。あっさりと退場したのでシリーズの後の方で復活するかもしれない。盗賊団は、人を殺した上、大金を奪った罪があるので、磔にされたはずだ。京橋一帯は、五街道起点の日本橋よりも西なので、平和島の近くにあった刑場でグサグサッとされて、そのまま鳥類の食事となったはずだが、記載はない。

三作目は、『からかみなり』。めずらしく一太郎の父親の藤兵衛の話。これは難しい。藤兵衛は100%人間なのだから妖怪の姿は見えない。ところが、雷の子が空から落ちてきて、迷子として自身番に届けたわけだ。ということで、雷の子はすぐに地上で雷を起こすので、いい迷惑なわけだ。

四作目は、『長崎屋のたまご』。竜が登場。強すぎる。手に負えない。

五作目は、『あましょう』。江戸の結婚事情である。衛生事情が悪かった当時のこと、許嫁が突如亡くなって次を探したり、跡継ぎが必要なための結婚、さらには資産目当ての結婚とか。資産目当ては現在も行われているようで、うまく資産家の財産の一部を手に入れたといった例も聞いたことがある。未遂に終わりそうで必死で勉強している例も聞いたことがある。