年賀状を書く(必死・・)

2020-01-01 00:00:00 | 市民A
調査によって異なるものの半分ほどの人は年賀状を出さなくなったそうだ。出さない理由は「ラインやメールで代用」「年賀状を書くのは面倒」「そもそも住所を知らない」「虚礼廃止」といったことのようだ。たぶん恥ずかしくて言えないだろうが「年賀状の費用がない」という人もいるだろう。



不思議なもので、普通は、反対の人の理由の逆が賛成の人の理由になるのだが、本案件はそうではない。

「ラインやメール」のアドレスを知っている人にも年賀状は出すし、「面倒」というのは事実だし、「住所を知っていても出さない人は大勢いる」。また「虚礼廃止」についても虚礼で年賀状を出す人はもはやあまりいないだろう。年賀状の費用は高くて郵便局には不満タラタラでもやはり出す人は出す。

つまり、年賀状を出す人の理由というのは出さない人の理由の逆という簡単な話ではなく、もっとずっと根が深い話なのだろう。つまり固執する理由みたいなのがあるはず。

思うに、「友達の概念」とか「他人との付き合いを時空間的『点』と思うか、『線的・面的』と思うか」とか、「親戚同士の微妙な距離感」とか複合的なのだろうと思う。

虚礼的なのは一枚あるのだが、地方にある先祖の負動産の売却を依頼している会社に「今年こそ案件片づけましょう」と書き添えて出している。(虚礼ではない!か)

そして、年賀状に書き添えることばを一人ずつに書くわけだが、時々うっかり、別の人に書くべきことをハガキ間違いしてしまうこともある。また、一年間に手で書く文字の何割かが年賀状なのだが、そもそも年賀状を書かない人というのは文字そのものを書かないのではないだろうか。あるいは書けなくなっている。


一応、一般用と将棋関係者用をわけていて、将棋関係者には旧年中に作った詰将棋問題の中で、短い(5手か7手)ものを刷り込んでいる。以前は長く難しい問題を送っていたが、ある時に、元奨励会員から「正月から難しい問題は困る」と言われたので、その翌年は、盤の中央にバシっと飛車を打つだけの1手詰にしたら、あちこちから不満の声が上がった。友人が多種多様なのだ。