猛毒大国の養殖法は

2011-11-15 00:00:48 | 書評
modoku新潮新書から2008年に発行された『「猛毒大国」中国を行く(鈴木譲仁著)』を読んだのだが、ちょうど、「毒入り餃子」事件の直後だったようで、餃子のおかげで、赤福とか白い恋人とか、不二家とか、なんとなく日本人の記憶の中で風化してしまったそうだ。

そして、中国製の加工食品についての目を覆うような実態が次々にレポートされているのだが、魚介の養殖の話が書かれていた。

実は、この本は、都内の中華料理店で、『上海蟹』を食べて2日後に読んだのだが、最近、北京で大人気のザリガニ料理について。屋台などで若者にも人気があるそうだ。このザリガニだが、本場は江蘇省産が有名だが、最近は三東省や安徽省の人工飼育が中心のようなのだが、そこで行われているのが「有機肥育養殖」。

では、「有機肥育養殖」とは何かということだが、野菜の有機栽培のような健康イメージが感じられる言葉だが、それはとんでもない誤解なのだ。

実態は、「糞便飼育」。

田舎の廃棄されたような溜池に、ザリガニと糞便を大量に放り込んで飼育しているだけ。

バッチイことこの上ないが、この方が、色は黒いが身体の大きなザリガニが育つそうだ。

もちろん、大腸菌や寄生虫にまみれていることは間違いないだろう。


ザリガニと蟹とは、別の種であることを思い出し、かろうじて納得しておく。

新聞誤配でちょっと思うこと

2011-11-14 00:00:16 | 市民A
11月11日に読売グループで発生した企業内クーデターだが、泥仕合の体をなしているようだ。

そして、もちろん野球の話は、日本シリーズが終わってから行うのが野球人の最低のマナーのような気がするが、とはいってもクーデター成功のカギは「タイミング」なのだからしょうがないかもだ。

ところで、事態を詳しく知るべく12日の朝刊を読もうと、投函された新聞を読んでいるうちに、若干の違和感を感じた。まず、ちょっと紙の色が黒っぽいこと。そして、将棋の欄が竜王戦を掲載していること。さらに裏返すとテレビ欄の配置が違うこと。

つまり、読売新聞が入っていたわけだ。

新聞販売店は、大型販売店で、各新聞のほとんどを取り扱う地域独占経営の左うちわなのだが、今まで、そんなことは、一度もなかった。

もちろん、一回だけ間違えただけで、あまりクレームを言う顧客もいないだろう。

気がつかない顧客もいるだろうし、元々新聞店との付き合いで読まずに捨てている場合だってあるだろう。もちろん連載小説を読んでいる人にとっては大問題だが。

もしかしたら、全国で他紙のナベツネ批判記事を読売にすり替えようとしたのではないか、と思ったのだが、まさか、そんなことをするわけもないのだろう。

それで、読売の意見としては、「ナベツネ氏がオーナーに復帰すればいい」という論調のように思えた。結構、奇抜な意見だが、要するに間接的に現場に命令を流すのが、評判が悪いなら、直接言える立場に戻れば文句ないだろう、という論理なのだが、要するに、読売新聞として、何か書かないわけにはいかないが、最高権力に反抗的なことも書けないし、とりあえず帳尻合わせの意見を書いておくか・・ということなのだろう。


ところで、こういう奇妙な意見を公表しなければいけない時というのは、たまにはあるもので、新潮社から少し先に出版されるはずの、蓮池薫著『拉致と決断』の中で、911テロの直後に北朝鮮が発した見解に見られるような気がする。

当時の北朝鮮は、国内の飢餓状況からアメリカとの関係改善を密かに期待していたのだが、テロのあと、北朝鮮が極めて恐れていたのは、アメリカ軍による濡れ衣攻撃だった。事実、イラクのフセイン元大統領はその後、イラク人の手で死刑になる。オサマ・ビン・ラディンが隠れていたのはパキスタンだったのにだ。

そして、北朝鮮が選んだ見解は、「テロは悪いが、事件の背景にはアメリカの覇権主義がある」と、売れない評論家みたいに腐心したものだった。そして、自国への直接攻撃がなさそうだと判断すると、そこからアメリカ非難の声をあげる。しかし、結局はブッシュ大統領からは、「悪の枢軸」と決め打ちされてしまったのだ。

古代日本の鏡

2011-11-13 00:00:31 | 美術館・博物館・工芸品
神田にある天理ギャラリーで、教団の所蔵品である青銅鏡の展示が行われている(~11月26日)。

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日本列島における鏡の歴史は、弥生時代にはじまるようだ。中国・朝鮮半島から渡来した青銅鏡が始まりである。おもに九州各地で発見されている。その後、古墳時代には、近畿地方でも各地で発見されているが、その時には中国からの渡来品に交じり国産品が始まっている。さらに後期には国産品でも日本独自の特徴を持つことになる。

驚くべき点はいくつもあるが、九州で発掘されるのとほぼ同じものが時代を下って近畿でも発見されるということ。鏡は、毎日のように磨かないといけないものだ。我々現代人は、鏡の鏡面ではなく、裏側の文様を見て喜んでいるのだが、ちょっと変だ。近畿には大和朝廷が起こっているのだから、やはり九州に高度な国家が起こり、その後、近畿に首都移転が行われたのだろうと思える。その時に財宝や調度の類は運ばれたのだろうか。

そして、鏡は何に使われていたかというと、本展覧会では、当初は祭りに使われ、後には副葬品に変わっていったということになっている。

しかし、私は、古代人の鏡に託す気持ちは、そういう葬祭関係だけではなく、もっと将来の予測的なものがあるのではないかと思っている。何しろ、鏡に映る最大の物体は自分の顔である。さらに、その背景には空が移り雲が写っていたのではないだろうか。そして、おそらくは、予言師がいたのではないだろうか。

日本が国家として成った当初の古代人が予測する「未来の日本」と、同じく不確定の時代をさまよう現代日本の「未来予想」とは、はたして異なるものなのだろうか。

「1一」で詰めようと画策・・

2011-11-12 00:00:14 | しょうぎ
昨日は、ちょっとした日だった。

2011年11月11日。さらにいうと、11時11分11秒という瞬間もあった。

次に、同様な事象がいつ起こるかというと、2022年ではないわけだ。(理由は省略)

2111年11月11日ということになる。地球上にグレゴリオ暦が存在していたらだが。

ところが、11時11分になっても、特にたいしたことが起きなかったわけだ。がっかりだ。

しかし、その日の夜に、ある集まりがあったわけだ。将棋の会だ。

職団戦を間近に控え、酒を飲みながら練習将棋を行うわけだ。道頓堀じゃないので、賭け金なし。

そこで思いついたのは、この素晴らしい日にちなんで、相手の王様を「1一」で詰めること。何局か指すだろうからチャンスがあれば、1局くらい挑戦してみようかと。

そのためには、まず、先手になった方がいいわけだ。後手なのに相手を「1一」で詰めるには、多大な努力と技術が必要になる。

さらに、できれば、相手を穴熊に押し込んでから蒸し焼きにすれば話は簡単なのだが、それは話術で穴熊に誘導かな。


案外、自分が「1一」で圧縮されたりして・・



さて、10月29日出題作の解答。

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▲3九飛 △2八玉 ▲2九飛(途中図1) △1七玉 ▲1六金 △同玉 ▲2五銀 △1七玉 ▲3九角 △2八歩(途中図2) ▲同角 △2六玉 ▲4六角 △2七歩 ▲同飛 △同玉 ▲2八歩 △2六玉 ▲2七飛 △1五玉 ▲2四角 △同桂 ▲1六歩 △同桂 ▲2四銀 △1四玉 ▲1五歩 △同桂 ▲2三銀不成 △1三玉 ▲1四歩 △同桂 ▲2二銀不成 △1二玉 ▲1三歩 △同桂 ▲2一銀不成まで37手詰。

蛇足感があると思う。25手詰が妥当な長さだと思うが、詰将棋パラダイス誌に落選。思い切って長く改造してみた。

おもに、前半は、飛車の押し売り方針。その後、中合いと飛車の素抜き。二度目の歩合いと続き、打ち歩詰め回避の角捨て。最後は銀の突進を蛇足的に付け加えた。


動く将棋盤はこちら

今週の問題。

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あまり、難しくもなく、ピリッとしない。上記の解答を書くのに疲れたので、適当に在庫からピックアップしたので、簡単すぎたらゴメン。

わかったと思われたら、コメント欄に最終手と手数と酷評を記していただければ、正誤判断。

蟹を食べ、夢を見る

2011-11-11 00:00:42 | あじ
10月に横浜中華街に行って、10月1日解禁の上海蟹を食べようとしたが、単価4,000円に怖気づいて、別の料理を食べてしまう。さらに種類は異なるが金沢に行ったときには、日本の蟹の解禁日の直前ということで、手に入らなくなると、そこでさらに欲しくなるのが人情である。

そういう時に限ってスポンサーが現れるもので、「おおたさん。中華の美味しいところを紹介してくださいよ」って感じになったのである。そして、さっそく西新橋の上海酒家というところに2000円のコース料理を頼んで、さらに上乗せで蟹を追加。単価1,800円と中華街より格安だ。3人宴会なので3個予約。

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で、まず入店後、前菜を食べた後、中国人の女性がタッパを持って登場。調理前にお披露目であるが、実は生きている。だから足を紐で縛られている。目が動く。思わず視線をはずす。最近読んだ吉村昭の小説にでてくるキリシタンの磔みたいな感じだ。

「メス二匹を蒸しで、オス一匹を炒めでお願いします」

「では、これから調理しますから」

なんとなく、蟹の話で盛り上がり、

「蟹を生き茹でにすると、生まれ変わった時に蟹になって、捕まれば、茹でられるから」とか、我ながら気色の悪い冗談を口にしたりする

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そしてしばらくして、「蒸し蟹」が登場。美しく赤色に発色している。調理されることなく一生を終っていれば、青黒い甲羅のままの地味な生涯だったが、捕まったがために、真逆な赤色の体になり、画像がブログとしてネット上に公開され、記録に残されることになる。

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そして、蟹を解体しようとして、馬鹿な連れは「蟹スプーンはないの?」とか信じられない質問をしていた。

もちろん、蟹の解体は女性を喜ばせる男の秘技の一つなので、さっそく甲羅をはずしてと、手を触れた瞬間、甲羅の下には、直ぐにかぶりつけるように、もう解体されていたのである。秘技の必要なし。

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さらに、「炒め蟹」が登場。

評価すれば、「味」より「粋(いき)」を楽しむもの、ということになるだろう。


ところで、さんざん8年物の紹興酒を飲んで帰り、熟睡モードに入ったのだが、・・

生まれ返って「蟹」の姿になった夢を見てしまった。そして、泳いでいるうちに網にかかってしまい。引き上げられて、足を紐で縛られてしまったのだ。

ギリシア神の怒りか、あるいは

2011-11-10 00:00:39 | 市民A
古代ギリシアの遺跡をネタにした観光業の収入を食いつぶしたギリシア国民が、今、目前にしているのは、「耐乏生活」か「国家破綻による総ホームレス化」の二者択一かもしれない。今までいい思いをしていたのだから、少しは我慢しろというのは、他国の常識ということもできるし、もっとファンタスティックにいえば、ギリシア神の怒りということかもしれない。

さらに、ギリシア最高峰、標高2900メートルのオリンポス山を、勝手に社名にしてしまった「オリンパス」が、不正経理の末、企業価値を大きく毀損される事態になっている。粉飾決算の責任もあるし、本来、赤字であれが払わずにすんだ法人税や配当金に対する責任は、明らかに高額となるだろう。それと、上場廃止となった場合の株主に対する経営者責任は、ホリエモン事件よりずっと重大なのは言うまでもない。

上場廃止になっても、企業活動が継続できればまだしも、医療現場のどこにでもあるオリンパス製品の維持管理に影響が出ることになれば、世界的な重大事件になる。


ところで、粉飾の実態はまだ明らかにならないのだが、世界シェア75%を誇る、医療用内視鏡のこと。

二十数年前になるが、突然に胃潰瘍になったことがある。まっすぐ立てないほどの痛みが走り、食事をしても、固いものは苦しくなる。たまたま父親が十二指腸潰瘍で手術をしたりしていたので、心配になり、そこそこの大きさの病院に行く。

そして、数日後に内視鏡(当時は胃カメラと言われていた)を飲み込むことになったのだが、・・

始めての経験だったのだが、ベッドに横倒しにされマウスピースを太さ1センチほどの黒いホースみたいなものを押し込まれるわけだ。オエッ、オエッ、オエッ、オエッて感じだ。

人生最大の苦痛の瞬間だった。(後で父親に聞くと、胃の手術をすると、カメラなんか何とも思わなくなるよ、と言っていた。)

ともあれ、さらにもう一回カメラをやることになり、結局、カメラをやることの苦痛が先になり、自然と生活を節制して完治したのだから、太い内視鏡にも効用はあったのだが、その時の医師の説明では、

「オリンパスのシェアは90%なんですよ。だから殿様商売で、太いままなんですよ」とのことだった。


そして、現在、シェアは75%まで落ちたのだけだが、それは新規参入者が増加して、どんどん細い内視鏡が市場に登場することになって、競争激化したからということなのだろう。

時期的に言うと、シェア90%の時の利益を製品開発に回さずに財テクにつぎ込んだのだろうと思うわけだ。


ところで、オリンパスという社名だが、1919年(大正8年)に創業した時は、高千穂製作所という社名だった。高千穂といえば、日本の神様が空から降りてきて最初に住まわれた高原である。それが突然2年後の1921年にギリシア神の住むオリンポス山の名前を使うことになったようである。

ギリシア神の怒りだけでなく日本神話の神々も怒っているのではないだろうか。

大槻教授の最終抗議(大槻義彦)

2011-11-09 00:00:33 | 書評
大槻氏は、とある分野では世界有数の科学者である。それは、火の玉の研究である。



今回の地震の被害がもっとも大きな宮城県南部の故郷で、こどもの頃にみた火の玉の実在を信じ、数十年にわたって撮影のチャンスを狙っていた氏が、たまたま撮影に成功した時、ちょうど日本は、超能力者、オカルトのブームだった。

自らの発見を発表しようにも、「オカルト科学者」の仲間に入れられるだけと信じ、じっと我慢しているうちに、オウム真理教事件が起こる。

ついに、教授は、オカルト科学者に対し、「非科学的」という罵声を浴びせることになった。要するに、非科学的なものを信じさせることから、すべての間違いが発生するわけだ。

そういうわけで、書の後半では、実名入りで教授の糾弾が始まる。

まず、血液型と性格の関係をもっともらしく語る、能見正比古親子。阿部進、竹内久美子。

ユリゲラーや関口少年の罪は、もっと重い。スプーンをいくつもダメにした。

織田無道のように、オカルトで金儲けを狙うのは最悪だ。


この集英社新書が世に出たのは2008年の頃。その後起きた東日本大震災について、筆者はどう思っているのだろう。推進派も反対派もいずれも非科学的な論を言い合っているように思える。教授はちょっと仲間はずれのようだ。


ところで、この著者だが、科学者だけではなく、アマチュアゴルファーとして、たくさんのゴルフ書を書いている。ようするにゴルフを科学的に考えてみようということだ。そして、本だけじゃなく、クラブそのものも企画開発しているようだ。見たことがないような形のパターとか。

批判している人間たちと同じような気もする。

俳遊の人・土方歳三(菅宗次著)

2011-11-08 00:00:40 | 歴史
haiyu土方は、幕末登場人物の中でも、かなり重要人物とされている。ただ、新撰組に土方がいてもいなくても歴史の流れには影響はないかもしれないし、函館戦争の地で1869年6月20日に陸軍奉行として戦死しなかったとしても、歴史には影響はないのだろう。

しかし、それでもなお、現代人が土方歳三に共感や興味を持ち続けるのは、主に彼のラストサムライぶりの生き方と、残された写真にみる、まれにみる二枚目としての容貌だろう。

まず、彼は「武士ではなかった」のだ。東京都下日野の豪農の家に生まれる。そして、青年期にかけては、商人を目指して江戸の呉服屋に奉公する。何しろ呉服屋というのは、他の職業とは異なりアパレル産業である。(余談だが、新撰組が京都で着用していた「だんだら模様」の羽織だが、発注先は「大丸呉服店」だったそうだ。)

そして、少年のころから二枚目ぶりを発揮し、呉服屋の女中と関係を持ってしまう。即、クビである。その後、商売の道から学問の道に進む。そこで彼がはまったのは、漢詩の世界ではなく俳句の世界。近藤勇が漢詩にはまったのとは若干方向が異なる。

で、彼はなぜ、漢詩よりも軽味のある俳諧方面に進んで言ったのだろう。農民出身だったからなのだろうか。さらに言うと、どうして近藤勇に引きずられて、武士になったのだろう。それもなぜ、函館まで意地を通し続けたのか。

同じく、ラストサムライを続けた一人が、中島三郎助。浦賀奉行の与力の息子として生まれる。その後、日本人で最初にペリーの黒船に乗り込み、「浦賀奉行所副奉行」と偽りの肩書を名乗る。そして、海軍の要職を経て、土方歳三の没後5日間奮闘して果てる。

中島の場合は、下級武士ではあるが、幕府の正規構成メンバーであったのだから、現代では冒滅した「義理」とか「人間の見栄」とか「成り行き」といった都合もあったのだろうが、土方なんて、守るべき家名だってないわけだ。京都時代にあちこちの料亭に馴染みの愛人を並べていたのも、時代の終焉感が漂う。

土方が俳句に遊んでいたのは、主に新撰組を入隊する前のもので、「句が平凡だ」とか「幼稚だ」「下手だ」などとあざけるのではなく、命のやりとりをする前の彼の純情を読めばよいだけであるのだと思う。

 知れば迷ひ 知らねば迷わぬ 恋の道

沖田総司に、「下手だな」と一刀で斬り捨てられたとされる凡句だそうだ。

その拙稚さもまた、現代女性の心を揺さぶることになり、現代女性の心を揺さぶるにはどうすればいいかを研究するために土方の軌跡を追う現代男性の心を理不尽に乱すわけである。

金沢城、百万石を守り通す

2011-11-07 00:00:12 | The 城
石川県民ではないからでもあり、あえて言えば、金沢城には、あまり気分が盛り上がらない。というのも、加賀藩前田家には百万石があり、江戸時代を通してそれを何とか守り通したことがある、というのでは、それほど楽しくもない歴史である。

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実際には、前田利家は秀吉の子分であり、しかし常に秀吉を越えようとしたことはなかったようで、秀吉晩年には秀頼の守り刀として大名をとりまとめるように言い渡されたが、結局、その役を果たすことはできなかった。全身像が城の片隅に立つ。

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江戸時代になると、徳川幕府は、将来、幕府を襲う勢力として、薩摩藩、伊達藩、加賀藩の三藩を厳重に監視していたようで、薩摩藩のような自由奔放主義は加賀藩にはとれなかった。ひたすら幕府との摩擦を避けるがごとく「のれんに腕押し政策」を実施していた。

具体的には、武力を重視せず、文化を重視する藩風を起し、料理や菓子、各種手工業では江戸に勝るとも劣らぬレベルを金沢で展開していた。それがため、明治になって、県庁所在地から短期間だが外れた時期があった。行政を行うには派手すぎる街ということらしい。

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歴史に残る事件としては、綱吉の「お犬」政策の時、江戸藩邸の井戸に落ちたキツネの救助に失敗した藩士の切腹命令を無視したこと。水戸天狗党の捕縛に成功したこと。などが有名。

金沢城は、天主は江戸初期に焼失。本丸等は明治になり陸軍が使用するために撤去された。にもかかわらず、いくつもの建物が復元しているのにはわけがある。

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「利家とまつ」。

大河ドラマの開始に合わせて、二の丸や櫓など城内建造物を再建したそうだ。

大丈夫だろうか。オリンピックを開催して破産した国みたいだ。

ヨコハマトリエンナーレ2011

2011-11-06 00:00:54 | 美術館・博物館・工芸品
『YOKOHAMA TRIENNALE』は、日本発信の世界有数の現代美術展である。2001年、2005年、2008年、そして2011年と、ほぼ3年に一度の間隔で開催されている。

しかし、実は最終日が11月6日。つまり今日。閉会直前に駆け込む。そして、大混雑だったのだけど、2005年、2008年に比べて、ずいぶん本格的で大規模という感じになっていた。

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それと言うのも、前は屋外感がいっぱい、という感じだったのが、今回は、あの豪華かつ巨大美術館である横浜美術館がメイン会場になって、さらに日本郵船の大倉庫が使用されている。今までの「開放感」に「密室感」が加わったわけだ。事実、砂や卵の殻や塩といった、まさにコンテンポラリーな壊れそうな素材が多数登場。

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とはいっても、アーティストは巨大なモニュメントをつくりたがるのは、スフィンクスやピラミッドの時代からの人間の性である。室内の与えられた展示室の中に壊れやすい素材で作品を吊るしたり床に砂で作ったりするのだが、観客がどっと押し寄せているため、あちこちで入場制限や、係員が、「作品を踏まないように!」とか「そこの白い壁は作品ですから!」とか「フラッシュ撮影しないでください!」とか次々に注意があって、大騒ぎである。

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私が怒られたのは、塩の結晶でできた宙づり作品に肩が触れたことと、つまづいて砂の山の上に転びそうになったこと、卵の殻の作品を両手ではなく片手で持った時。そして、列に割り込もうとした時の計四回かな。

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で、作品の質だけど、コンテンポラリーアートの世界では、圧倒的に日本人勢が強いように思う(日本には住んでないことが多いが)。また、中国、香港も半周遅れで追随しているように思えるし、フランス、ドイツ、米国もなんとなく流れでやっているように思えるけど、日本人って独創的で、「ガラパゴス」の天才なのだと思うわけだ。

で、芸術ってガラパゴスなもののわけで、いつでも先進を考えているわけ。『世界標準』の芸術なんて、○●ッタレだ。

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携帯電話とか家電のガラパゴス化っていうけど、そういう遊びをやっているのは、日本の家電業界の中でも、「ソニー」「パナ」「シャープ」という内部留保多過ぎ企業のことで、東芝や日立やNECや富士通といった借金まみれの会社は『世界標準』以外の余裕なんてないままだ。

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で、芸術の話に戻ると、現代芸術が始まったのは20世紀の最初の頃からだ。印象派や分離派といった、既成芸術の否定のうねりが一段落し、第一次大戦と第二次大戦の間の不景気の時代あたりからだ。言い換えると米国が台頭しはじめた時代。

その先駆けになった造形家(古い言い方なら彫刻家)の代表が、コンスタンティン・ブランクーシ。横浜美術館には代表作『空間の鳥』が所蔵されているのだが、今回の最新作品群の中に、ホイって感じで無造作に本物が置かれているのにビックリした。彼に師事したイサム・ノグチの作品もホイって感じになっているが、これがまったく違和感がないので、多くの入館者はオタカラに気付いていないわけだ。横浜市民の私としては、盗難や破損が心配になる。何しろ、美術館には市民税が投入されている。

それで、ブランクーシは欧州にアフリカの風を吹き込んだことで知られている。それでは、東アジアには、欧州にとってのアフリカのような芸術に刺激を与える場所があるのだろうかと、つらつら考えてみるが、なかなか思いつかない。インドネシアはインド文明の影響が強いし、タヒチはゴーギャンが紹介してしまった。

よく考えると、それは「日本」ということかなと思ったわけだ。日本の影響は、19世紀末の欧州美術には顕著だったし、今でも海外で活躍している人も多いし、作品の大部分が海外コレクターのご指名買いになっているアーティストも多い。


次は3年後ということだが、今回の最大の問題点は会場間の移動だったのかもしれない。同じ横浜の海岸地区といっても、かなり離れている。何を考えていたのか会場間の移動バスはミニバスだったし、横浜市営交通は準公務員が運行していて、休み時間をたっぷりととるために、バス乗り場には長蛇の列ができ、さらに列のそばの植え込みには有機肥料を使っているとみえ、小さな羽虫が無数にブンブン状態。数十分間、顔のまわりの羽虫との格闘をし続けなければならないわけだ。

室田家の心配事

2011-11-05 00:00:24 | しょうぎ
詰将棋パラダイス誌11月号のリレー随筆に、室田伊織女流初段の母君が「子育て」というエッセイを寄稿されている。

その中で、伊織さんが将棋を始めることになったきっかけの詰将棋が紹介されていて、例の玉型王将が5一で、三段目に攻め方の歩が9枚並び、持ち駒が角・香四枚という図式だったようだ。

以後、詰将棋を続けているうちに将棋も強くなり、高校生のうちに女流育成会に入り、そのまま女流棋士になってしまったということだそうだ。

弟は学生大会でベスト8になったそうで、姉弟で競ったのだろう。


そして、女流初段は大学卒業を目前にしているのに、まだ大学卒業後の事は決めていないとのこと。母君は、「自分で考えを決めて、前へ進んでいってくれれば良い」と思っているそうだ。

が、・・

よく考えてみると、大学を卒業してから、どこかに就職してしまうと、では女流棋士の椅子はどうするつもりなのだろう。それって転職ということなのだろうか。あるいは兼業。兼業の片方が勤務時間不定期の職業だと、もう一つの職業も時間不定期でないと具合が悪いが、そういうのの代表は「お水」ということになる。

頭脳が必要な職業と肉体美が必要な職業を兼業しようとすると思いつくのがギリシアの女神「アテネ」。ただ才色兼備も昼と夜の顔を間違えると、だいぶ前の女流名人みたいになったりする。また女神の名前を今に残した都市国家アテネも再び直接民主制(国民投票)の実験をして、地球上から姿を消そうとしている。

ところで、調べてみると、大学四年生は、女流名人戦B級で、リーグ3位の活躍中。リーグはあと1局を残すだけで、昇級の可能性は高い。A級昇級を花道にして引退とか、ありえないような気もする。母君の投稿では、「就職か女流棋士か」ということになるのだが、つまり、女流棋士って金額的には職業になっていないということだろうか。

ただ、将棋連盟に勤めることだけは、ないだろう。


さて、今週の問題。

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比較的、あっさりしている。

難易度は、並かな。わかったと思われた方は、コメント欄に最終手と手数と酷評をいただければ正誤判断。

近江市場で三色丼を食べる

2011-11-04 00:00:40 | あじ
大急ぎで金沢に行った。羽田空港でミックスフライ定食を食べた後で最終便に乗り、小松空港からバスで金沢市内に向かう途中で、大変残念な事実を知ることになる。

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蟹漁の解禁日。

今年は11月7日だそうだ。

こういう、惜しくも食えないというのは、文字通り口惜しい。「くやしい」という感じは、「悔しい」と「口惜しい」と二種類あるが、複雑な心情的はくやしさは「悔しい」を使い、美味しい食べ物が惜しくも口に入らない場合は、間違いなく「口惜しい」を使用するのだろう。

これが、中国だったら「解禁日前の密漁ガニは旨いなあ」とか共産党幹部たちが喜んでいるのだろうか。以前、上海蟹の解禁日直前に北京でそういうシチュエーションがあったが、今は死刑だろうか。蟹は食いたし命は惜しし、と一句詠みたい。

もっとも日本でも、解禁日以前には蟹漁をしてはいけないが、他の漁をしていて、たまたま蟹が網にかかった場合は、違反にはならないそうだ。そういうのは、なかなか一見客には供されない。口の堅い人専用。

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で、深夜着ではホテルで眠るだけ(?)だが、翌日、近江市場に行く。近江は「おうみ」と読んでもいいし、地元では「おみ」と読むようだ。しかし、金沢港の方に「金沢港いきいき魚市」という本格的な市場があり、どちらかというと、近江市場は「観光用」に近いかな。もちろん市内の中心部に近い所にあるので、加賀野菜などは、ここでしっかりと手に入る。

で、蟹の上がってこない今の花形は、「のど黒」かな。博多方面でよく見られるのど黒とは異なり、鰺みたいに大きなのが並んでいる。まあ、市場だからね。

それで、何を食ったらいいのか、よくわからずに寿司屋に入り、海鮮丼ではなく、ついうっかり三色丼を注文。いくら、うに、カニである。そして、しばらくして、カニの解禁日前だったことに気が付く。冷凍なのだろう。まさか密漁品にありつけるはずもない。

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何しろ、メニューの写真とは異なり、三食の中のウニの面積が狭い。カニ面積は予想外に広い。やはり冷凍輸入物だろう。

味に文句はないが、ちょっと高かったか。

で、陽が沈むまで、市内中心部をブラブラして、再び最終便で東京に戻る。夕食は小松空港で肉うどん。特筆はなし。

クモの夫婦

2011-11-03 00:00:26 | 市民A
クモの寿命は3年ぐらいらしい。種によっては5年ほどのものもあるようだ。

それで、数年前からクモの観察をしている。といっても家で飼っているわけじゃなく、近くの公園を通るたびに観ているのだ。

で、最近興味を持っているのがクモの夫婦関係だ。

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といってもクモの交尾を見ようというのではない。クモは、一風変わった受精方法を持っていて、オスが自分の精子を手(足)で取り出し、それを網でくるんで、メスの性器に押し込むらしい。

あまり楽しくはないだろうが、しかしそれが、オスの役割なのだ。

ところが、大問題はオスとメスの体格差である。だいたい、一目で3倍くらい体のサイズが違う。

さらに言うと、オスはメスの作った大きな網のどこかにいて、メスの目を盗んでは、小さな昆虫などを食べているわけだ。いわゆる「ジゴロ」である。

で、エサに夢中なメスグモに後ろからそっと近づき、あっという間にやっちゃうわけだ。

もし、モタモタやっているとどうなるかって、いうと、オスはメスに喰われてしまうからだ。そして、体長が3倍あるということは、170センチの男性が5メートルの女性と関係しようということと同じようなものだ。

だからといって、メスがオスを簡単にクッチャうと、お役目係りがいなくなるわけだ。

しかし、秋になり、いくつかの蜘蛛の巣からはオス蜘蛛がいなくなっているように思える。メス一匹だけの巣である。

餌が減って、食われたのだろうか。

修羅と生きる(梁石日著)

2011-11-02 00:00:39 | 書評
shura梁石日(ヤン・ソギル)は、在日の作家である。といっても生まれてからずっと日本に住んでいるのだから、日本語の使用方法に差があるわけはないのだが、彼が書く小説は、きわめて過酷で、きわめて破壊的で、きわめて反逆的である。

「タクシードライバー日誌」から読み始めたのは何年前だっただろうか(本当は調べればわかるのだが省略)。これは、多くの在日の方が抱えている日本国家に対する言い尽くせない激情が、根源的なパワーになっているのだろうか、と思っていたのだが、本著を読んで、それはまったくの的外れであったことがわかった。

コンプレックスの塊で、説明の付かない暴力衝動に捉えられていたのは、彼の父親であって、その不死身な父親に対する激情が彼の作品を突き動かしていたようだ。

ということで、彼も年齢は私よりもかなり上だが、「昭和」という激動の大河を右に流されたり左に流されたりと、はっきりした執着も見えないまま、あてもなく下流へ流され続ける同時代に生きる一人ということになるのだろう。これからは肩の力を抜いて、普通の気持ちで彼の作品を読めばいいということだ。

しかし、大阪の在日は、灼熱の激辛だねえ。

海(小川洋子著)

2011-11-01 00:00:02 | 書評
umi小川洋子と言えば女流長編作家ということになる。とくに最近、彼女の長編作品が人気である。そろそろ村上春樹の人気にも陰りが生じているのだろう。

そして、この「海」だが、短編小説である。長さが不変な6つのストーリーで構成され、それぞれのつながりは明確ではない。

なんとなく、フンワリした仕上がりの小説「海」や、毒薬のような激しい切り返しのある「風薫るウィーンの旅6日間」。いずれも作家の筆力のなせる技だろう。

とりあえず、小川洋子の作品数少ないので、そのうち全作品踏破とか考え付くのではないだろうか。でも、読みつくしてしまうと楽しみがなくなるので、あせらないことにする。